「学法」が意味することへの悟り
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文/大陸の大法弟子 

 【明慧日本2024年4月11日】ある日、私は同修の自宅を訪れ、一緒に法を暗記したいと思い、『洪吟六』を持って行きました。もともと私は、大部分の詩は、現代の観念や行動、無神論、進化論について語っていると感じており、いくつか好きなものを選んで暗記しようと思っていました。同修と一緒に法を暗記するとき、上記のような考えはあったものの、やはり師父が説かれた法であるため、理性的に一つずつ順番に暗記することにしました。

 途中で同修が少しその場を離れたので、一人で暗記していると、ふと明慧ネットに掲載されていた「イギリスの学習者が神韻公演中に見たもの」という記事を思い出しました。そして、学習者が神韻を見るとあんなに壮観な光景なのだから、大法弟子が法を読む時はどんな様子なのだろうと考えました。

 私が妄想にふけっていた時、ふと悟りました。『洪吟六』を暗記することは、師父が弟子たちに現代的な観念や行動、無神論、進化論、紅魔(中国共産党)の毒素、変異した考え方を整理してくださっているのではないでしょうか? 党文化とは何かを理解すれば、党文化、変異した観念、現代的な観念や行動など、すべて取り除くことができると思っていますか? それは不可能です。なぜなら、これらの悪いものを取り除いてくれるのは法であり、法を学ばなければ、師父はどうやって私にそれらを除去してくれるのでしょうか? すぐに師父のおっしゃったことを思い出しました。「私は皆さんに法を多く勉強しなさい、法を勉強しなさい、法を勉強しなさい、法を勉強しなさいと言っていますが」(『各地での説法四』「二〇〇四年シカゴ法会での説法」)。師父に4回も「法を勉強しなさい」と言われました。私は自分が根本的に学法の真の意味を正しく悟っていないことに気づきました。

 師父は「大法さえ読んでいればあなたは変わっており、大法さえ読んでいればあなたは向上しているのです」とおっしゃっています(『精進要旨』「法の中に溶け込む」)

 人の観念では、目に見えないものは信じることができません。法を学んでも身体や環境がどのように変化するのか見えていないので、師父の教えである自分の考えで法を選んで学んではいけないという言葉を忘れてしまうのです。

 また、変化があまり見えていないため、法を学ぶ時に、いつも本来あるべき状態に達することができません。これは、現代の多くの変異した観念によって、法を学ぶことや法を得ることを妨げられている重要な原因の一つです。

 観念があるので、法を学ぶ時に別の考えを生み出し、これは法を学ぶことの真の意味を大きく損ないます。師父がこの法理を理解させてくださり、本当に感謝しています。

 長年神韻公演を見てきたのですが、今年初めて、自分が今まで見ていた神韻公演は、表面的な感動や視覚的な楽しみだけだったことに気づきました。まるで門外漢が賑やかなお祭りを見ているような感覚でした。

 しかし、今年の神韻は、まったく違っていました。衣装から、動き、物語の語り口に至るまで、伝統文化を表現していることが心底からわかりました。現代人の変異と醜さも感じました。儒生(昔の読書人)の演目を見たとき、古代では神が人々を導いていましたが、現代人は悪魔に導かれていると感じました。一種の感傷的な思いが胸中に去来しました。また、歴史の中で演じられる忠義、邪、善と悪は、全て今日のためのものだと悟りました。

 師父に感謝します。そして、文章を書いた同修の交流にも感謝します。その文章を読んだからこそ、私は至誠の心、正しい考えで神韻を見ることができました。他の要素もきっとあったと思いますが、今年の神韻を見ることでたくさんのことを悟りました。

 まだ理解の浅い部分もありますが、不足している点があれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/3/13/474051.html)
 
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