中国法会|中学校教師が校内で法輪大法を実証する(一)
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2023年1月13日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修のみなさん、こんにちは!

 私は1997年に法輪大法の修煉を始めました。今年64歳で、退職前は中学校の教師でした。1999年7月、中国共産党(以下、中共)は法輪大法への迫害を開始しました。その後、退職するまでの約10年間、私は堂々と大法を守り、本校の学生や教職員に真相を伝え続けました。第20回明慧ネット中国法会が始まりました。師父に、これまで私が仕事場で法輪大法を実証してきたことをご報告致します。

 (一)学生が法輪大法に対する誹謗中傷を含む問題に答えないように阻止する

 2002年春のある日、本校の中学3年生の学力試験の模擬試験が行われました。私は試験監督を務めました。この学年は8クラスあり、約400人の学生がいました。政治科目の試験の時、試験問題が配布された直後、同じ試験場で監視を担当している同僚が私に手を振って、ある問題を見せてくれました。一目見て、法輪大法を誹謗中傷する問題だとわかりました。最後の大きな問題で、配点もかなり高かったのでした。この同僚は法輪大法の真相を理解していました。私は彼女が教えてくれたことに感謝しました。

 私は振り返って外へ歩き出すと、同僚が私を止めようとしましたが、止めることができませんでした。私は「どうすればよいか? 絶対にこのような問題を学生に答えさせてはならない。それは衆生を破壊し、大法に対する犯罪を衆生にさせることだ。私は誰を探しにいけばよいののか? そうだ。校長先生に直接相談しよう」と思いました。当時、この校長は、私の学校に赴任してからまだ6カ月しか経っていませんでした。

 私は校長室のドアをノックしました。中には校長と用務員がいました。用務員は校長の書棚を修理していました。私は校長に「校長先生、私は、あなたとだけ話したいことがあります」と言いました。校長は、用務員に出て行くように合図しました。私はすぐに校長に「現在、政治の試験が行われており、その中に法輪功を中傷する問題があります」と言いました。校長は「これらはすべて購入した問題集です。学生に練習させて、万が一中学の学力試験でこのような問題が出たらどうなるでしょうか」と言いました。私は「こんな問題には答えられません。大法の師父は、『天上の神々は皆、地上の衆生が何をしているのかを注視しており、その善悪を記録している』とおっしゃいました。法輪功は中傷されています。(中共の)過去の運動はいつもこうでした。まず宣伝を行い、次に罪を着せて陥れ、最後に全国民を動員して批判します。劉少奇の批判も、そうやって行われたのではないのですか? 政策は頻繁に変わり、後に無罪を与えられました」と言いました。校長は笑って「あなたは重大な問題についてよく理解しているね。考えてみます」と言いました。

 私は校長に礼を言って、試験会場に戻りました。私は座り「私は、中共が大法に対して衆生に犯罪を犯させるようなことは、絶対に許しません。この学校の場で起きることは、私にかかっています。師父、どうか弟子にご加持を与えてください。大法を迫害するすべての邪悪要素を徹底的に解体してください!」と強力な正念を発しました。少し待ちましたが、動きはありませんでした。私は再び校長を探しに行きました。すると、校長が教務(訳注:教科書の選定や進路指導など、教育や学習に関する事務)主任と話しているのを見ました。私は「校長、試験開始からもう20分以上経ちました。もうすぐ、この問題に答える学生が出てくるでしょう」と言いました。校長は「わかりました」と言いました。

 私はまた試験会場に戻り、正念を発し続けました。しばらくすると、教務主任が十数枚のメモを手に持ち、各試験場に一枚ずつ配り、試験監督を任されている教師にメモの内容を黒板に書き写させました。私と一緒に試験監督をしていた同僚がメモを受け取り、黒板に「第5問の論述問題は、解答してはいけません!」というこの言葉を書き写しました。同僚はこの言葉を書き終えると、すぐに振り返り、笑顔で私に向かって親指を立てました。こうして、数百人の学生が、法輪大法を誹謗中傷する重罪を犯すことを、間一髪で避けることができました。

