中国法会|中学校教師が校内で法輪大法を実証する(二)
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2024年1月19日】(前文に続く)

 (三)大法弟子は他人を優先し自分自身を後回しにし、教職員の同僚が真相を理解する

 迫害への抗議活動が始まってから、法輪功修煉者は師父のご指示に従い、大法の真相を伝え、中国共産党(以下、中共)の嘘に惑わされた衆生を救い済度する正義の行為を開始しました。最初は、うまく話せませんでした。時には、中共に対する怒りをこめて話すこともありました。その後の学法で心を修めていくと、私は徐々にうまく伝えられるようになりました。仕事上で純粋な行いをすることで、真相を伝える基礎を築き、教職員の同僚のほとんどが真相を理解するようになりました。真相を受け入れない同僚は真相を信じることができず、見ようともしませんでした。私は、彼らの態度や言葉に動かされず、師父の説かれたとおりに、常に慈悲を持って彼らと接し、彼らが将来救われるための基礎を築き、準備をしました。

 師父は「大法弟子が修めているのは『真善忍』なので、衆生に慈悲を持たなければなりません。資料を読んでくれれば慈悲にしてあげますが、読んでくれなければ慈悲でなくなるのはいけません。それはいけません。(笑い) 人を救うことだから、根気が要ります。それこそ、大法弟子の慈悲なのです」(『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」)と説かれました。

 「共産党についての九つの論評」が発表された後、大法弟子は三退を勧め始めました。私はあらゆる機会を逃さず、三退を勧めました。授業がない時は、各オフィスを回って、オフィスにいる人が少ないか、あるいは一人でいる人を見つけたら、すぐに声をかけて三退を勧めました。私の学校の正門から教室棟までは、徒歩で5〜6分でした。毎日、朝と昼に仕事に行く時に、正門で同僚に会ったら、私は積極的に同行しました。そうすると、教室棟に着く頃には、三退について基本的なことは話をすることができました。短い期間のうちに、同僚の半分以上が中共の組織から脱退しました。

 ここでは、心性の摩擦がある(訳注:真相を受け入れない)同僚とどのように接し、三退を勧め、大法弟子の風貌を示したのか、いくつかの例を挙げたいと思います。

 1、同僚のAさん

 同僚のAさんは、私と同じ学科を教えていました。年齢は私より若いですが、普段から仲が良く、授業の行い方や生活のあらゆる面で彼女を助けました。その後、子供のために、Aさんは重点中学校に転属したいと考えるようになりました。そのためには、実演講義が必要でしたが、うまく話せるか不安だったので、私に手伝ってほしいと頼みました。私は、Aさんのために、レッスンプランの作成、教材の作成、授業のすべての段階で、彼女のためにアイデアを出し尽くしました。Aさんは実演講義に成功し、重点中学校に転入しました。彼女はとても感謝しました。

 その後、1年以上経った頃、私は中共の迫害により住居を追われ、Aさんもそのことを知りました。Aさんがまだ三退していないことを思い出し、私は彼女の家に行って真相を伝えようと思いました。Aさんに電話して、彼女の家に行きたいと伝えたら、彼女は了承してくれました。しかし、翌日にAさんの家に行く前に、彼女の家へ電話をかけたところ、彼女の息子が出てきて「母は地方で勉強していて、家にいません」と言いました。電話を置くと、私は少し気落ちしました。その後、Aさんからも私に電話をかけて説明してくれることはありませんでした。Aさんへの過去の自分の尽力を思い出し、私は少し悲しくなりました。しかし、すぐに、衆生に対して恨みを抱くべきではないことに気づきました。中共の長年の強権政治は、中国の人々の心に恐怖心を植え付けてきました。彼ら(訳注:中共の強権政治によって恐怖心を植え付けられた人々)に過度な要求をすることはできませんでした。今は、彼らの心境を理解することが大切でした。

 その後、私はまた学校で働き始めました。ある冬の日の午後、市内の一部の英語教師が、ある中学校で教科研究会(訳注:教科の指導や研究を行うために行う会議)を開きました。私は参加しに行きました、そして、Aさんも参加しました。私がAさんに挨拶すると、彼女も私を見て喜びました。席が隣ではなかったので、私はAさんに「会議が終わったら一緒に帰りませんか?」とメモを書きました。Aさんにメモを渡すと、彼女はメモを受け取り、すぐに私にうなずいて同意しました。会議が終わって、私たち2人はまた一緒に歩きました。Aさんはバスで来たので、私たちはバス停に向かいました。私はAさんに三退について丁寧に説明を始めました。彼女は真剣に聞いていました。Aさんが乗るバスが来ました。しかし彼女は「私は乗りません。次のバスを待ちます」と言いました。私たちは話を続け、Aさんは私にいくつか質問をしました。そして、私はその質問にすべて答えました。その時、夕日が沈み、空は暗くなり始めていました。Aさんは別れを惜しむかのように、私の話にとても興味を持って聞いていました。そして、最後に中共の共青団と少年先鋒隊の組織から脱退しました。

