東北部の同修たちの「闘争心」について話す
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文/遼寧省の大法弟子

 【明慧日本2024年5月6日】法輪功学習者をクライアントにしているある弁護士が私にこう言いました。「警察官が私のクライアントの権利を侵害したとき、私は常に警察官に『あなたが態度を変えなければ、私はあなたを訴えます』と言います。しかし、この言葉を聞く時、東北部の警察官と南部の警察官とで反応が全然違うのはなぜでしょうか? 南部の警察官はすぐに態度を変え、状況を和らげ、そしてクライアントの権利が守られます。しかし、東北部のほとんどの警察官は『好きなようにやれば! 訴えるなら、早く行け!』と強気に言います。そのように言われると、私は本当に彼らを検察庁に訴えるか、あるいは訴訟事務所に行くしかないのです」

 続いて弁護士はこのように尋ねました。「これが党文化なのでしょうか?」党文化は中国全体的に存在するものなので、東北部の警察官たちの反応は党文化ではなく、東北部の特有の雰囲気からきたものかも知れないと私は思いました。文明が早く開化して、人々は比較的穏やかな南部と違って、東北部は昔、未開な地域であり、盗賊も出たことがあります。東北部の先祖たちはどんなことにも恐れませんでした。子孫たちもそれを受け継いでいるかもしれません。また、南部と東北部の警察官の行動の最終的な違いは、南部の警察官は弱さを示すことを恐れず、できるだけ衝突を避けようとする一方で、東北部の警察官は自らを弱者の立場に置くことを決して甘受せず、事態を大きくすることを恐れません。

 修煉者の視点から見ると、それは闘争心でしょう。東北部の人々は横暴を恐れません。あるジョークによれば、ある東北部の人が用事を済ませに行く途中で、2人の南部の人々が口論しているのを見かけました。彼が用事を済ませて帰ってくると、2人はまだ口論していました。彼は我慢できなくなり、彼は2人に、こう言いました。「君たちは真剣です。我々東北の人間は、問題を解決するために力づくで解決できることは、大抵口論しないんだよ」

 弁護士はこのように言いました。「もしかして、地元の水にも関係あるんですかね? 土地と水が人々を育てますから」そして、この話題は笑いの中で終わりました。

 そして私は、黒龍江省のいくつかの地域で、国保が法に違反して弁護士の面会権を剥奪していることを思い出しました。これは完全に理にかなっていないことですが、一部の地域では頻繁に起こりました。これは地元の大法弟子の心構えと関連があるのではないかと思いました。

 数年前、私たちの地域では地元警察の悪行を暴露したとき、最初は単に機械的に行い、時には感情的に行いました。しかし、同修たちを救出する過程で、徐々にあることに気づきました。それは警察と対立するのではなく、彼らを救おうとする心が必要ということでした。その数年間、同修たちはこの問題について何度も交流しました。今は私たちの地域の同修だちは、誰もがこの問題について統一の理解を持っています。それは、「私たちの同修を救うだけではなく、警察官も救わなければいけない」ということです。文章をあまり書けない年配の女性の同修がいましたが、彼女が警察に書いた手紙には、次のような内容がありました。「お婆さんがあなたに伝えたいことは、法輪功を迫害することはあなたにとって良くないことであるということです。私はあなたのことが心配でこれを伝えています。佛法に対して善意を持って扱うことで、良い未来が訪れます」その数年間、私の地域の同修たちは誰もがこのような手紙を書いたことがあります。

 後で聞きましたが、公安局の警察官がほかの人に対して「法輪功をやっている人たちはみんな善良だ」と言っていたそうです。おそらく、彼らは私たちの善意を受け入れたのかもしれません。その後、私たちと彼らの間の対立感がますます薄れていくように感じました。そして、迫害に関与していた検察官や裁判官などが次々と悪い報いに遭うようになるにつれ、最初は最も悪い態度を示していた地元警察の責任者さえも変わりました。法輪功の修煉者が真相を伝える資料を配布する時に人に告発された時も、何度か彼は修煉者を放免しました。同修の家を家宅捜索するときも、物色することなく、たとえプリンターを見つけても、「それは壊れています」と聞くと取らなかったりしました。もし以前だったら、彼らは連行された法輪功の修煉者に対して罪を被せようと偽の証拠まで紛れ込ませようとしていました(弁護士によって3回発覚しています)。プリンターを見つけたら、そのプリンターが使えるか、壊れたかにかかわらず、証拠を捏造するためにも必ず持って行こうとしたはずです。

 数日前、ある同修が連行され、警察が取調べに行ったとき、配布する資料はどこから来たのか尋ねました。同修は車にあるプリンターで自分で印刷したと答えました。警察官は彼をすぐ止めて「それは言わないでください」と言い、記録にも書き留めませんでした。

 なので、もし地元の警察官が積極的に迫害に参与しているなら、地元の法輪功の修煉者たちは心の中で、闘争心はないのか? 警察官を救うべき衆生として見ているのか? 彼らが自分の職務上で無力である気持ちを理解しているのか? 警察に対する慈悲の心はあるか? と問いかける必要があるかも知れません。

 これは私の一つの考え方に過ぎません。もし間違ったことを言ってしまった場合、同修の皆さん、お許し下さい。不適切な点があれば、慈悲深をもってご指摘ください。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/30/475779.html)
 
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