嫉妬心を見つけ出し、それを消去する
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子 冬梅

 【明慧日本2024年4月24日】最近、明慧ネットに掲載された嫉妬心を修めることに関する修煉体験を読みました。これらの文章は私にとって非常に大きな助けになりました。読んでいるときに、ある考えが頭に浮かび上がり、師父が私を悟らせ、私に自分の嫉妬心を認識し、それを取り除くようにして下さっているのだと分かりました。以下に、自分の嫉妬心を書き出し、それを暴きだしたいと思います。

 嫉妬心は古くから存在していた

 学生時代から、私は自分の独自のスタイルで服を着る習慣を形成していました。師父からの悟らせでやっとこれが執着心であることに気づきました。自分の服装や身につけるものがどれだけ華やかで豪華かを追求するわけではなく、ただ私が着ている服が他の誰かと同じだと気付くと、心が不快になります。

 同じ服を着ている人を見た時、その人が着ているのがあまり気に入らないと、自分もそれを着たくなくなり、自分がそれを着ても見栄えがしないと思うのです。逆に、他の人がそれを着ていてとても素敵に見えると、自分がその服を着るのはその人に及ばないと感じ、その服をしまってしまいます。これは深刻な嫉妬心ではありませんか?

 法輪功を学び始めた最初の頃、集団学法をしている時、師父が説法のなかで説かれた嫉妬心についての例を読むと、それらの現象は私にはないと考え、自分には嫉妬心がないと思っていました。

 いま思えば、本当に恐ろしいことです! これほど長い間、この良くない心を修めることを重視していなかったのです。

 師父はこう説かれました。「わたしは法を説く時、嫉妬心の問題によく触れます。なぜでしょうか? 嫉妬心は中国ではきわめて強烈に現われており、すでに日常茶飯事になっていて、自分でもそれと感じられないほど強烈なものとなっています」。(『轉法輪』)

 私は、まさに師父の言及されたタイプの人間で、自分が嫉妬心を持っていることさえ感じていなかったのです。

 20年以上にわたる修煉において、毎日大法の書籍を読んで法を学んだりしていたので、修めている、三つのこともやっていると思っていました。しかし、師父が説かれた法の多くは読み過ごしてしまい、その言葉が私に何を伝えようとしているのか? 考えたこともありませんでした。

 明慧ネットに掲載された交流文章には、すべての考えを掴むべきだと書いてありましたが、私は長い時間をかけてようやく理解できました。いま振り返ってみると、その当時はただ形に留まり、大法の仕事をすることを修煉と見なしていました。

 嫉妬心の一つ一つの表れ

 パンデミック期間中、私は法を暗記し始めました。法の中で自分のすべての考えを正していると、自分が他人に嫉妬していることに気付きました。ある日、出勤途中で、1人の老婦人がミンクのコートを着て、ゴミ箱のなかで何かを探し回っているのを見ました。口にはタバコをくわえて吸っていました。私は心の中で「そんなにいい服を着て、なぜゴミを拾うのか?」と思いました。

 一度、田舎からやってきた子供の母親が、白い車を運転して通り過ぎるのを見ました。心の中で、「この人は再婚者だ。最初の夫の家庭が貧しいことを嫌っていた。現在の夫も長年他所で働いており、あまり裕福ではない。彼女は50歳前後ですが、なぜこんなにも見せびらかすのか?」とつぶやきました。

 また、同修・Aさんの自宅で、私は初めて同修・Bさんに出会いました。Aさんが私にこう尋ねました。「Bさんは、いくつに見える?」その時、私は少し不快に思い「わからない」と答えました。しかし、心の中では「何を見せびらかすのか」と思っていました。同修のために喜んではいなかったのです。私はそっと彼女たちから離れて歩きながら「これは嫉妬心ではないか?」と考えましたが、ただこう考えただけでした。いま思えば、嫉妬心というものは本当に汚れたものです。

 大法弟子が同年代の人よりも若く見えることは、大法の超常さと偉大さを実証しているのではないでしょうか。

 同修が一緒に切磋琢磨するとき、私は時々耐えられなくなり、耳を貸したくないと感じることがあります。相手が言うことは時間を無駄にするだけで、みんなが一緒に聞く価値がないと思い、慌てて自分の理解を押し付けることがあります。

 嫉妬心は自分の空間場の至るところに存在していましたが、それについて全く意識していませんでした。

 学生時代、弟は私より勉強熱心ではなかったのですが、大学に入学しました。1980年代に大学に入ることは喜ばしいことでした。しかし、私は弟のために喜びを感じませんでした。

 学校に通っていた時、自分がそれほど努力したのに、弟に及ばないことを考えると、弟が大学在学中、休みに帰ってきたときでも彼と話したくありませんでした。自己に劣等感を感じていました。

 以前、夫が若い女性と一緒に話し合い、笑ったりする姿を見ると、不快に感じ、ネガティブ思考が生まれ、妄想をたくましくし、自分の生活に影響を与えることがありました。

 ほかにも多くの出来事が目の前に浮かび上がりましたが、その一つ一つが自分の嫉妬心を見せてくれました。今、私はこれらの嫉妬心は、すべて私の観念が正しくなかったために生じたものであり、また党文化が悪影響を与えていることに気付いています。どうしてこれらの悪いものを受け入れられるのでしょうか?

