法に則って正せば、病業の虚像を乗り越えられる
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文/江蘇省の大法弟子

 【明慧日本2024年3月24日】昨年8月のある日、夫が突然、目の痛み、頭痛、目のかすみが発症し、目が見えにくくなりました。病院から、目の重い病気である急性緑内障と診断され、すぐに入院しました。医者は「眼圧が高すぎます。60(側圧計の最高値)を超えています。通常は20を超えません。2、3日で下げられれば、手術の準備をします」と言いました。

 その時、夫は緊張して怖がっていました。しかし、入院2日目の朝には眼圧は正常値まで下がり、眼の痛みや頭痛の症状もほぼ消えていました。そして彼の緊張もほぐれました。午後の退勤前、医師は「2日後に手術をします」と彼に言いました。医師が去った後、彼はまた緊張し始めました。夫を慰めるために、私は「怖がらないで、もう入院したんだから、治療効果はいいでしょう?」と何気なく言いました。

 その後、夫に付き添って食堂に向かいましたが、歩いていると、急に腰が重いものに当たったような感覚に襲われ、とても苦しくなりました。家に帰ると、すぐにベッドに横になって休みましたが、この時寝返りを打つのも大変になっていました。内に向けて探してみると、自分はこの2日間よくやったし、夫に対して気遣い、文句も言わずに忙しく駆け回り、生活面において配慮が行き届いていると思っていました。「どうしたのだろう? 疲れているのか? 違う! 疲れていてもこの状態ではなく、明らかに心性において大きな問題が出たのだ」と、あまりの辛さにすぐさま深刻に内に向けて探さざるを得ませんでした。すると突然、「あなたは正法を修煉しているので、一人が煉功すれば、まわりの者に恩恵を与えることになります」(『轉法輪』)という師父の言葉が脳裏に浮かびました。師父、申し訳ございませんでした。弟子が間違っていました。偉大なる師父が弟子一家の難を解決してくださったのです。慈悲なる師父、ありがとうございます! 自分の問題が見つかると、腰の痛みが和らぎ、すぐに眠りにつきました。朝起きると腰はほとんど治っており、私はすぐに病院に向かいました。

 病院に着いてから、夫にその夜の心身の体験を詳しく話すと、夫は驚き、喜び、感動しました。夫によると、さっき看護師が、「仕事が終わったら外来に行って、まず目のレーザー治療をして、2日後に手術をする」と伝えたそうです。私は、これは師父があなたを助け守ってくださっているのだと言いました。「そうでなければ、どうしてこのような効果があるの? 今もこんなに状態がいいではないの」というと、彼は笑いました! 私たちはレーザーも手術もしないことに決め、退院して家に戻りました。医師は退院に同意せず、レーザーと手術をしなければどうなるかを告げました。しかし私は、師父のご加護があれば夫の目は何の問題もないと固く信じていました! 

 それから半年が経ちましたが、夫の目は良いままで、何の問題もありません。

 もう二つ小さなことを話します。

 数カ月前、小学1年生の孫娘が風邪をひき、私が家に連れて帰りました(息子と私は同居していない)。家に帰ってから「どうしたの?  風邪が治ったらインフルエンザの予防接種を受けに行こう」と言いました。なぜなら孫が幼稚園の頃、夫がインフルの予防接種に連れて行ったことがあるからです。その時、私は孫が予防接種を打つことに反対していました。師父の法から、修煉していない常人が病気になっても、それは業力を返していることで、いいことだと分かったからです。しかし私は今、何も考えずに「受けに行こう」と口走っていました。そう言ってから2時間も経たないうちに、全身が冷えて汗ばみ、のどの痛み、鼻づまりなど風邪の症状が出てきて、一体どういうことなのかをすぐ理解できました。師父、弟子が間違っていました。これは人間の情ではないでしょうか? 孫が風邪で苦しんでいるのを見て、私は心を痛め、修煉者としての基準を忘れ、人間の理で問題を見て、考えました。自分の間違いに気づき、すぐに師父に自分の間違いを認め、許しを乞うと、風邪の症状はすぐに消えました。

 先日、また突然ひどい風邪を引きました。私は内に向かって探しましたが、どうしても見つからず、発正念しても効果はありませんでした。これはつまり、間違ったことをしたのでなければ、間違った考えをしたか、間違ったことを言ったということです。私はただひたすら、ここ数日自分がやったこと、考えたこと、一日一日と細部を探して考え、主に孫に重点を置いて探しました。なぜなら孫はまたしても風邪をひいて肺炎になり、小児病院で点滴治療の時、私はずっと付き添っていたからです。孫は学校に行けず、息子も嫁も仕事だったので、昼間の点滴が終わったら、私は孫を我が家に連れて帰っていました。家に着くと、私にやんちゃをして、時には首にキスをしてきました。そんな孫を見て夫が「肺炎は感染するから気をつけないと」と言うと、 私は孫に「おじいちゃん、私は治ったといいなさい」と言いました。そのときは、この言葉に問題があるとは気づきませんでした。今この異常な状態になってから、この言葉を思い返すと、その言葉はつまり「肺炎が治ったので、感染性はなく、自分は安全だ。感染して風邪をひくことはない」という軽率な一言ではないかと思いました。これでは自分を常人の立ち位置に置いたのではないか? それなら当然常人は風邪をひきます。根本的な原因が見つかり、すぐに師父に間違いを認め、風邪の症状も自然に消えました。

