文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年3月9日】私と妻は、2005年に大法を学び始めました。学び始める前は2人共、長年病気を患っていました。大法を修煉することによって、一粒の薬も服用せずに健康になりました。周囲の人も大法の素晴らしさを目にしました。
しかし、2023年8月上旬くらいに、妻に突然深刻な病業が現れ、胆嚢あたりが異常に痛くなりました。伴って、体が寒かったり暑かったり、吐きそうになったりして、多くの症状が現れ、一晩中眠れませんでした。学法をしても心を静めることができず、発正念をするにも、じっと座ることができませんでした。朝頑張って煉功しても、内に向けて探しても、変わらないので師父に助けを求めました。しかし、数日経っても症状があまり緩和されませんでした。痛みに耐えられない妻は「もう本当に我慢できない。痛みを和らげるために、鎮痛剤を飲ませてください」と言いました。
れわわれの地方では、私たち夫婦以外、数人の新しい学習者しかいないので、法理に基づいて交流する同修はいません。妻の様子を見て、私も正念を失いました。しかし、常人の薬でどうやって大法弟子の 「病業 」を治すことができるでしょうか。
師父が「二〇〇四年ニューヨーク国際法会での説法」で「善解」について次のように説かれました。「『宇宙で法が正される中で、私が法を正すことを妨害しないものに対して、適切な処置を取り、未来の生命になるようにします。善解されたければ、私から離れて、私の周辺で待ってください。もし本当に私から離れる力がなければ、私を妨害するための如何なる作用もしないでください。将来私が圓満成就することができれば、皆さんのことを善解します。それらの全く良くないもの、まだ私を妨害しているものは、基準に従い、残ることができなければ、根絶されるしかありません。私があなたを消滅しなくても、宇宙の法もあなたを残しません』。もしこの念を発すれば、極めて次元の低い生命にとって、本当に慈悲深いのです。まだ妨害の作用をしているものを根絶することもしやすくなります」
私は妻と交流して、師父の法に基づき、これらの生命と善解することにしました。 その夜、妻は排尿する時、沢山のよくないものを排出して、痛みがかなり和らぎました。最終的に病業は20日くらい続いて治りました。
その間、妻と一緒に正念を発する過程で、問題の所在が分かりました。私の妹は常人で、うまい汁を吸うのが好きで、いつも得をする事ばかりを考え、しかも見返りもまったくありません。このたび、妹の息子が結婚することをきっかけに、しばらくの間、妹とその家族に長年溜まっていたものが、毎日映画のように妻の頭の中に浮かんできて、抑えることができませんでした。しかも、考えれば考えるほど、腹が立ってきました。このタイミングで、旧勢力がまた私の弟を操って電話をかけてきて、妹への不満を言いました。妻もこの機に妹への不満を一気に爆発してしまいました。それで、妻は上記の病業が現れました。
学法と交流を通して、私たちは病気の根本原因である恨む心を見つけました。妻は妹に尽くしすぎて、見返りがないと感じ、心のバランスを崩していました。修煉者として、長い間自分を修めることができず、トラブルに直面した時内に向けて探すこともできなかったため、強い恨む心が生じました。結局、恨みがどんどん溜まって、それに左右されて理性を失い、重い病業に陥りました。
妻も毎日学法しており、法理も分かっています。しかし、長く修煉しても、根本から常人の観念を変えなければ、トラブルに遭遇すると相変わらず常人の考えで対処してしまいます。修煉者の基準で自分を修めなければ、常人のままだと、もちろん常人の病気にかかるでしょう。
妻を通して、私も自身の問題を見つけました。まず、妻は学法をする時、いつも余計な字を加えたり、字を見落としたりして、私は内に向けて探すことができず、かえって不満に思いました。また、妻が携帯にハマってしまい、自分が注意しても反省すらしないので、恨む心が生じました。しかし、よく考えてみれば、私も時おり携帯にはまっているのではないか? 自分も内に向けて探すことができず、外に目を向けていました。
また、私もわがままな妹とその家族に対して恨む心がありました。ただ、妻ほど強くないだけです。さらに内に向けて探すと、自分の家族に対し湧き起こる文句や、親戚、友人、同僚への文句、特に上司への文句も恨む心の現れではないでしょうか。
こうして探してみると本当に驚きました。普段自分は精進しているつもりで、学法と煉功も怠ることなく、常に内に向けて探していると思いましたが、こんなにもたくさんの恨む心があると気づき、本当に師父に合わせる顔がありません。
また、周りの同修を見てみると、みんな同じ問題が存在しています。しかし、大法の修煉が最後にいたっており、また大法修煉はどれだけ厳粛なものなのか、いかなる放下できない心があれば、今までの修煉を台無しにしてしまうかもしれません。師父が『轉法輪』の中で弟子たちにはっきりとこう説かれました。「ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉の中で、嫉妬心を無くさなければ正果(しょうか)を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」 恨む心は嫉妬心の最も顕著な表れの一つであり、大法の大いなる慈悲の下で、私たちは必ずそれを完全に解体しなければなりません。