 法の中で悟り 嫉妬心を取り除く

 師父はこう説かれました。「ですからその人の人生は争いの繰り返しであり、心がずたずたに傷つけられ、とても辛い思いをし、疲れていると感じ、心はいつも平静でいられません。すると食事も睡眠もろくに取れず、気落ちしてやる気を失い、年を取ってくると身体もがたがたになり、あらゆる病気に見舞われるのです」。(『轉法輪』)

 師父がおっしゃっていることは、まさに私のことです! 法を得る前は、私は病気に苦しんでいましたが、それは他人を妬む心から生じたものでした。その時、私は30歳をすぎたばかりでしたので、嫉妬心の強さがわかります。同修の皆さんが言うように、嫉妬心は両刃の剣であり、他人だけではなく自分自身にも害を及ぼします。

 今生は非常に幸運にも、私たちを救い済度してくださる師父に出会いました。師父が私を地獄から救い上げ、地獄から除名してくださったおかげで、私は神の道を歩む機会を得ました。師父に感謝します!

 法を暗記することによって、多くの悪いものが少しずつ師父によって取り除かれました。しかし、時々まだそういう心が現れることがあります。しかし、それに気付いたら、それを抑え、取り除くことができます。私は嫉妬心が現れるとき、しばしば他の心も一緒に現れることに気付きました。たとえば、顕示心、色欲の心、虚栄心、他人を見下す心、闘争心、恨む心、疑心、他人に押しつける心などです。

 嫉妬心を取り除かないことは、本当に師父の苦度に申し訳ないこと!

 この原稿を仕上げるのに数日かかりました。その間、原稿を書くことは自己の向上の過程でもあると実感しました。原稿を完成させた夜、私は夢の中で、固まっていない黒い糞のような道を歩いていました。足を踏み込むと、足が埋まり、身体はその黒い糞でできたコットンカバーのようなもので覆われていました。ただ目だけが見えます。私はかなり速く歩いていましたが、歩くにつれて身体に付着する黒いものが厚くなっていくのを感じました。私は大きなチンパンジーみたいでした。道の終わりに着くと、洞窟の入口のような場所があり、頭の上には三又の枝が横たわっていました。枝には翡翠色の葉が数枚生えていました。私は慎重に洞窟の入口から出ました。

 それから、私は自分が大通りの上にいることを意識しました。道の表面は透明で静かな水で、深さがありました。私は水の中で転がっていました。その厚い黒いものがすべてなくなっていきました。その時、私は夏の服を着ており、道路を進んで原点から遠く離れていましたが、まだ水のなかに腹ばいになっていました。頭を高くして、同級生が目の前に来るのを見ると立ち上がり、彼女らと挨拶を交わし、少し話をしました。その後、また水の中に戻り、髪を洗いたいと思っていました。

 目覚めた後、私は考えました。師父は私に何を悟らせているのでしょうか? そして悟りました。長い間、私は泥遊びよりも汚いことをしていました。それは党文化であり、後天的な概念に包まれていました。様々な執着心があり、特に強烈な嫉妬心が厚い殻を形成していました。師父からの悟らせを理解し、嫉妬心を見つけた時、私は心の奥から一念を発しました。必ず嫉妬心と他の悪い心も取り除くと。師父は私に修煉の心があるのを見て、その汚れたコットンカバーのようなものを取り除き、修煉の大道を進むように励まして下さいました。しかし、その過程で、安逸さや怠惰さが出てきました。大法の力に頼って自分を清め、自ら修めなければいけないのですが、水の中に腹ばいになって、動こうとしませんでした。

 同級生を見たことは、師父が明慧ネットの同修の書かれた文章を通して私を啓発し、自分の観念を変え、党文化の毒素を完全に排除し、人の心、人の念、人の情に縛られず、執着心を取り除き、再び精進するようにさせてくださったのだと思います。

 愚かな弟子は師父を心配させてしまいます! 師父が按排してくださった嫉妬心を取り除くすべての機会を見逃してしまいました。残り少ない時間の中で、唯一できるのは師父の教えに従い、法を多く学び、しっかり学び、自分を着実に修めることです。口で「汚れた心を捨てる」と言うのではなく、大法の基準に従ってそれを根本的に取り除くことが必要です。そうすることで、やっと正法の進展について行くことができ、師父の苦度に申し訳が立ちます!

 以上、現段階での体験となります。法理に則ってないところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/5/474650.html)
 
関連文章