文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年4月30日】
私の舅は17歳で結婚し、20歳で父親になったため、義父母がまだそんなに年を取っていないうちに、我が家は四世代同居となっていました。舅の寛容さのおかげで、みんな一緒に暮らしてこられましたが、その反面、家族関係は一般的な3人家族よりもずっと複雑でした。
祖母、姑と私
姑と祖母の間にどんな恨みがあるのかはよくわかりませんが、ただ、姑が祖母にひどい仕打ちをしていることだけは見ていました。例えば、舅は工事の仕事を請け負っており、家計の状況は比較的よく、普段、何か食べたいものがあれば、姑は買いに行くのですが、しかし、祖母がいる時はあまり料理をせず、残ったおかずで済ませることが多かったのです。これは、子供の頃、母から教えられた「親孝行」とはほど遠いものでした。ですから、私は姑の行動が理解できず、見下して軽蔑さえしていました。
その後、夫と一緒に法輪功を学び始め、人と人との間には因縁関係があり、誰も変えることはできないことを知りました。しかし、修煉者としては、真、善、忍の基準に従って善導(ぜんどう:善い方向え教え導くこと)することはできます。
ある時、舅と姑が祖父母の扶養をめぐって口論になりました。姑は怒って、昔の話を蒸し返し、祖母の欠点を数え上げ、舅に祖父母を実家に帰すよう要求しました。舅は最初、姑に理屈をこねていたのですが、結局、姑が本当に筋が通らない人だとわかると「今日、たとえ私一人家から出て賃貸をしても、年寄りを放ってはおかない!」と言い出したのです。
その時、私たち夫婦と義兄夫婦もいました。姑は、舅を説得できないと見て、泣きながら騒ぎ立て私たちに向かって「ほら、お父さんはもう私たちを必要としていないのよ、目には彼ら親子3人しかないんだから」と言いました。私たちはしばらくどうしていいのかわからず、顔を見合わせただけでした。
姑が外に出て行ったとき、私はそっと後を追い「怒らないでください。祖父母がどうなろうと、お父さんも大変なんだから。ほら、お母さんの2人の息子が目の前に立っているじゃないですか、父の主張は息子たちの手本になっているんでしょう? おばあさんとおじいさんのことでそんなに騒いだら、今後、私たちはお母さんにどう接したらいいの?」と、そっと姑に言いました。姑は私の話を聞いて、考えてみると、その通りだと思い、すぐに騒ぐのをやめ、何事もなかったかのようになりました。
またある時、姑と祖母が対立し、姑が「お父さんがおばあさんをかばっている」と言い、非常に怒って、私に是非を決めてもらいに来ました。私はまたいつものように類推し、「お母さん、もし私たちにトラブルがあった場合、お母さんの息子に私とお母さんとだったら、どちらを庇ってしてほしいですか? もし私たちが対立したら、お互いに相手のことを気にしなくても、真ん中に挟まれて苦しむのは、お母さんの息子さんじゃないですか? そう思いませんか? 実際、さっきお母さんが出かけたとき、おばあさんはお父さんを慰めて、お母さんは機嫌が悪いだけだから、少しくらい言わせても大丈夫、本当は悪い人ではないんだからって言いましたよ」と姑に言いました。それを聞いた姑は、その通りだと思い、怒りが収まりました。
それらのことによって、姑は私のことを相談相手だと思うようになり、舅との間に何かトラブルがあると、私のところに相談に来るようになったのです。その後、舅は私たちと一緒に法輪大法を修煉するようになりました。
その年の大晦日、姑と舅はまた祖父母のことで対立し、姑は怒って夜帰ってこないと言い張り、舅と別々に過ごしたいと言いだしました。今回、私は姑だけではなく舅にも助言しました。私は「師父は、どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。という教えがあります」 [1]と言い、師父の教えを聞いた舅は、すぐに怒りを収めて、笑顔で姑に、「怒らないで、一緒に帰ろう」と言いました。その後、姑は「結婚して20数年目にして、初めて舅が喧嘩の末に謝りに来てくれた。初めてお父さんからの優しさを得たと感じた」と感動しました。しかも、これは、義父母が20数年間喧嘩して得たものではなく、法輪大法が舅をよくし、大法が姑に与えてくださったものなのです。姑のこのような体験があったからこそ、中共による20年間の法輪功への残酷な迫害の間、大法との絆を断ち切らなかったのです。
義父母、義理の兄姉と私たち夫婦