 その間に、もう一つのちょっとしたハプニングがありました。私が校長室から1回目に出てきた直後、仲の良い同僚数人が集まって、私をどこに探しに行けばよいか相談していました。なぜなら、一緒に試験監督をしていた同僚が彼女たちに、私が試験会場から出て行ったまま行方不明だと告げていたのでした。彼女(訳注:一緒に試験監督をしていた同僚)は、私が「まずいことになる」、「罰せられる」と心配していました。

 彼女たち(訳注:仲の良い同僚数人)は、私が校長室から出てきたのを見ると、みな驚いて「私たちは、あなたは絶対に校長に会いには行かないと考えていました。学校の首脳部の先生たちのところには、私たちはすべて行きましたが、あなたはどこにもいませんでした。私たちは、あなたはどこに行ったのだろうかと考えていました」と言いました。私は「校長に直接話すのが一番です。問題を解決することができました」と言いました。その後、同僚たちは、私を「勇敢で力強い」と、次々と称賛しました。

 2年目(訳注:校長が赴任してから2年目)、校長は私を英語科教科研究会(訳注:学校内の教員が教科の指導や研究を行うために行う会議や活動)長に昇進させました。

 (二)授業中に学生に真相を伝える

 1、最後の授業

 1999年の秋、私は1年生のクラスの担任の仕事を引き継ぎました。教育の仕事をしっかり行いながら、時々学生に法輪功の真相や伝統文化、人としての道理について伝えました。私は大法を堅く修めていたため、後になって学校は私に担任をさせなくなり、そのクラスの教科担当授業だけになりました。しかし、学生は依然として私を信頼し、師生関係(訳注:教師と学生との関係)は依然として良好でした。

 2002年6月20日は、この学年の学生たちが学校にいる最後の日でした。本来、そのクラスの最後の授業は別の先生が担当するはずでしたが、その先生が用事があったため、私が代わりに担当することになりました。授業中、学生全員が一致して「先生、これは私たちの卒業前の最後の授業です。今日は授業を受けなくてもいいですか? 代わりに、先生が物語を話してください」と要求しました。私は「いいですよ、では、修煉の話をしましょう」と言いました。その時、全クラスの40人以上の学生の視線が同時に壁の監視カメラに向きました。私は「クラスメイトのみなさん、恐れることはありません。先生が歩んでいるのは、最も正しい道であり、行っていることは、最も正しいことです。ですから、みなさんは恐れることはありません」と言いました。次に、私は釈迦牟尼佛の物語と歴史上のいくつかの謎について話しました。次に、私は法輪功について話しました。

 ある学生が「『天安門焼身自殺』とはどういうことなのですか?」と尋ねました。私は、学生たちに「偽りの天安門焼身自殺事件」の疑問点を話しました。天安門広場の警官がなぜ消火器を背負ってパトロールしていたのか、劉思影(訳注:劉思影は焼身自殺した時に炎によってのどが切断された。救助隊員に担架で運ばれて病院に搬送された時に、彼女はまだ歌を歌うことができ、この疑問点から天安門焼身自殺が中共による自作自演であるという疑惑が浮上した)の喉が切断されていたのになぜ歌えたのか、などでした。クラスメイトたちは、みな驚嘆していました。

 授業が終わる直前、学生たちは次々と「先生、私たちに一言お願いします」と要求してきました。私は「クラスメイトのみなさん、明日は卒業です。私が皆さんに贈る『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』という一言を、どうか忘れないでください」と言いました。クラス全員が拍手しました。こうして、この学年の学生たちは、中学校の最後の授業を終えました。

 2、「先生、私は『靴が脱げた』と言ったのです」

 学校の指導部は、圧力がかかっている状況で私が学級担任を務めることを許可しませんでした。しかし、私の優れた教育実績により、学校は、中学3年生の英語の授業について、中学学力試験の責任者として、私に連続して担当させました。きっと師父は私にもっと多くの学生に接する機会を与えたかったのだ、と私は思いました。学年の新学期になるたびに、私は知らない学生たちと出会いました。そして、できるだけ早く学生たちと距離を縮め、授業の中で法輪功の真相を伝えました。私は毎年、学生たちに真相を伝えました。単独で伝えたこともありましたし、主に授業の中で伝えました。単独で学生と接する機会と時間は限られていたからでした。一方、授業で伝えれば、すべての学生に伝えることができました。真相を伝える時はいつも、ある話題やきっかけを借りて、段階的に、自然に、真相の内容に引き入れました。