 2、同僚のBさん

 中国の事業所では、職称(訳注:一定の専門性や技能を有していることを示す称号)の評価は重要なことでした。特に高級職称の場合は、多くの人が必死に努力し、時には争いさえも起こしました。学校でも同じことが言えました。しかし、毎年の高級職称の枠は非常に少なく、時には1、2枠しかありませんでした。職称の評価の時期になると、条件を満たしている同僚は、こぞってコネに頼ったり、贈り物をしたりしました。中には、強硬に出てきて、評価されなければどうなるかと脅す人もいました。

 同僚のBさんは「工農兵(訳注:労働者、農民、兵士出身の大学生)」の大学生で、在学中に何も学んでいなかったため、教員としての能力が低く、高級職称に昇格することができませんでした。Bさんは退職前の職称の評価では、とても興奮し、絶対に合格しなければならないと考えました。しかし、校長は、年功序列は許されないと言い、職称の評価は年齢ではなく、教員としての成績によって行うと言いました。当時、私は市の青壮年優秀中堅教師であり、また学校の英語学科教育研究クラスの班長でもありました。校長は私と他の2人の優秀中堅教師を評価したいという意向を持っていました。しかし、同僚のBさんが校長に対して大声で騒ぎ、私の評価を妨害しました。

 Bさんは私が自分の競争相手であることを知っていたので、あの頃は私に対してとても敵意を抱いていました。このような状況下で私は、末法時期の人々は物質的な利益を何よりも重視し、さらに、中級職称と高級職称の給与待遇に大きな差があることを思い出しました。Bさんは退職間近なのに、まだ高級職称を取得できていなかったため、受け入れられませんでした。Bさんの苦しみを理解できたので、彼女が高級職称を取得できるように、自分はBさんに投票すると私は彼女に伝えました。私はまだ若いので、高級職称を取得するのにはまだ間に合いました。Bさんは、とても驚きました。

 翌日、Bさんは私に「あなたたち法輪功を修煉する人は、利益を争わないのですね」と言いました。最終的に、Bさんは他の2人の教員とともに、高級職称を取得し、満足して退職しました。ある日、私は校門の外でBさんに会い、三退を勧めたところ、彼女は中共組織からの脱退に同意しました。

 3、同僚のCさん

 同僚のCさんは、私の学校の数学の教育研究クラスの班長で、私よりずっと年下でした。彼女の息子は、かつて私が担当したクラスにいました。当時、Cさんの息子は小学5年生を終えた後、私が中学1年生から担当することを聞いて、彼女の息子を6年生に進級させず、直接中学校に入学させました。それは、私が彼女の息子に英語を教えてあげたいと考えていたからでした。Cさんの息子は、英語の塾に通ったことはなく、学校の授業で私が教えただけでした。結果、子供(訳注:Cさんの息子)の英語の成績は非常に優秀で、クラスでトップクラスであり、他の科目よりも成績が良かったのでした。Cさんは私に非常に満足しており、また多くの場合、大法の素晴らしさを称賛していました。

 2008年の高等職称の評価において、この教師(訳注:Cさん)はどうしても昇格したかったのでした。Cさんは校長さえ脅迫し、もし昇格できなければどうしてくれようか、と言いました。他の昇格審査対象教師も校長に会いに行き、校長は困惑しました。Cさんが校長を脅迫した話を聞いた後、私は校長のところに行きませんでした。そして、自然の成り行きに任せようと思いました。結果、Cさんと別の教師が昇格し、私はまたしても落選しました。Cさんが高等職称に昇格したその日、私は彼女と階段で会いましたが、彼女は少し気まずそうでした。私はすぐにCさんの手を握り、誠実に「昇格しましたね。おめでとうございます! あなたが幸せなら、私は幸せです」と言いました。Cさんは感動して言葉が出ませんでした。

