文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年2月26日】私は今までスムーズに明慧ネットにアクセスし、毎日同修の交流文章を読み、なんの問題もなく、三退声明を発表していました。私の心には邪党のいう敏感な日はありませんでした。
しかし1月中旬、子供のいる都市に来てからは、明慧ネットにアクセスができなくなりました。私は「自分の何かが間違っているのではないか」と探してみました。「移動日の午前中は、地元で同修と一緒に出かけて法輪大法についての真実を伝えている。午後からは電車で子供のところに移動している。翌日は、また人を救うため、真実を伝えるために出かけている。師父の要求された三つのことは常にやっている…」と。
2月4日になると、私は焦り出しました。まだ師父に新年の挨拶もしてなかったので、朝起きてすぐにコンピューターを開きました。そして心の中で、「明慧ネットが開けますように」と師父にご加持を求めました。師父に新年の挨拶をしたかったのです。私は法を学びながら、時々コンピューターをチェックしていました。私が料理を用意し、食事をしようとしていた時、明慧ネットが開きました。私は胸がいっぱいになり、グリーティングカードを用意した明慧編集部の同修に感謝しました。私は同修と一緒にグリーティングカードを師父に送りました。過去10日間の当日の文章、そして明慧ラジオ、明慧週刊をダウンロードし、三退申請を提出しました。
ところが、その後どんな方法を使っても、明慧ネットにアクセスできませんでした。神韻公演を観たいと思っていましたが、9日の夜もアクセスできませんでした。座って25分間、発正念し、午後9時半に再び明慧ネットを開いたら神韻公演を観ることができました。
その後また、再びアクセスができなくなりました。私は毎回、ネットにアクセスするたびに、「明慧ネットは今まで一度も封鎖されたことはありません!」(『二〇〇三年元宵節での説法』)という師父の法を暗唱しました。毎日発正念し、大法弟子が明慧ネットにアクセスすることを妨害する黒い手、卑しい鬼と共産邪霊、旧勢力の邪悪な生命と要素を根絶しました。
15日の夜、コンピューターを開きました。師父の『各地での説法』を読みながらコンピューターをチェックしました。しかし、9時を過ぎてもアクセスできませんでした。私は大法の書籍を閉じて、「一体何が大法弟子の明慧ネットへのアクセスを困難にしているのか…」と考えました。その時、脳裏に「試練」という二文字が浮かんできました。
私は内に向けて探しました。「自分が発しているのは神の念なのか、それとも人の念なのか、本当に師父と大法を信じているのか」、私はまだ不平不満を抱いていたのでした。法がこの世を正すことに移行しつつあるのに、邪党はまだこんなにもはびこっています。私は、邪悪を大きく見ていたのです。私は心の中で師父に謝りました。
私は、「明慧ネット上の同修の交流文章を大切にします。まず明慧ネットを見てから、動的なウェブサイトにアクセスしてから、三退名簿を提出します」と約束しました。師父が大法弟子に与えてくださった時間を大切にします。師父は、「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」(『精進要旨二』、「最後の執着を取り除こう」)と説かれました。私は正念を固めようと決意しました。私は明慧ネットにアクセスしなければなりません。明慧ネットは大法弟子の家であり、誰も私たちを止めることはできません。
10時前に明慧ネットが一瞬開きました。午後12時の発正念が終わるまで、ネット速度は安定していました。
そして、16日と17日の夜は一気にネットが開きました。
師父のご加持に感謝申し上げます。
(編集担当者:李明)