 ある学年のあるクラスで、私が担当になってから1カ月経っても、なかなか真相を伝える機会がありませんでした。そこで、師父にご加持をお願いしました。ある日、私の夜間の授業で、私が授業をしていたところ、下から「邪教、邪教」という学生の声が聞こえました。声は小さかったのですが、それでも全員に聞こえました。ちょっと見てみると、小柄な男子学生が言っていました。すぐに話を続けて「クラスメイトのみなさん、根拠のないことを言ってはいけませんよ!」と言いました。その後、私は学生たちに法輪功の真相を伝え始めました。30分以上話しましたが、学生たちは息を飲んで、真剣に聞いていました。私が話し終えると、学生全員が拍手をしました。

 授業が終わり、私は教室を出ようとしていました。すると、先ほどの小柄な男子学生が走ってきて、私に「先生、私は『邪教』とは言っていません。『靴が脱げた』と言ったのです(訳注:『邪教』と『靴が脱げた』は中国語では同音異義語)」と言いました。私は「ああ」と一声言って、その小柄な男子学生を見て笑いました。私にこの単語の同音異義語を聞かせてくださったことで、学生たちに真相を伝える機会を与えてくださり、師父に感謝致しします。

 ある日、校長が私を呼び出し、彼のオフィスへ私を連れて行きました。そして、彼は私に「今後の授業における注意点ですが、現在はどんな父兄もいるということです」と言いました。真相を知らない父兄が校長のところへ「告発」してきたのだ、ということが私にはわかりました。私は動じず、正念を発しながら、機会を逃さず校長に真相を引き続き伝えました。真相を伝え終えた後、私は「校長先生、法輪功を修煉している私の体調は良好で、欠席や病欠もありません。また、学校で何か良いことがあれば、私は争うことなく、他の人に譲ってきました。私は、個人的な利益のために、校長先生を訪ねたことは一度もありません。ですから、心配しなくても大丈夫です」と言いました。校長は、私のこの話を聞いてとても喜び、満面の笑みを浮かべました。私は、その機を逃さず、校長に三退を勧めました。彼は、中共の組織から脱退することに同意しました。

 3、真相を理解した学生は善良な選択をした

 真相を理解した学生たちは、卒業後、学業を続けるにしても、就職するにしても、法輪大法に対して正しい念を保つことができました。ある夏休み、私が教えた学生が学校にバスケットボールをしに来ました。その日はちょうど私が当番の日でした。その学生は私を見てとても喜び「先生、今日は学校に来たら、先生に会えたらいいなぁと思っていたら、本当に会えてうれしいです」と言いました。その学生は、自分は大学院生で指導教員はドイツ人だ、と言いました。その学生は、そのドイツ人の指導教員とよく国際情勢について話し、また信仰についても話しました。その学生は、彼の指導教員に、私の人柄や状況などについて話しました。その学生はまた、自分(訳注:その学生)に法輪功の真相を教えてくれたことにとても感謝している、と指導教員に言いました。そして、そのおかげで彼は騙されずに済んだ、ということを指導教員に言いました。最後にその学生は「先生、あなたはとても善良です。私もあなたのように生きて、働きたいです」と言いました。

 また、一人の男子学生が、ある日、私の家に来て、私にこのように言いました。彼は現在、仕事を見つけることができず、社区から法輪功修煉者を監視するように言われ、一日いくらかのお金をもらえると言われたそうですが、彼はそれを断りました。その男子学生は「あなたのような善良な人を監視・尾行するなんて、私にはできません」と言いました。私は、その男子学生がそのようにすることは正しいことであり正義の行為だ、と励ましました。

 三退の大潮流が始まってから、私の地域の同修たちは、次々と家を出て、大通りや路地で真相を伝え、三退を勧めました。ある日、ある同修が私に、彼女(訳注:ある同修)が三退を勧めている時に一人の小さな女の子に出会った、ということを話しました。同修が法輪功の真相を伝えていると、相手がすぐに私の名前を挙げ、彼女(訳注:小さな女の子)の当時の担任教師が法輪功を修煉していたこと、そして彼女は法輪功のことを知っていることを伝えました。同修は、その小さな女の子に、かつて加入していた共産党の共青団と少年先鋒隊の組織から脱退するように勧めました。彼女は喜んで同意しました。

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/11/467804.html)
 
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