文/陝西省の大法弟子
【明慧日本2023年12月31日】私は今年70歳で、法輪大法を修煉して20年になります。以下に、私たち大家族のメンバーがどのように中国共産党(以下、中共)の組織から脱退したのか、その体験を皆さんと共有したいと思います。
身近なところから人を救い始め修煉の新しい環境を切り開く
身近な人の中で夫が一番近い存在だと思い、身近な人から始めることにしました。私が修煉した後、私の身体に変化が起こったことを、夫が一番よく分かっており、最も恩恵を受けました。しかし、夫は中共の無神論の毒害を深く受けており、彼に神佛に関する話題を一切話すことができませんでした。私が夫に神佛のことを話題にすると、彼はすぐにイライラし、態度が横暴になりました。
私が夫に初めて真相を伝え、中共から脱退するよう促した時、彼は私に大声で「あまり私にこういうことを言うな!」と怒鳴りました。顔をしかめ、とても怒った様子で「余計なことばかり言って」と言いました。夫は今まで私にこんなことを言ったことは一度もありませんでした。私はその時は本当に怒っていたので、彼を無視して、もう脱退を勧めるのはやめようと思いました。しかし「ダメだ。私は彼をやはり救わなければならない。この万古の機縁を彼に失わせるわけにはいかない。私の使命は人を救うことではないのか? 今後、また機会があれば、必ず彼を救わなければならない。もし彼さえ救えないのであれば、他の人をどうやって救えようか。師父は慈悲心を持って衆生を救うということを説かれていませんでしたか? 私たちの身近な人との縁は、最も大きいものです。彼が私に怒ったからといって、私は彼を救わないわけにはいきません」と考え直しました。
しばらくして、テレビでここは災害、あそこは事件と報道されているのを見て、夫と一緒にテレビを見ながら「赤目の石の獅子の物語」(訳注:善悪の選択とその結末を通して、真・善・忍の信念が災難からの逃れ道を示す物語)ついて話しました。夫は、軽蔑し気にも留めない様子で、軽蔑の表情で「あなたはあなたのことをやって、私は私のことをやる。死ぬのも私のことだから、余計なことは言うな」と言いました。何かを成し遂げるためには、日々の努力を積み重ねることが大切でした。人を救うためには、急がずじっくりと行う必要があることを私は知っていました。
夫は幹部家庭の出身で、彼の父親は中国共産党(以下、中共)の理論を教えていました。家族すべてが、中共の理論に洗脳されていました。自分勝手で、他人の言うことを全く聞きませんでした。自分たちが最高に賢いと感じ、とても気分が良さそうでした。夫がとても頑固で、執拗で、融通が利かないのを見ると、私もとても無力に感じました。しかし、心の中で私は「必ず彼を救わなければならない!」と思いました。
ある日、私たちは食事をしながら、身近で起こった出来事について話しました。私は「あなたは私の家族ですから、危険があれば、まずあなたに知らせ、安全を確保したいのです。もしあなたが私だったら、あなたも同じことをするでしょう。あなたは、危険があることが分かっていても、私を置き去りにしないですよね。今、私は前方の道は死に至る道で、命の危険があることをはっきりと分かっています。たとえあなたが危険な列車に乗ってしまっていたとしても、まだ列車は発車していないのですから、私はあなたを助けずにはいられません」と言いました。話しているうちに、私の脳裏に突然、大災害、大淘汰の映像が浮かび、私は涙を流しました。
私は、法を学んだ後の自分の身体と性格の変化を振り返りました。私は、全身が病気で治らず、死の線上で必死に生きようとしていた時に、幸運にも法輪大法に出会いました。それほど長い時間も経たないうちに、師父は私の身体を浄化してくださり、血液病、胃病、婦人病、頸椎病、腰椎間板ヘルニア、肺部免疫機能障害など、私が患っていたさまざまな病気が、奇跡のように治りました。この過程を、夫は知っていました。