 ある日、私は大通りでCさんの家族3人に会いました。彼らは私を見てとても喜んでいました。CさんとCさんの息子にはすでに三退させていましたが、今回は彼女の夫に三退を勧めました。Cさんの夫が何も言わないうちに、同僚のCさんは夫の代わりに「退党します、彼に退党させてあげてください。彼は党員ですから」と言いました。Cさんの夫は笑顔で私を見ながら、同意しました。

 4、同僚のDさん

 同僚のDさんも英語教師で、普段私たちは仲良くしていました。彼女は以前からすでに三退をしていました。ある年の高級職称の評価で、Dさんはぜひとも合格したいと思っていました。個人面談の時は、私たちは2人で一緒に座っていたのに、民意調査の投票(訳注:自分の意見を投票によって表明すること)の時、Dさんは突然席を立ち、私から遠い席に座ってしまいました。私は驚きましたが、すぐにDさんが私に票を投じたくないのだということ、そしてそれを私に知られたくないのだということがわかりました。私の条件が優れていたので、私が合格したら、Dさんは不合格になるかもしれませんでした。私は一片の怨みもありませんでした。末法時期の人類の状態はこういうものだと理解していました。本性はすべて私利私欲なのでした。その後も、私はDさんに対して依然として友好的でした。Dさんは今回、高級職称に昇進しましたが、私はまたしても落選しました。Dさんが高級職称に昇進したことを知って、私はすぐに彼女を訪ね、心から祝福の言葉を述べました。Dさんは非常に感動しました。

 その後、Dさんはあらゆる場面で法輪功の名誉を守りました。誰かが法輪功を悪く言うと、Dさんはすぐに反論しました。Dさんの前では、誰かが法輪功を悪く言うことは許されませんでした。たとえ上司がいても、彼女は反論しました。Dさんはみんなに「私は3人の法輪功修煉者を知っています。そのうちの1人は、私の夫の同僚の○○さんです。私の夫は、○○さんは仕事がうまくできると言っていました。いつも黙々と働いて、あまり話しません。私の兄の職場の○○○さんは、職場の食堂を管理していて、みんなが清潔で、安くて、美味しい食事をできるようにしています。そして、私の学校の○○○さん(私の名前)もいます。みなさんはどう思いますか? 彼らのうち、誰一人として悪い人はいないのではないですか?!」と言いました。

 同僚のDさんは高級住宅街に住んでいました。私はよく彼女に真相冊子を見せました。Dさんは真相冊子を見終わった後、小区(訳注:高級住宅街)内の人に配りました。Dさんは今でも、オフィスのデスクに、私がプレゼントした明慧カレンダーを堂々と飾っています。Dさんは十数年前に子宮頸がんを発症し、当時はすでに末期でした。Dさんは堂々と大法のために正しいことを話したため、師父は彼女の寿命を延ばしてくださり、彼女は今も健康に生きています。現在、Dさんはすでに退職しています。先日、私はDさんに師父の経文『なぜ人類が存在するのか』を送りました。

 あとがき

 その後、私は中共によって不当に有罪判決を受け、投獄されたため、退職するまで中級職称のままでした。当時の校長は、私の学校で10年間勤務していて私に高級職称を与えることはありませんでしたが、私の教える能力と人柄を高く評価し、法輪功を認めていました。当時の校長は、何度か、地元の警察署や国家安全部(訳注:中国の国家安全を担う情報機関)などの部門が学校に来て私に嫌がらせすることに抵抗しました。私が冤罪で投獄された後、彼は私の公職を保留し、私が退職年齢を迎えた時に、私は順調に退職手続きを進めることができました。

 2020年夏、中共の社会保障部門は、私が以前に投獄されたことを理由に、私の退職金を停止しました。私は、関連する部門の職員に真相を伝え続けました。今は、2人の生徒に英語の補習をして生計を立てています。私の心は陽光(訳注:明るく前向き)で、苦しみも感じていません。

 師父の慈悲とご加持に感謝申し上げます。これらの年月の風雨を乗り越えることができたのは、師父のおかげです。師父は、弟子に衆生を救い済度する偉大な使命を与え、宇宙中のすべての神々が経験したことのない栄誉を授けてくださいました。残り少ない法を正す時期の修煉の期間において、弟子は、多く学法し、心を乱さず、修煉における初心を忘れずに修煉し、三つのことをしっかり行い、円満成就して師父に従って家に戻ります。

 もし何か不適切な点があれば、同修のみなさんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 (責任編集者:斉昕宇)

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/11/11/467804.html)
 
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