自我を放下する
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文/中国の大法弟子

 【日本日本2024年2月23日】明慧ネットの2024年2月2日の通知を読み、昔の同修が修煉者の集団から離れたことを知りました。それは彼女自身や彼女を頼る生命にとって、巨大な損失であり、壊滅的な災難をもたらします。

 多くの人が、人、事物、情への執着心や、自我と個人的な認識に対する執着心が強すぎて、大法より優先して思えば、逆の方向に行ってしまうことになります。実際には、旧勢力の罠に陥ることになり、自ら自分自身を破壊してしまいます。師父は、そのようなことを望んでいません。

 修煉の道は非常に狭く、非常に厳粛です。それは、あなたの常人としての能力の大小によって決まるものではありません。重要な問題や重大な心性の試練において、自分を修煉者とみなし内に向かって探し、自己を放下し、大法と師父の要求に圓容できるかどうかが問われます。

 どのような法を実証することをしていても、どのような階層や環境に身を置いていても、心性の修煉と向上を常に意識することが重要です。法を学び、自身を修めることが第一です。常に自分を修煉者として扱い、法に基づいて修め、心を正しく保つからこそ、行ったことに威徳があります。どんな失敗、試練、魔難、誘惑にも耐えられ、正しく歩み、誤った方向へ進んだり、道に迷ったりすることはありません。決して自我や自分の理解を高く評価せず、法を二の次にしないで、謙虚な心をもち、法への敬意を持ち続けます。

 師父は「精進要旨」の「大法を盗んではならない」の経文で、私たちに警告しています。「人間の修煉はとても難しいことですが、落ちるのはとてもたやすく、一つの関を乗り越えられなかったり、強すぎる常人の執着を放下できなければ、逆の方向へ行ってしまうかもしれません。歴史の教訓は数多くありますが、落ちてしまったときに後悔しても、もう遅いのです」(「精進要旨」、「大法を盗んではならない」)

 私たち一人一人が教訓を学び、戒めとして引き続き心を良く修めましょう。

【編集者注:この文章は、筆者の現時点での個人的な認識を代表しているものであり、同修の皆さんと切磋琢磨し、「比して学び、比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/2/13/473187.html)
 
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