次に私は、師父が弟子に、宇宙の特性である真・善・忍に従って生きるように教えてくださっていることを話しました。「真実を語り、正しい行いをし、正直な人間になり、最終的には返本帰真するのです。法輪功の修煉者は、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず、最もよい人間になるように要求されています。私は、師父の法を学び、大法の要求に従って修煉したからこそ、私の身体にこれほど大きな変化があったのです。中共は、佛道を修煉する人々を迫害しています。天理はそれを許しません。人が裁かなければ、天が裁きます。現在、天象が変化しています。もし三退しなければ、生命は本当に危険です」。話し終えた後、私はまだ涙を流していました。夫もまた目尻に涙を浮かべていました。彼は感動して「はい、いいですね、それでは『常安』という名前で三退しましょう」と言いました。
恨みを捨て義父は三退し義母は修煉を始めた
夫の家は幹部の家庭で、義理の両親は私が労働者の家庭出身だからと認めず、不釣り合いで、家柄が合わないと考えていました。特に、義母が邪魔だてをして、いつも夫の前で私の悪口を言っていました。特に、根も葉もないことで私に対して個人攻撃を行い、私の態度が悪いと言いました。私は特に腹が立ちましたが、夫は私に義母と争わないように勧めました。義母とは公然と口論はしませんでしたが、私は心の中で特に辛く、彼女が私の名誉を傷つけたことを恨んでいました。
私たちは結婚した時、義理の両親の家には住みませんでした。翌年、私は妊娠し、夫は大学に進学しました。出産の1週間前、義母は電話で夫に早く学校に戻るようにせきたて、小さなことを気にして大事なことを失うようなことはしないでほしいと言いました。私は妊娠中に、重度の貧血で入院しました。血色素はわずか3.8g(訳注:3.8g/dLは、正常値を大きく下回る数値であり、重度の貧血に相当する)でした。医師は、私の命と胎児の命の安全を心配しましたが、義理の両親はまったく関心がありませんでした。義母の目には、2人(訳注:私と胎児)の命を守ることは「小さなこと」であり、学校に遅れて行くことは「大きな損失』なのでした。私はその時とても怒っていました。義母は私たちの存在を無視し、私たちの生死を顧みていないと感じました。私はどんなことでも理解し、我慢することができました。しかし、このことだけは、どうしても受け入れられず、心の中でずっと深い恨みを抱いていました。修煉した後、私は常に、義理の両親との間の恨みを解消したいと思っていました。
師父は「私はある日皆さんにこのようなことを話しましたが、あなたの敵を愛さなければ佛にはなれません。神あるいは修煉中の人がどうして常人を敵と見なすことができるのでしょうか? どうして敵があるのでしょうか? もちろん皆さんは、今はまだできませんが、徐々にできるようになり、最終的にはできるようにならなければなりません。あなたの思っている敵は常人の中の人です。人はどうして神の敵になれるのでしょうか? 神の敵になる資格があるのでしょうか?」『ヒューストン法会での説法』と説かれました。
私は理解しました。修煉者にとって最も重要なことは、人を救うことです。慈悲の心で衆生に接し、常人を敵とみなしてはなりません。ましてや、修煉者には敵などいません。師父の法を学び、私は長年心の中に抱えていた恨みを放下することができました。
2005年、義父は突然脳卒中を発症し、入院しました。私は「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」の心からの九文字を印刷して、義父に見せ、念じてもらいました。すると、義父の体はすぐに回復しました。退院後、私は義理の両親を私たちの家へ連れて行き、世話をしました。私は、慈悲を胸に抱き、穏やかな言葉と行動で、義理の両親に善意で接し、生活面では細心の注意を払って丁寧に世話をしました。すべてを義理の両親のために考え、食事、衣服、身の回りの世話をきちんと整え、家中の雑用はすべて私が引き受け、文句を言わず、何事も気にしませんでした。
