文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年5月7日】長い間、私は中国共産党文化のイデオロギーに深刻に毒されており、競争心、短気で、忍耐を養わず、口を修めず、適当に発言することで、多くの厄介ごとを招いていることに気づきませんでした。
2023年後半のある日、急に足が痛くなって普通に歩けなくなり、外に出て真相を伝えるのがとても辛くなりましたが、それでも私は毎日外に出て真相を伝え、人々を救う活動を続けました。 ある日、同修と一緒に真相を伝えに出かける時、同修は「今日はもっと遠いところに行こう」と提案しました。 私は「いや、足が痛くて遠くには行けない(本当は苦労するのが怖かった)」と答えました。 そう言った途端、足が本当にどんどん痛くなっていきました。
このように不正な考え方が本当に病業を呼び、足が痛くて地面に立っていることさえできませんでした。 私は警戒し、内に向けて、多くの人心を見つけることができました。遠くまで歩くときは足が痛くなるのを恐れ、坐禅を組む時は足が少し痛くなると直ぐに足を下ろすなど、苦労をしたくない考えを持っています。 また、口を修めない心、闘争心、焦る心などもありました。
このような人心が分かってから、繰り返し師父の経文を学ぶことで悟った「苦しみを嘗め、心性を高め、罪業をなくし、再び天に帰れるように自分を創り直す」という法理を、自分の言動と照らし合わせました。 私は毎日、人心とそれに関連する常人の考えを超越することを可能にする師の法を暗記することに専念しました。 坐禅では、たとえ足が痛くても下ろさず、90分間坐禅することを続けました。 同時に、私の肉体を迫害する邪悪な要素を一掃するために、正念を発しました。 私は旧勢力の指図を認めず、自分のすべてを師父に委ね、何も考えず、真相を伝え人々を救うために毎日外に出かけました。 数カ月後、師父のご加護のもと、私の足は痛くなくなり、完治しました。
また、ある日、足が痛くて曲げることができず、曲げた後、今度は立ち上がるのも困難になりました。 師父が教えてくださった法宝(ほうぼう:法という宝)について考えてみると、トラブルに遭遇した時、内に向けて探すようにと言われましたが、私には執着心が多く、特に争いと焦りの人心がとても強いことがあらためてわかりました。 例えば、家で主人と衝突したとき、妥協しないこと、 私が主人に何かを頼んだとき、彼がわざと間違ったことをすると、私はすぐに彼と衝突し、怒鳴ります。 家でも外でも、人の指摘を受けることができず、指摘を受ければ癪に触って、堪忍袋の緒が切れて、きつい口調でしゃべったり、是非を論じ、修煉者とは思えないような口論をしたりします。 大げさに言えば、中国共産党文化イデオロギーの現れです。
主人の振る舞いは、実は私が向上するために師父が按排してくださったもので、それは良いことであり、私は主人に感謝すべきなのです。 しかし、私はそれが自分の心を向上させる良い機会であることに気づかず、それを逃してしまいました。
自分の中に存在する中国共産党文化の要素を一掃することに注意を払って以来、私は毎日持続的に数講の法を学び『党文化の解体』の音声を聴き、持続的に90分間坐禅し、自分のこの領域に存在する問題について正念を発することを強め、すべての出来事において内に向けて探すことができるようになりました。 知らず知らずのうちに、主人が変わりました。主人になにかを注意しても、彼は口答えをしなくなりました。
ここ数年間の自分の病業の虚像を振り返ってみますと、すべてが私の修煉不足が要因だと思います。師父の弟子として、これからも三つのことをしっかり行い、師父と一緒に家に帰ろうと思います。