大法の素晴らしさを体験し 「無神論」の観念を取り除く
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 文/中国の大法弟子・寒梅

 【明慧日本2024年4月8日】私は小学校から中国共産党の党文化を注がれ、強度の「無神論者」になっていました。しかし、慈悲深く偉大な師父は、何度も何度も奇跡を起こして見せてくだいました。師父は、私の「無神論」という嘘の中で形成された観念を取り除き、私を法輪大法の真の弟子にしてくださり、大法の素晴らしさの証人になりました。

 奇跡が私を大法との縁を導いた

 1997年1月末の夜9時過ぎ、私は神経衰弱、心臓病、頭痛、めまい、関節の痛みで、なかなか眠れなかったので家の外に出ました。すると、誰かが私の手を引っ張っているかのように、私は一度も行ったことがない職場の機械室に入りました。そこには、当直の同僚が本を読んでいました。

 私がその本をじっと見ていると、その中に大きさ1㎝くらいの字が見えたので、驚いて、「この本はどんな本なの? 字がこんなに大きいとは…」と聞きました。同僚は「字は大きくないよ。見まちがいじゃないの」と言いました。そして「善には報いがあり、悪には報いがあると信じていますか?」 と聞きました。私は「もちろん信じています。家で起きたことはそのようなことですから…」と答えました。すると、隣にいたもう一人の同僚が、「この本なら、私の家にもあります。読むなら、貸してあげますよ」と声をかけてくれました。

 後になってわかりました。師父の法身が、私を大法学習者のところに導いてくださったのです。師父は、他の空間の字を見せて引き寄せてくださり、大法と縁を結ばせてくださったのだと理解しました。私は47歳でした。

 奇跡が「無神論」の観念を取り除く

 『轉法輪』の本を借りて家に戻ったのは、夜の10時ごろでした。私は翌朝の7時まで一気に『轉法輪』読み終えました。

 私は、この本は人に「真・善・忍」に従って行動し、善良でより良い人間になることを教えていると認識しました。そして「この本の作者は正しくて立派な人に違いない!」と感じました。

 そのときは、私はまだ神佛が存在するという概念を持っていませんでした。20年間、苦しみ、夜も眠れない日が多く、小さな音にも眠りが影響されていた私が、次の日には奇跡的に、目覚まし時計を何枚も布で巻いて敷き布団の下に置く必要がなくなりました。枕の側に、目覚まし時計を置いていても気にならなくなり、熟睡することができるようになり、不眠症が消えました。

 同修と一緒に煉功点に行くつもりだった4日目の夜、家族全員が和やかな雰囲気で談笑しているにもかかわらず、この日は何故か無性に泣きたくなりました。そのため、同修に私の異様な姿を見られないように煉功点に行かず、ベッドに横になって涙を流しました。すると突然、頭上に電気の火花のような音とともに、白い光が走りました。黄色っぽい大きな円盤が空の遠くから近づいて来るのが見え、その中に師父が座っておられるのが見えました。続いて、大きな二重の目がきらきらしているのも見えたので、私はすぐにベッドから起き上がりました。翌日の昼、私は部屋中に色とりどりの法輪が飛んでいるのを見ました。私は「師父が学習者たちに天目を開かせておられるのは本当だった」と知ることができました。

 大法を修煉して7日目、集団煉功のとき、下腹部で何かが急速に回転し、頭上も肩のところも回転していると感じました。同修は、「下腹部のあたりで回転しているのは師父があなたのためにくださった法輪です。他の場所の法輪は、あなたの身体を調整しているものです」と教えてくれました。

 10日目に、高熱が出て体温計が最大まで上がりました。私は大法の道に入る前にも高熱をよく出しており、ショック状態に陥ったこともしばしばあったのですが、県の病院で診てもらっても、市の病院で診てもらっても原因がわからず「不明の高熱」と言われました。今回、師父が私の体を浄化してくださっているとわかると、注射も薬も飲まず、いつもの通りにやるべきことをしていましたが、2日間で元気になりました。

 大法を修煉して、半月後のある朝、集団煉功のとき、大きな手が私の左胸から子供の握りこぶし大のものを掴んでなかなか抜けないようでしたが、それが抜けた後、心臓のところが空っぽになったと感じました。そして、ちょっと辛くなり、他の人に影響を与えないように、私はそっとそばの椅子に座り込みましたが、ショックの症状が起きました。しばらくして目が覚めました。「師父が、私の大きな病気の根元を取り除いて下さったのだ」と理解しました。以前、あまりご飯が食べられず、食べてもよく消化できず、やせ細っていました。しかし、それ以来、食べたり飲んだりすることができるようになり、冷たいものも、生ものも食べられるようになり、体重も増えて顔色もよくなりました。

