文/中国湖北省の大法弟子
【明慧日本2024年1月4日】私は28年間、法輪大法を修煉しています。今年、70歳に近づいており、この3年間の修煉体験を同修のみなさんと交流しようと思います。何か不適切なところがあれば、慈悲なるご指摘お願いいたします。
一、家庭資料拠点を構築するなかで、内に向けて探すことを学ぶ
2020年の旧暦の元旦に、新型コロナウイルス(武漢肺炎)の影響で都市封鎖が行われ、学法グループが停止され、また、外に出て対面で法輪功迫害の実態を伝えることができなくなりました。法輪功の真相資料(以下、資料)を提供していた同修Aさんも当時、南方で孫の世話をしていて、老いた連れ合いが亡くなっても自宅に戻って来られない状況でした。Aさんの家族が資料の印刷を手伝ってくれましたが、よくトラブルが発生していました。そこで、Aさんが南方に行く前に、私は何度か自分が資料を作成したいと申し出ましたが、Aさんの家族は同意しませんでした。どうしようもない状況でした。
3月になってやっと都市封鎖が解除され、私は自分が持っているすべての貯金、1万元を協調人の同修に渡し、インターネットにつなげられるパソコンを買ってくれるように依頼しました。同修は中古のノートパソコン1台と新しいプリンター2台を購入し、インクも用意し、これらの機器を私の家に届けてくれました。こうして、私の家にも資料拠点ができあがりました。
数日後、技術担当の同修が私の家にセキュリティソフトをインストールするためにやって来ました。私は非常に喜び、つい「IPPOTV (aibo TV) もインストールしてください、見てみたいです」と言ってしまいました。思いがけず、その同修が怒鳴りました。「IPPOTVなんかインストールしたくません、IPPOTVを見るなんて!」と。冷水をかぶったように、私の笑顔がこわばり、何を言えばいいのか分からなくなりました。私は非常に不快になり、顔に泥を塗られたように感じました。
同修が去った後、私の心は長い間落ち着かなくなりました。「なぜ私にあんな態度だったのか? 私はこんな扱いを受けたことがない。私に何もできないと思っているのか? 私はIPPOTVのソフトウェアを持っている、自分でインストールもできる。ずっと前に別な場所でそれを見たことがあり、インストールしたこともある。資料印刷だってできる。2000年にはガリ版刷りのため、原紙を切り、手動で資料を印刷したこともある。私をどう思っているのか、私はただ謙虚だけなのに…」とネガティブな考えが押し寄せました。
突然、私は驚きました。「こんな風に考えるのは修煉者なのか? 私は自分を常人と思っている。なぜ内に向けて探さないのか? 自分がどこで誤ったのかを探すべきではないのか? そうだ、私は内に向けて探したことがない。特に人を救うプロジェクトや集団活動のなか、私はいくつかの面で、自分がまだできる人だと思っていました。これは党文化の毒素が自分の身に現れたのではないでしょうか? 人に言わせない、聞きたくない言葉を好まないのです。
私は内に向けて探しました。同修の一言が私の多くの執着心を露わにしたことに気づきました。人を見下す心、闘争心、面子を保ちたい心、顕示心、焦る心…たくさんの人心を見つけました。私は正念を発し、それらを取り除いた後、心がとても軽く、快適になり、かつてない感覚を覚えました。
ソフトウェアをインストールした後、同修は私に一度だけ電源を入れる方法と印刷の方法をデモンストレーションしてくれました。同修が去ると、私は待ちきれずに32ページまである資料の印刷をはじめ、たくさん印刷しました。しかし、すべてのページが印刷されたものの、片面印刷でした。どうしよう? 急いでAさんのところに訪れ、見てもらうよう依頼しました。我が家に訪れたAさんは表情がとても悪く、マウスを数回クリックしてから、マウスを投げて、「あなたはできるんじゃないの? 私にはできないわ!」と言って去りました。
