修めて負けず嫌いな心と怨恨心を取り除く
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 文/中国の大法弟子

   【明慧日本2024年1月6日】私は幼いころからギャンブルをしていました。口を開けば喚き散らし、ちょっとしたことでも喧嘩をするような人間でした。 私が道端に立っていると、通りすがりの人はすぐに私を避けるように遠回りして歩いて行きました。 村の人々は、私に対して非常に正確な認識を持っていました。例えば「子供が親の言うことを聞かなければ、あの人に言えば問題は解決するでしょう」と言われており、それでも子供が親の言うことを聞かなければ、「誰だれさんの家に連れて行くよ 」と話すと確実に効き、私の噂をすれば老母猿(地元の怪物のこと)を持ち出すよりも効くのでした。地元の大人も子供も私のことを怖がっていたのです。

 このような私が、2014年に法輪大法を修煉し始め、変わりました! 同時に、私の妻も法輪大法の修煉を始めました。 妻は法輪大法を修煉する前、首にリンパ腫があり、2回手術を受けましたが、結局医者に見放され、家で死を待つしかありませんでした。 法輪功を修煉した後、妻は元気になり、それはとても奇跡的でした!

 一方、私の骨まで沁みた気性の激しい性格を変えるのは、そう簡単ではありませんでした。気に食わないようなことに遭遇すると、やはり我慢することができませんでした。

 先日、妻と一緒に同修の家に行きました。そこの夫婦は大法修煉者です。 同修のご主人が「私は、仮設住宅を建てようと思って、費用対策や構築方法について同修のAさんに相談してみようと思っています」と話し始めました。その話を聞くや否や、私は火が付いたように「 Aさんだって? 彼が何を知ってるというのですか?」と責めました。実は、私は同修のAさんに偏見を持っていたのです。その時は気づきませんでした。 同修のご主人は、「間取りはどのようにしようか、どうしたらいいだろうか?」と続けました。私は聞いているだけで焦ってしまって「 素人の話ばかり言わないでください。私が誰か任せられる人を見つけてきますから、あなたは素人だから......」と強い態度と口調で言いました。言葉のふしぶしに同修を見下す心が混じっていました。 それを聞いていた妻は、「話すときは、口を修めることに気を配る必要があります。強い口調で話すのはやめましょう」と言いました。 私は、これを聞いた瞬間、自分の言葉が良くなかったことにすぐに気づきましたが、面子の壁があったので認めることができませんでした。

 帰り道、妻は「あなたは、あまりにも性格が強く、強い内面は多かれ少なかれ悪意を帯びています。それは他人を見下すことです」と指摘しました。その時、自分が間違っていることがわかりました。そして「これからは善をもって同修に接しよう」と心に決めました。

 数日後、私はトラックを運転して会社の貨物を届けにいきました。妻も付いてきました。帰る途中、会社から画像が携帯に送られてきました。それは、車検の手続きの書類でした。妻は私に「これはあなたが保存しておいてくださいね。削除しないでね」と言いました。 私はすぐに腹が立って、これは私を見下してるではないかと思ったので「あなたは私が3歳の子供だと思ってるのか?  私が知恵遅れだとでもいうのか?」と喚きました。 すると妻は、「私はそんな意味で言ったのではありません。ただ、あなたがよく携帯電話の写真を削除するので、あなたがうっかりして、この写真も一緒に削除してしまうんじゃないかと心配しただけです」と説明しました。 しかし、私は「いや、違う! あなたが言ったのはそういう意味ではない!」とまた理不尽なことを言ってしまいました。

 妻は、私の言葉を聞いて黙りました。道中、一言も喋りませんでした。「明らかに私のことを見下しているのに、私と一言も喋らないなんて」と腹が立って仕方ありませんでした。 その時、突然体の半分がおかしいと感じ、痛くてしびれを感じました。

 妻は、夕方法の勉強会から帰ってきても、何も話さずに料理しました。そして、夕飯食べている時も無言のままでした。私はさらに腹が立ちました。寝床に入った時、妻に「あなたが、私に意地を張り通しているので、私は今、半身が痛くなって手も足も動かない.....」と、たくさんの理不尽なことを話しました。すると妻は、「私が意地を張ってるではなく、あなたと話すことを恐れているのです。私はあなたが落ち着いて『内に向けて探す』ことを願っているのです。毎日この人が嫌い、あの人が駄目だ、誰でも見下しており、 身体が正しくない状態が現れた今、これはあなたにとって、自分の至らなさを見つけるためであり、内に向けて見つめるための警鐘なのです」と言いました。妻の言葉で私は突然目が覚めました。私が妻を誤解していたことは確かでした。 自分はちっとも修煉者らしくありませんでした! 強情っ張りで不平不満が多く、他人を見下すような態度は修煉者が修めて取り除くべき心です。修煉者は慈悲心を持って穏やかであって、傲慢な態度を取るべきではないのです。このような心は、私にとって大きな障害であり、子供のころから骨の中に浸透していたのです。真に修煉をしたいなら、このような心を取り除かなければなりません。また、私の法に対する態度は真剣なものでなければならず、それに気づいたら改めなければなりません。そうでなければ、修煉してないことに等しいのです。

 自分が間違っていることに気づいた時、私はすぐに正念を発しました。私を支配していたこの間違った自我の考えを取り除き、心の中で師父に自分の間違いを認めました。「師父、私は間違っていました。必ず改めます。師父に心配をかけたり、師父を失望させたりすることは二度とできません」。翌朝、起きて煉功をしていると、体の症状はすべて消えていきました。 私は、師父が私の病業の仮相を取り除いてくださることを望んではいませんでしたが、ただ自分の過ちを認めました。その結果、仮相は本当に消えました。 師父、ありがとうございます。 そして、妻にも自分の態度の悪さを詫びました。 そして、今度あの夫婦に会ったら私は謝ろうとも思いました。

 党の文化に深く染まった人は、過ちを起こしても謝りません。 負けず嫌いというのは党文化のものであり、負けず嫌いな人は他人と共存できず、他人を許す方法を知らず、他人と協力して物事を進めようとせず、修煉者が黙々と見守って声援することとは正反対です。 実は、この心は長い間私を悩ませてきました。以前はどうすればこの心を取り除けるのか、なくすことができるのか、分からなかったのでこの心について書き、暴露することできっぱりと取り除くことにしました。

 今では地元の人たちはみんな、私が大法を修煉していることを知っており、私の変化を目の当たりにしています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/12/19/469444.html)
 
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