 先日のある日の午後、私は同修学法をしていました。学法が終わった直後、私は突然、喉に痰があると感じ、せき込んでも出せず、しゃべれないほどになり、体も寒気を感じました。即座に内に向かって探すと、問題の所在が明らかになりました。そこで、私は自分の問題を同修の前で暴露しました。「私は今日間違ったことをしました。午前中、私は夫とウールのセーターをオーダーメイドするために毛糸市場に行ったのですが、夫が提案した店に私は同意しませんでした。なぜならあの店は私を騙した事があるからです。というのも、今年の春、私はその店で毛糸のズボンを作ってもらい、400元以上かかりました。女性店長は明らかに私から60元以上多く取り、私が計算ミスをしていると伝え、彼女の夫も隣で注意しました。しかし彼女はかえって「これは国家が許容する誤差だ」と言ってきたのです。そのとき私は、自分は修煉者であり、高い基準で自分を律しなければならないと思い、もしかしたら彼女に前世の借りがあるのかもしれない、それなら返そうと思いました。なので、そのことは平然と過ぎました。でも今になってまた思い出して、今日ウールのセーターを注文した店の店長の前でそのことを話しました。これは、裏で人の悪口を言っていることにならないか? 人の名声を傷つけているのではないか? この利己心はまだ私の中に埋もれているのではないか?」

 私は同修とこのことについて、さらに内に向かって深く探しました。すると、これは非常に強い恨みではないか? 怨恨心ではないか? 執着が見つかり、今後は法に則って自分を正し、もう二度とこのような間違いはしないと決心しました。そうすると辛い状態も消えました。

 結論

 私は中国共産党が法輪大法を迫害する前に、修煉を始めた大法弟子です。20年以上の修煉の過程は、本当によろめき躓きながら歩いてきました。ここ数年、私は学法や、法の書写、暗記をし、法に対する認識がかなり高まりました。日常生活で目にすること、遭遇すること、直面すること、やっていいこと、やってはいけいこと、そのほとんどが法で測れるようになりました。特に病業に襲われた時、私は法を師とすることを堅持し、内に向かって探すことを原則としています。基本的には順調に関を乗り越えることができています。

 今、正法修煉はすでに、法がこの世を正す過度期に入っています。大多数の大法弟子、特に長く修煉している大法弟子は基本的に病業がないと私は思いますが、まだ多くの大法弟子に病業の虚像が現れています。その中には三つのことをよくやっている昔からの大法弟子もいます。一体どういうことなのでしょうか。筆者の考えでは、大法弟子自身が固守している悪い観念が変わっていないか、頑固な執着心を捨てていないからだと思います。このような執着心や悪い観念によって引き起こされる病業の虚像は、発正念をしたり、人を多く救ったからと言って、除去できるものではありません。またある同修は、自分に病業の虚像が現れても、気にせず、正念が強い表れだとみています。もちろん、修煉者に特に深刻な病業の虚像が起きても、慌てず、恐れず、気にしないことは合っています。しかし、病業の虚像の過程で、簡単には発見できない、深く隠された執着心を見つける必要があります! なぜなら、それが現れるのは、理由がないわけではないからです。修煉者に対し、どのような執着を捨てるべきか、どのような頑固さや悪い観念を改めるべきか、注意を促しているからです。もし重視しなければ、修煉者にとっては、取り除くべき執着を見つけられず、探せず、取り除くこともできず、悪い観念は変わることはできません。病業の虚像が長く引くと、修煉者の修煉に対する自信は挫折し、修煉者の心性が守れなければ、恨み、焦り、不安、懐疑心などの人心が起きやすくなり、深刻な場合には、大問題にまで発展します。先に挙げた幾つかの小さな事例の場合は、直ちに問題の所在を発見し、順調に乗り切ることができました。これこそまさに、小さなことであり、小さな関なのです。もし直ちに内に向かって探さず、自ら大法の基準に従って自分を正さなければ、病業の虚像をますます重くし、その時間はますます長くなります。昔からの修煉者の中には、修煉を始めたばかりの頃と比べ、なぜ病業の虚像をうまく乗り越えられないのでしょうか。修煉者の次元が上がり続け、法が修煉者に対する要求も互いに、高くなり、厳しくなるからです。当初は、病業を消しています。その過程で、たとえ修煉者が問題を見つけることができなくても、一定期間の修煉を経て、修煉者は病業の苦痛を受けて、最終的に業を返します。そのため、病業の現象も最終的に徐々に消えます。そして、今状況は異なっており、ほとんどの古い大法弟子の体には、病業はありませんが、病業の虚像を利用して、修煉者に注意を促すことがあります。内に向けて探すべきです、自分のどの人心が浮かび上がってきたのか、どの思考、どの行動が法と矛盾しているのか、法に則って正すべきです。これもまた、人心を取り除き、観念を変え、次元を高める一種の形式ではないでしょうか? だから、私たちは日常生活の中で小さなことから、もっと自分の一つの思い、一念を修め、法に則って一つの思い、一念を正すべきです。そうして初めて、この世の名声、利益、情、現代的な観念といった束縛から脱却することができ、師父が私たちに按排してくださった修煉の道を正しく、着実に歩む事ができます。

 これは現段階での私の次元の認識であり、正しくないところは、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/10/471244.html)
 
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