Aさんの背中を見送りながら、私は多くの不満を抱きました。「当時は私が衣食を削ってパソコンを購入し、あなたに学ばせ、あなたに使わせた。これまで長い間、あなたはそのパソコンを使ってきたのに、なぜできないのだろう? あなたの大型ノートパソコンや新しいプリンターも私が購入してあげた物ではないか? 私は個人のことを頼んでいるわけじゃない、これは人々を救う仕事よ! なぜ私があなたに虐められなければならないのか? 考え込んでいるうちに、何かがおかしいと気づきました。なぜ、Aさんは私に対してこんな態度なのか? もしかして、私に何か問題があるのではないかと思い、内に向けて探してみることにしました。
そして、見つけました! 機械を買った後、私はこの数日間、Aさんの前であまりにも興奮していました。Aさんにはもう頼らなくていい、私にもプリンターがあると思っていました。これは闘争心、嫉妬心、競争心、負けず嫌いの心など…またしても、たくさんのほかの人心も見つけ出しました。
師父はこう説かれました。「それはあなたが衆生を救い済度するためであっても、法を実証するためであっても、または個人の修煉の向上のためであっても、魔難は同じです。あなたが大法のために何かを行なっているから、衆生を救い済度するために何かを行なっているからといって、魔難が来なくなるというわけではありません」(『各地での説法八』「二〇〇八年ニューヨーク法会での説法」)
師父のこの説法の内容は、先日、私が『明慧週刊』の同修の交流文章から抜粋したものでした。師父は常に私を見守って下さり、私が直面したこれらの出来事は、みな私の向上を助けるためのものであり、これは素晴らしいことではありませんか?
私がマウスでプリンターのアイコンをクリックすると、マウスポインターが「さらなるオプション」、「範囲」 、「すべてのページ」 の順にクリックし、「すべてのページ」の右のボックスをクリックし、そして奇数と偶数が表示されることを目にしました。これは師父が私に印刷のやり方を教えてくださったのです! 私は丁寧に元の印刷物を奇数と偶数に分けて並べ、ページを裏返して奇数と偶数を印刷するように設定すると、成功しました! その後、私は『明慧週刊』や資料を作成する際には、いつも真剣に操作しました。
それから数年後、その中古ノートパソコンの速度が遅くなったため、私はそれを引退させるしかありませんでした。技術担当の同修は、初めてこんなに優れたパソコンに出会ったと言い、十数年間使用し、その使命を果たしたので休憩させるべきだと言いました。別な同修は、自分の古いノートパソコンに新しいSSDを取り付け、セキュリティソフトをインストールした後、私に譲ってくれました。このノートパソコンは非常に協力的で、速度も速く、今日まで順調に使用しています。
二、静かに補充する 正念を持って資料拠点を引き継ぎ、共に向上する
2021年、私たちの地区では中共ウイルス(COVID-19)ワクチンを強制的に打ち、各街道やコミュニティが1人ずつ確認していました。ある日、70代の同修Bさんが私のところにやってきて、村長が補助警察と暴力団の人たちを連れて彼女の家を6回も訪れ、ワクチンを打つように迫られたBさんは、国の規定ではワクチン接種は自発的であると伝えましたが、相手は聞き入れませんでした。迫害の実態を伝えても相手は聞く耳を持ちませんでした。そこで、補助警察官が冷酷な言葉で言いました。「打たないなら、今すぐにでもお前の家の2階を捜索しに行くぞ!」