以前、私の体調は義理の両親が一番よく知っていました。私があらゆる面で変わったことや、私の善行を見て、義理の両親は法輪大法が素晴らしいと信じるようになりました。私は、義理の両親に法輪大法が迫害を受けている真相を伝えました。義父に師父の済南での説法の録音を聞かせ、また『轉法輪』を読ませました。彼は真剣に読んでいました。読んだ後の感想を聞いたところ、義父は「本は良かった。テレビで言われているようなものではなかった」と言いました。義母の協力と説得の下、義父も中共を脱党しました。義父は真相を理解したため「大法は素晴らしい」と言いました。その一言の正しい言葉によって、当時命の危機に瀕していた義父は、さらに5年間生き延び、亡くなる前には一切の苦しみもなく、病気をせずに天寿をまっとうしました。
義母も修煉を始め、大法の中で数年間修煉しました。若い頃は美しく、おしゃれ好きだった義母は、年老いて背中を丸め、背中が曲がっていました。法を学び、煉功した後、義母の背中はまっすぐになり、顔色も良くなりました。
政治・法律システム(訳注:政治や法律が機能するための仕組み)で働く兄と兄の妻が三退した
夫の家には兄弟が3人いて、兄は市検察庁で働いており、義姉(訳注:兄の妻)は市裁判所で働いていました。兄と義姉は2人とも地位が高く、中共の忠実な信奉者でした。中共の宣伝の影響を最も受け、毒害されていました。兄と義姉は「神や佛や鬼なんて、本当に笑える。迷信やばかばかしいものだ」と感じていました。さらに兄と義姉の職業も合わさり、大法の素晴らしさを受け入れて三退するのは、本当に難しいことでした。
私は、段階的に進める方法を使って、兄と義姉に法輪大法の素晴らしさを、少しずつ感じてもらうことにしました。私が修煉を始めてから、兄と義姉に直接は伝えず、傍観者の立場から法輪大法の素晴らしさ、法輪大法の不思議さについて話しました。私たち(訳注:私と義姉)は兄弟の妻同士でとても仲が良く、お互いに批判したりせず、何かあってもうまく解決していました。
義姉は私の体のことを心配してくれていました。そこで、私は「私は今、ある功法を学んでいます。とても良いのですが、お義姉さんたちには言っていませんでした」と言いました。義姉は「どんな功法でも、あなたの体調が良くなればそれでいいです」と言いました。そこで私は、夫に真相を伝えた方法で兄と義姉にも伝えました。兄は真相を聞いて、すぐに「脱退しよう、脱退しよう」と言いました。義姉は、ためらいながら「このまま脱退するのですか?」と言いました。私は「最初に血の誓いを立てた時、誓った言葉は自分の命を捧げ、中共と共に歩むことでした。私たちは毒の誓いを取り消さなければなりません。そうでなければ、中共が行った悪事の責任は、あなたにも一部あることになります。神は人の心を見ています。心を込めて脱退すれば、所属機関に申請する必要はなく、ペンネームや化名でも効果があります。脱退すれば平安を保てます。命は大切なものですから、中共の副葬品になってはいけません。脱退すれば、大淘汰が来てもあなたには関係ありません。平安を保てるということはすばらしいことです」と言いました。兄は「これは重要なことだ。脱退しよう、早く脱退しよう」と言いました。こうして、兄と義姉はそれぞれ化名を作り、三退しました。
2006年の7月の夏休み中、兄の息子が広州から祖父母(訳注:私の義理の両親)を訪ねるために戻ってきました。私は彼(訳注:兄の息子)に大法の真相を伝え、中共から脱党するように勧めました。兄の息子は法輪功が迫害されていることを知っていると言いました。学校で誰かが彼に話してくれたそうです。私はすぐに「それなら、脱退しましょう」と言いました。同修が目の前で準備をして、甥(訳注:兄の息子)は喜んで中共の組織から脱退しました。また一つ、命が救われました。
(続く)