 大法を修煉して20数日後のある朝、とても寒かったので、私と同修たちはドアと窓をきつく閉めた部屋で功法を煉っていました。「法輪樁法」の頭上で法輪を抱える姿勢のとき、突然、私の頭の上で竜巻のような渦が巻き起こり、髪の毛がねじり上げられるのを感じました。「師父は私のために神通力を使って、憑き物(以前、霊能者に見てもらったことがある)を取り除いてくださったのだ」と認識しました。それ以来、頭痛がなくなると、目がかすむこともなく、落ち着き、よく眠り、眉間のしわも緩み、よく笑うようになりました。同僚たちは、「まるで生まれ変わった人のようだね」と言いました。

 3カ月後のある朝、私は会社から出て、南の方へ百メートルほど歩いていた時、突然、私は二、三尺の高さまで宙に浮き上がりました。私は慌てふためき、体に力を入れて地面につくようにしました。落ち着かせると、『轉法輪』で師父が、「大周天が通ると人は飛ぶことができるのです」と説かれたことを思い出しました。それからは、私は風に押されるように軽やかに歩くことができました。知り合いは、「あなたは全然力を使っていないように歩いているね」と言いました。確かにそうです。以前は歩くだけで息が上がっていた私ですが、今は、一歩で階段の2段を上がり、一気に6階まで上がることができます。まるで平坦な道を歩くように上がり、息を切らすことはありません。

 2008年の旧正月、6歳の孫娘が私の家でテレビで放送していた『西遊記』を見ていたとき、私は孫娘に、「テレビで『天音』のビデオを観たい?」と聞くと、孫娘は「観たい!」と言いました。孫娘と一緒にテレビの前に座って観ました。

 ビデオで、薄黄色の半袖の上着に薄いベージュ色のズボンをはいた師父が、多くの西洋の学習者たちの煉功動作を直す画面が映ると、孫娘は師父を指差して「おばあちゃん、見て、見て! 佛様! 大きな佛様だよ! 西遊記の如来佛と同じだよ!」と嬉しそうに叫びました。師父の姿が映るたびに、孫娘は「佛様だ、大佛様だ!」と歓声を上げました! 天目が閉じていない孫娘は自分の天目の次元で、大法師父が神聖な大佛の威厳である姿が見えたのです。

 2015年の秋のある朝、私は抱輪の功法を煉るとき、体がとても辛いと感じたので、歯を食いしばって、功法を最後までやろうと思いました。しかし、体が辛くてショックに近い状態になったので、「転んだら、家族に病院に送られるだろう」と恐れ、心から「師父、助けて......」と叫んだ途端、空からカバーのようなものが降りてきて、私の全身を覆い被しました。そのカバーは薄くもなく、厚くもなく、柔らかく、暖かく、「師父が功を出して私を救ってくださった」とわかりました。しばらくして、私は何事もなかったかのように朝食を食べに行きました。

 2018年の初夏のある晩、私はグループ学法の時に、順番で『轉法輪』を読み、私の番になって320ページを読み終え、次の同修に交代するとその同修と一緒に暗唱していました。突然、320ページから透明な黄赤色の光が出て、光っているのが私の左目の端に見えました。顔を向け、よく見ると、一字一字が袈裟をまとい、青い巻き毛をした師父の法身の姿が左を向いて座っておられるのが見えました。師父の法身は荘厳かつ神聖に輝いており、それは2分間ほど続きました。師父は『轉法輪』のこのページで、「われわれの中の天目が開いた人なら見えますが、この本は色鮮やかで、金色の光を放ち、どの字もわたしの法身の姿かたちです」と説かれたことと同じような光景でした。

 次から次へと起こる奇跡は多く、師父の説法の一言一句が天機であり、真言です。師父は私にその場に身を置くような神の存在を実感させ、ついに私の頑な「無神論」の観念を取り除くことで、法輪大法の修煉の道をしっかりと歩むように導かれたのです。

 父親が善の報いを受ける

 師父は、こう説かれました。「この迫害されている期間中に、多くの言葉は要りませんが、『法輪大法は素晴らしい』という心からのこの一言が言えれば、この人は間違いなく元の位に戻ります!(拍手) どういう意味でしょうか? この時期、邪悪の環境の中で法を実証する勇気のある人は必ず神になります」(『各地での説法八』「二〇〇七年ニューヨーク法会での説法」)

 法輪大法が広まる前、父は無学な母と一緒に『聖書』を読み、キリストを信じていました。1998年、父は大法の本を読み、五式の功法を学んだことがあります。ある朝、煉功のときに、師父が父の胃を浄化してくださいました。すると、父は嘔吐し、ショック状態に陥りましたが、目が覚めると、業力を消していただいたので、助けを借りなくてもしっかりと歩けるようになりました。しかし、母は父の体の浄化がイエスからの懲罰だと考え、父の法輪大法の修煉をどうしても許しませんでした。さらに、1999年7月以降、江沢民による法輪功への残酷な迫害のため、父は大法の修煉をやめてしまいました。