Bさんは十数年間、複数の学法グループの同修に資料を供給して来ました。今回は、前日に資料を多く作成したため、まだ残りが2階にありました。彼女は不安になりました。その一味はBさんを引きずって車に乗せ、村の委員会に連れて行ってワクチンを打たせました。戻ってきた後、Bさんは少し怖くなりました。悪い人たちが、資料を作っている彼女のことを見たり聞いたりして、捜査に来ることを恐れていたからです。Bさんは私にこう言いました。「今回は怖くないと言ってもそれは嘘です。もう無理です。耐えられない」と。年配のBさんの様子を見て、私はBさんが本当にすごいなと思いました。十数年間、圧力に耐えながら、黙々と同修らに資料を提供して来たのです。私は急いでBさんを慰めました。「心配しないで、師父がいらっしゃいます! 誰もあなたに手を出すことはできません。邪悪は見つけられないし、入ってこられません!」
当時、私に一念が生じ、Bさんに伝えました。「すべてを梱包して、最も安心できる場所に運びましょう」。最も安心できる場所とは私の親戚の家です。Bさんは私の親戚と面識があり、以前にも機器を保管してもらったことがありました。Bさんはこれで元気を取り戻し、私たちは時間を取り決め、連絡時の言葉も決めました。Bさんを送り出した後、私は自転車で急いで親戚の家に向かいました。途中で師父に弟子を加持してくださるようお願いしました。ちょうど法を得たその親戚一人だけが家にいて、私は彼女と機器保存のことを約束しました。
約束の時間になると、私は再びBさんを手伝って機器を運びました。2回往復しましたが、大きさの異なる袋がたくさんあり、親戚の女の子たちが尋ねました。「この人、なぜこんなにたくさんのものを運んできたのですか?」。親戚は余裕を持って答えました。「姉さん(私を指す)が借りている家が小さすぎて、物が置けないんだよ」。親戚の女の子たちは、私が故郷の小さな町で借りている家がとても小さいことを知っており、以前にも自分たちの家に物を預けたことがあるので、誰も疑問に思いませんでした。
機器を配置した後、親戚の女の子たちが家にいない時に、私は資料の制作を担当し、いくつかの学法グループの20人以上に『明慧週刊』を供給しました。私は悟りました。すべては師父が既に手配してくださっていることで、私は師父のお手伝いをするために、ただ手を動かし、足を運ぶだけなのです。
前の2年間、私の小さな資料拠点は自給自足ができ、必要に応じて資料を作成していました。この資料拠点を引き継いだ後、私はBさんの難しさを深く体験できました。迫害が最も狂暴な時期に、Bさんは『明慧週刊』や人々の済度に必要な資料の小冊子、迫害の真実のDVDを作成していました。そして毎週、1日利用して山岳地帯の農村部に行き、真相を伝え、資料を配布しました。そのためバイクは2台も壊れました。休日には子供たちが大都市から帰って来るため、Bさんは料理を作り、部屋を片付ける必要がありました…これほど長い間、Bさんは同修から一銭も受け取ったことがなく、すべて自分のお金で消耗品や機器を購入していました。いかに素晴らしい同修でしょうか。Bさんに比べてみると私は本当に自分が恥ずかしくなりました。
私の住んでいるコミュニティには、不当に連行されてしまい、今も拘束されている同修がいます。私は場所を変えて、資料を作成したいと思っていました。ちょうどある年配者の同修の自宅が適していました。私がインターネットにつなげて、資料のダウンロードや印刷をし、その年配者の同修が装丁、搬送、消耗品の購入を担当しています。私たちは非常に良い協力関係を築いています。私は明慧ラジオの『明慧週報』、『明慧週刊』、正法時期大法弟子の交流、法会の交流の音声ファイルをダウンロードし、MP3やTFカードに入れて年配者の同修に聞かせ、師父の新しい経文をタイムリーにダウンロードしています。
私たちは一緒に法をたくさん学んでいます。さらに20人以上の年配者の同修を見つけて集団学法に参加してもらい、多くの助けを受けました。70歳以上の多くの年配者の同修は、毎日、早朝に煉功をしており、20年以上にわたって毎日堅持しています。その影響を受けて、私も早起きして煉功し、安逸心と怠け心を修めることができました。
(編集担当者:林暁)