隠れていた「求める心」を見つけた
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 唐仁

 【明慧日本2024年3月22日】私は1998年から大法を修煉し始めました。二十年以上の修煉の中で、師父の慈悲深い啓発によって多くの難関を乗り越え、多くの執着心を修めました。しかし、まだ気づきにくい人心もたくさんあります。最近、師父の啓発によって、私は長年隠れていた「求める心」を見つけることができました。以下は、自分自身の認識について述べさせていただきます。法に合わないところがあれば、同修の方々の慈悲なるご指摘をお願いします。

 2月28日の夜、私は入浴し、ついでに脱いだ衣服も洗濯しました。洗濯物を干した後、寝室に戻って正念を発しましたが、頭がぼんやりとしていて、頭の中でガンガンと音が響き、まるで昔の農村で杵で米をつくような、規則的な不快な音が聞こえました。
 「もしかして、さっきシャンプーした時に水が耳に入ったのかな?」と思いましたが、よく考えるとそれは違っていました。これは外からの原因を求めています。その時、突然、2日前に瞑想中に『轉法輪』の一文である「何らかの求める心をもって法を学んではいけません」という厳粛な声を聞いたことを思い出しました。 私はすぐに、これは師父が弟子に啓発させたのだと悟りました。 その後、内に向けてよく考えましたが、その何かを求める心が見つかりませんでした。しばらくしても見つかりませんでしたが、そういう心は必ずあります。 師父は他の次元の空間で最もよく見えておられますので、絶対に間違いはありません。

 そう思って、ベッドに入り寝る準備をしましたが、寝がえりを打つばかりでなかなか寝付けませんでした。頭がぼーっとしてくらくらしてきたので、しばらく正念を発しました。その後『論語』と経文『なぜ衆生を救い済度するのか』を暗唱しました。経文を暗記した後、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を何度も何度も唱え、夜中1時の発正念を終えるまで続けました。目を閉じて眠りたかったのですが、それでも眠れず、ベッドに横になって正念を発しました。ようやく1時間以上寝られましたが、目覚ましが鳴ったので起き上がり、5式の功法を煉ることにしました。

 朝起るとすぐに、内に向けて探し始め、師父の『轉法輪』で説かれている「何らかの求める心をもって法を学んではいけません」という言葉について考えました。私はどのような求める心で法を学んでいたのですか? すぐに答えが見つかり、私は愕然としました。
 私は毎日、最低でも二講分の法を学ぶことを自分に課していました。法を学べば邪悪は隙に突け入らず、迫害する理由もないと考えていたのです。これは、別の形で迫害を求めている心であり、自らに難儀を設けていることではありませんか? 私は大法をお守りと捉え、迫害を避けるために利用していたのです。私の学法の動機と出発点は、純粋ではありませんでした。

 これほど偉大で高徳な大法は、人が利用できるものではありません。私は師父と大法を冒涜していたのではないでしょうか? 修煉は、なんと厳粛で尊いことなのでしょう! この求める心は、非常に巧妙で汚く、狡猾で、しかも危険でもあります。私はようやく求める心を発見しました。徹底的にそれを暴露し、解体し、消滅させます。もう二度と持ちません。

 私はこのことから悟りました。まず、毎日、法を学ぶたびに学法の時の態度を正し、非常に敬虔な心で法を学び、一字一句丁寧に読む必要があります。字を足したり、脱字したり、行を飛ばしたりすることなく、真に法を心に置いて学ばなければなりません。法を学ぶ量や速度を追求するべきではありません。そうでなければ、法を学んでも法を得ることができません。次に、私たちが法を学ぶ目的は、大法に同化し、法で修煉を指導し、自分自身をより純粋で無私な存在へと変え、徐々に新宇宙の生命の基準に達することです。法を学ぶことは、私たちの正念を強めることにもつながります。

 これからは、何も求めずに法を学ぶことを必ずやり遂げます。教訓を学び、修煉に真剣に取り組みます。

 慈悲深い恩師の点化をありがとうございます!

 (編集責任者:文謙)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/9/473985.html)
 
関連文章