 2004年の初め、父は進行性の胃がんと診断されたのですが、腫瘍を切除することができませんでした。医師は、ただ胃上部と腸の吻合を行いました。父は退院した後、そのまま私の家にきて、住むようになりました。私には9人の兄弟がいますが、私と夫は兄弟の誰とも張り合わず、父の介護をしました。父のためにいろいろな栄養剤を買い、薬草や民間療法、湿布など、胃がんの治療に良いものを買ってあげました。父には年金がありましたが、余命を宣告された父を少しでも安心させるために、私たちは費用のすべてを自分たちのお金を使いました。

 父の世話をしていた時に、夫が腰椎椎間板ヘルニアを再発したので、私1人で家事一切をこなさなければなりませんでした。この歳になって、父に1日6回の食事を作り、1日3回の漢方薬を煎じ、温湿布を貼りました。そして、南側の2軒の屋根を泥灰土で塗りました。1日2、3時間しか眠れない日も、大法が私に神通力を与えてくれました。私の優しさと親孝行、そして私の不思議な体力、忍耐力によって、父は大法の「真・善・忍」の素晴らしさを目の当たりにすることができました。そのため、母や夫が散歩に同行するたびに、父は皆の前で話しました。「法輪大法は良い功法です。真・善・忍に従って人々に善を教える功法です。法輪大法への迫害は間違いです」と。 多くの人が集まって耳を傾けました。

 父の大法に対する賞賛と広報は、自分に福をもたらしました。父が重病であると知って、父の従兄弟が会いに来たときにこう言いました。「兄さんの顔色はとてもいいじゃないか、病人には全く見えないよ。 誤診されたの?」

 父は8カ月以上私の家で暮らし、私たちは父を故郷に送りました。20日後、私が横になって目を閉じていると、夢かどうかわかりませんが、父が黄色い服を着た男性の後をついていくのが見えました。びっくりして父を呼びましたが、返事がありませんでした。父は安らかに息を引き取っていました。

 父が逝って間もなくして、3番目の妹が、「西遊記の三蔵法師のような僧衣に僧帽をかぶり、黒髪の20代の父が、多くの神々に囲まれて微笑み、幸せそうにしている」という夢を見たと言いました。その時、私は父を佛の国の天の庭に迎えたのは神様だと理解しました。

 師父の保護の下、夫は命の借りを返した

 夫は大法を修煉していませんが、私の大法修煉にとても協力的です。私が師父の説法を聴くとき、主人も聴いていることがあります。そうすることで夫の天目が開き、家に入るたびに、家中に色とりどりの法輪が回っているのが見え、道を歩いていても、目の前で法輪が回っているのが見えると言います。

 夫は大法は素晴らしいと認めています。共産党が学習者を酷く迫害している期間、夫はいろいろな所で、「大法は良いものです」と言いました。政法委員会が学習者を対象に行った洗脳班の上の階でも、「私はこの功法は良いと思っています」とみんなの前で言いました。

 不法に拘禁されている学習者のために、夫はバイクに布団を積んで往復百キロもある道を行きました。夫は親族だと名乗り、学習者を危害から守ろうとしました。

 2005年の秋、夫は大事故に巻き込まれました。乗っていた電気自転車が壊れ、夫は、頭も顔も体も血まみれになり、頭からつま先まで赤い絵の具を厚く塗たように、服も血で染まりました。救急車で病院に運ばれたときも、頭、鼻、口から血を流しており、病室でも大量の血を吐きました。診察の結果、夫は頭蓋骨を骨折し、右目の上下と目尻の3カ所を骨折していました。医師は、頭の中に出血があれば、省や市の病院に転院しなければならないと言いました。私は何も聞かず、ただ夫の耳にMP3のイヤホンを入れ、師父の説法を聞けるようにしました。

 翌日、CTスキャンをしたところ、頭の中に出血はなく、少量の液体があるだけだったので、転院する必要はありませんでした。夫は目の周りの3カ所を骨折しましたが、視神経に損傷はなく、目の上下のバランスが崩れて二重に見えているだけでした。北京の専門家は、手術には17~18万元かかると言いました。私たちは手術をしないことを決め、数日で退院しました。

 半月後、夫はすべて回復しました。師父のご保護の下、夫は命の借りを返し、体に後遺症が残らないばかりか、それまで患っていた腰椎椎間板ヘルニア、不整脈、両下肢水腫などの症状さえもすべて消え、病気から解放されました。同僚や友人、親戚の中では、夫が一番顔色がよくて、元気いっぱいです。73歳になっても何でもできます。法輪大法は夫に大きな「福」を与えてくださったのです。

 慈悲深い師父に感謝いたします!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/6/473695.html)
 
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