天津市の焦麟恵さんに、不当に懲役2年の判決
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 【明慧日本2024年3月27日】天津市の法輪功学習者・焦麟恵さん(女性)は、2023年5月9日、現在住んでいる山東省龍口市の自宅で龍口市公安局東江派出所の警官に連行され拘禁された。警官らは焦さんの自宅のドアを壊して押し入ったという。

 今年3月12日、焦さんは龍口市裁判所で不当に懲役2年の判決を言い渡された。

 天津市大港区出身の焦さんは、1999年3月に法輪功を学び始め、「真・善・忍」の基準に従って自分を律し、より良い人になるよう努力し、心身とも恩恵を受けた。

 法輪功(法輪大法とも呼ばれる)は、中国社会で1992年に李洪志先生によって公に伝えだされた佛家修煉大法である。法輪功は、宇宙の特性「真・善・忍」を原則とし、緩慢で、優美な5式の功法の動作がある。修煉者は短期間で心身の浄化と道徳の向上を達成することができるという。

 2023年5月9日、焦さんは、山東省煙台市の龍口市の自宅に押し入った東江派出所の警官に連行され、煙台留置場に拘禁された。7月26日、焦さんは龍口市検察庁に送検され、8月21日に龍口市裁判所で起訴された。

 11月1日、焦さんは龍口市裁判所で裁判が行われた。裁判は当事者と弁護士の質疑をしているにもかかわらず、わずか30分で早々に終了した。

 12月26日、龍口市裁判所で再び焦さんに対して裁判を起こした。2回も開廷の延期があったため、その日の審理を傍聴したのは少数の家族だけで、国内安全保衛部門の大隊長らが終始傍聴した。当日、法廷では判決を宣告しなかった。

 今年3月12日、焦さんは裁判所から判決書を下されたが、懲役2年の判決だった。

 焦さんはかつて、法輪功を学び続けているとの理由で、2回も労働教養処分を科され、天津市板橋女子労働教養所で迫害を受けた。

 以下、焦さんが労働教養所で受けた迫害の事実である。

 1回目の労働教養所の拘禁

 2003年の夏のある夕方、天津市公安局大港分局勝利派出所の警官が焦さんの家の前に現れ、捜索令状を見せながら、焦さんに「お前の家に法輪功の資料があるか確かめたい。その後、派出所に行って法輪功を学ばない誓約書を書きなさい」と言った。焦さんは「信仰は自由です」と言い返し、警官らの不当な要求を拒否し、警官を家に入れなかった。その日の夜、焦さんは自宅の4階のバルコニーから降りて、家を出た。翌日、警官は焦さんの家に押し入り、家宅捜索した。焦さんは夫と10歳の子供を残し、放浪生活を余儀なくされ、6カ月ホームレス生活を送っていた。

 2004年4月14日、帰宅した直後の焦さんは警官に勝利派出所に連行された。その後、1年の労働教養処分を受けた焦さんは、板橋女子労働教養所に移送された。

 教養所で、焦さんは、朝から晩まで、立たされて法輪功を誹謗中傷するテレビ番組を強制的に見せられた。焦さんはまた、法輪功とその創始者を誹謗中傷するスローガンが壁に赤ペンで書かれ、法輪功の創始者の写真が床に散乱している密室に入れられた。警官は焦さんを引きずり回し、写真を踏ませた。焦さんは警官に「やめてください」と言うと、警官・夏春麗に平手打ちにされた。警官・劉俊英は、法輪功創始者の写真を半分に破り、それを焦さんの靴の中に押し込んだ。

 焦さんは奴隷労働を拒否したため、4日間、昼も夜も立たされ、1日2時間しか眠ることが許されなかった。警官は焦さんに法輪功を放棄するという誓約書を書かせるために、焦さんと同じ部屋の人を焦さんと一緒に立たせることを強要した。

 2回目の労働教養所の拘禁

 2009年2月8日、法輪功に関する真実の資料を配った焦さんは、天津市公安局津南分局傘下の派出所の警官に連行され、激しく殴打され、顔や首に複数の傷を負った。その後、津南区留置場に拘禁された焦さんは、2年の労働教養処分を受け、再び板橋女子労働教養所に移送された。

中共酷刑示意图:殴打

拷問のイメージ図:殴打

 教養所で、焦さんは独房、強制洗脳、睡眠の剝奪、奴隷労働、監視などの迫害を受けた。奴隷労働に抵抗した焦さんは、4日間立たされ、警官の指示を受けた麻薬犯に殴られた。

 2009年8月、天津の「610弁公室」の命令で、教養所は、いわゆる新しい規定を導入した。法輪功学習者に信仰を放棄させるために、警官は非常に悪質な方法を用い、「喚起室」を設け、法輪功学習者に法輪功創始者の写真を踏ませたり、写真を砂袋に入れさせて袋を叩かせたりした。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/18/474325.html)
 
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