【明慧日本2024年1月16日】昨晩、私は第20回明慧ネット中国法会の一部の記事を読み、とても感動しました。「真の修煉とは何か」が書いてあり、同修の文章を読んだ後、「法を正す進展に遅れないように、きっと師父が私を励ましてくださったのだ」と思いました。私は今朝、静かに法を暗記し、『轉法輪』を10ページ以上暗記しました。
私は突然、「金佛(師父評注)」の記事で言及した二人の修煉者と同じように、「私の根本的な執着心は、修煉する前からの『利益を求めること』だった」ということに気づきました。私はこれまで、自分のこの執着を認識していませんでした。
「金佛」の中でこう書かれていました。「ある屠殺の仕事をしている人が町で二人の佛を修めている人に会い、二人は西方に佛に会いに行くと言って、一緒に行こうと彼を誘った。彼は『私が余りに汚いので、そういう資格はない。でも、私の真心を持っていってください』と言った(この人は仕事が良くないが、佛に対して真心から崇敬し敬慕している、ということを物語っている)。そして、彼は自分の心を抉り出して二人に言付けた(この人が佛に対して疑うことなく、崇敬し敬慕していることを物語っている)。二人は彼の心を持って西方に行って佛に会った。佛はお湯が沸いている巨大な鍋を指して、中に飛び込む勇気があるのかと二人に聞いた。二人は躊躇して、とりあえず預かっている心を試しに入れてみようと思って(この二人の修煉者は佛の話を完全に信じておらず、人間の心で佛を量っていることを物語っている)、その人の心を入れたら、金佛になって出てきた(これはその人の心の本当の境地の現われである)。二人はそれを見て、すぐ鍋に飛び込んだが(この二人の悟性が低く、目で確認しないと信じないという考えがまだ残っている。自分がほしいものを確実存在すると確認してからようやく佛の言うとおりに行動する、ということを物語っている)。しかし、出てきたのが二本の揚げパンだった(これはこの二人の心の境地の本当の表れである)」
私は1980年代に大学に通ったので、無神論、進化論、現代の歪んだ概念に大きな影響を受けました。2008年、私は法輪大法の経典『轉法輪』を読みました。法輪功の五式の功法も学びました。しかし、迫害があったため、他に修煉できる法門はないのだろうかと考えました。
山中で修行をしている寺院や僧侶を訪ねるのに4カ月かかりました。 それらの僧侶や道教の僧侶たちは、修煉の本当の意味をまったく理解していないことがわかりました。法輪大法の奥深い内容に匹敵するものはありません。
ある子供弟子が、天目で私の体に法輪があるのを見たことがあり、それが私に再び修煉を始めるきっかけを与えました。
第20回明慧ネット中国法会の記事を読むことで、自分の根本的な執着を見つけました。これからも毎日必ず明慧ネットの文章を読み続けていこうと思いました。