私は夫と義兄姉とも、高校時代の同級生でした。義姉と私は同じ都市の大学に進学し、出会ってからずっと姉妹のような付き合いでした。
義姉は地元出身で、義姉の実家の人たちは政府関係の幹部です。義姉は推薦され大学に進学し、義兄は自費で私立大学に行ったので、姑は義姉を高く評価しており、特に義姉には優しく、買い物に行くと、よく義姉に買ってあげて、義姉もとても喜んでいました。
私はいつも法輪功修煉者の規範を守り自分自身を律しています。姑は比較的裕福ですが、私は何かを要求することはなく、姑が私にお金を使わないように心がけているので、利益上では衝突することもなく、毎日仲良く暮らしていました。
しかし、1999年7.20に、中共が法輪大法を迫害し始めてから、私たち家族のこの幸せな雰囲気は破壊されました。義姉は大学の政治学の教師です。中共が法輪功を誹謗中傷するために、さまざまな虚言をし、中共の邪悪な連座政策の高圧の中で、義姉は私たち夫婦が法輪功を修煉することに全力で反対しました。
義姉は、私たちが大法の本を読んでいるのを見て激怒し、ひいては、夫が洗脳班に拉致された時も、舅までも叱責し、自分の息子をしっかりと躾けていなかったからだと言いました。当時、私たちは真相を伝えることを知らず、ただ静かに自分の信仰を守っていました。
義姉が授乳期の時、進学のために大都会へ行かなければならず、私たちは文句を言わずに家で義姉の子供の世話を手伝い、舅は義姉に経済的に援助もしたので、義姉は私たちが法輪功を修煉することを気にしなくなりました。私たち夫婦が労働教養所に拉致され、迫害されたとき、義姉は私たちを訪ねて収容所に来てくれましたが、収容所は私たちを会わせてくれませんでした。家に帰ってきた義姉は床に座り込んで「そこに道義があるのか? 胸が張り裂けそうになるし、腹立たしいし、もう二度とそこには行かない!」と泣きながら言いました。
私たち夫婦が迫害された間に、舅が交通事故で亡くなったのです。そのため、姑と私の子供は義姉の家に預けられました。私が労働教養所にいた時、警官に「あなたの義姉はあたなの子供の面倒を見てくれて、将来、義姉にどのように恩返しをするつもりなのか?」と聞かれたことがあります。私は何も答えませんでしたが、心の中で「私はただ大法の中でしっかりと修煉するだけで、すべては師父が見守ってくださっている」と思いました。
私たち夫婦が労働教養所から戻ったとき、義兄姉(おねえさん)は「私たち夫婦は社会から淘汰され、貧しい生活を送ることになる」と思っていましたが、私たちはすぐに社会に溶け込み、大法を修めることから生まれた知恵を生かして、それぞれの職場で活躍し、家族の誰からも助けを求めることがなかったのです。そのため、義兄姉や親戚たちは、法輪大法の素晴らしさを感じました。
その後、義兄姉は姑の家を売ってしまい、自分たちの名義で会社の福祉住宅を購入しました。義兄姉は、私たち夫婦が怒るだろうと思っていましたが、私たち夫婦は何の異議もありませんでした。それで、義兄姉は申し訳なく思い、私たちに姑と一緒にその家に住ませるようにしました。
最初は、私たちは月々の家賃を賃貸で支払い「私たちが大法修煉者なので、師父から他人のうまい汁を吸ってはいけないと教えられている」とはっきりと伝えました。しかし、義兄姉は2カ月分の家賃しか取らず、その後は、どうしても取らなくなりました。「お母さんの家を売って購入した住宅なので、あなたたちも住む権利がある」と言いました。それで、一家はいつものように仲良く暮らしていました。
それでも、姑は私たちには新しい家がないことをよく悲しんでいまいた。私はそのたびに「悲しむことはない、迫害が終わる日には、私たちの家が一番になる。あの玄関のドアと、玄関脇のタンスに咲いていた優曇華の花を忘れないで!」と、姑を慰め、そのたびに、姑はとても厳粛にうなずいていました。
結語
20数年間、法輪大法を修煉する過程で、法輪大法は私たちに和やかで素晴らしいことをもたらしてくれました。全ての辛いことと苦難は、中共が法輪功を迫害するからです。このことは、ずっと私たちと一緒に暮らしてきた姑も理解しているのです。姑自身の言葉を借りれば「私は盲目ではなく、あなたたちがしてきたことをすべて見て、心の底から感心している」ということです。
中共による法輪大法への迫害がまだ続いているにもかかわらず、姑は今年の大晦日、私たちに「他の人が何をしようと、私はこれから大法師父を心から信じます」と、自分の真心を打ち明けました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』