【慶祝5.13】貴重な歴史的画面
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文/中国の大法弟子・縁真  

 【明慧日本2024年5月10日】

 大法に出会い法を広める

 私は28年前の1996年5月18日、51歳の時に法輪大法に出会い、今年で79歳になりました。 当時、私は健康状態が良くなかったので、家族からある気功を学ぶように勧められました。 その気功を学ぶ前に、あるビルの側壁に書かれている法輪大法の紹介を見かけました。私は同地区に住む協調人を見つけ出し、 その人の家を訪ねました。その協調人は私を温かく家に招き入れ、法輪大法について説明してくれました。大法の素晴らしさを知った私はその日から法輪大法を修め始めました。

 修煉を始めた後、毎日、森林公園で煉功を行い、大法を学ぶ喜びを言葉では表すことができず、50歳を過ぎた私は子供のようにはしゃぎまわり飛び跳ねて木の葉を取ったりして......その嬉しさを体全体で表していました。

 地元の最初の煉功場には、増え続ける煉功者を収容しきれなくなり、私たちは煉功場を地区ごとに増やしました。 新しいテレビ山の煉功場に、私は電気に接続するケーブルを購入し(当時、テープレコーダーは電源に差し込まなければならなかった)、毎朝、テープレコーダーと大法を紹介するパンフレット、法輪の旗を持って早く煉功場に行き、煉功を行い、大法を広めていました。 その時、私は本当に幸せで、知らず知らずのうちに体から病気が消え去り、体が軽やかになりました。

 当時の法を広める壮大な場面を思い起こすと、その浄土、魂を浄化する場面は今でも依然として感情が高ぶってきます。1996年冬、初めて野外競技場で大規模な煉功、大法を広める活動が行われ、地元のテレビ局も生中継で取材しました。弟子と世人の身体に降り注ぎ、つながっている法輪が空中で渦を巻いて回転し、飛び回っていました!  この場面はその夜、テレビで放送されたビデオに、その様子が映し出されています。

 師父の洪大な慈悲と無限の法の力を表現する言葉はなく、称える適切な言葉もありません!

 1997年、中央駅で集団煉功や法を広める活動が開催され、市内の学習者が参加しました。

 1997年から1998年の夏までの間、いつだったかはっきり覚えていませんが、森林公園で「法輪佛法修煉体験交流会」が開かれ、約400人が参加しました。

 交流会では、ある年配同修が大法を修めて、読み書きができるようになったという奇跡的な体験と、健康を取り戻した体験を語りました。 もう1人の同修は戦争の時代に戦場に行ったことがあり、この年配男性は大きな瓶を手に持ち、その瓶の中に数日前に鼻から排出された鼻腔癌の塊が入っていました。 彼の顔は腫瘍で変形し、完全には回復していませんでした。 彼は腫瘍を排出する過程を語り、大法の師父に限りなく感謝していました。

 実際、この森林公園は初めはごく普通の山で、朝に煉功に訪れる人たちはそれぞれ、毎日のようにレンガを持って来て、山を登る道を作ったのです。 大法は広く伝えられ、この場所に煉功場を作ったことで本当にこの山に福をもたらし、次第に今日のレジャーとフィットネスの山となり、市内の朝の煉功とレジャー、運動、フィットネスの良い場所になりました。

 1998年の秋、体育館の外で煉功や大法を広める活動が行われました。 約200人が参加しました。

 1999年の正月、「法輪佛法修煉体験交流会」が体育館で開かれ、農場、地区、県の同修5000人が参加されました。 これは参加者が最も多く、迫害が本格的に始まる前の最後の大規模な法会になりました。 会場内の席が足りず、同修たちが席を譲り合い、グラウンドは同修たちで埋め尽くされ、通路も同修たちでいっぱいになりました。その神聖で穏やかな場面は本当に心を震わせました!

 北京に向かい大法を守り法を実証する

 1999年、暗黒の7月20日がやってきました、この日私たち数人の同修は地元で北京に向う初めてのグループになりました。 タクシーに乗った私たちは、隣の市に着く前に足止めされ、隣市の公安局に送られ、同市の拘置所に収容されました。 一度目は北京にたどり着けませんでしたが、二度目に北京に向かったときは、一人の同修と一緒に北京に辿り着きました。

 2000年、私たち兄妹は3回目に北京に行きましたが、その時、全国各地から自発的に北京に続々と同修が集まり(道中で足止めされ北京に辿りついていない同修も多くいた)、同じ法を修めている人たちが北京の天安門広場に集まり、話す言葉にはなまりがありましたが、私たちは同じことを言っていました。それは「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 私たちの師父の潔白を返してください!」という言葉でした。

   私たち兄妹は北京に着いた初日、横断幕を掲げるのに適した場所を探しましたが、その場所には誰もいませんでした。 翌日、私たちは天安門広場に行き、横断幕を掲げた場所まで急いで走り、横断幕を袖から出して高く掲げ、走りながら大声で「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 私の師父の潔白を返してください!」と叫びました。

 狼のようなパトカーが私たちに向かって走ってくるのが見えました。警官はニワトリを捕まえるように私の両手を背中に回しましたが、私は師父のご加持の元で恐れていませんでした。 私のバッグが地面に投げ出されたのを見て、どこからその力が来たか分からず、「バッグが落ちた!」と叫び、その人は本当に私のバッグを拾ってくれました。 そして私たちはその人に車の中に押し込まれました。私たちは車の中で彼らに法輪功迫害の事実を伝えました。

 警察に連行された後、私たち2人はそれぞれ北(音読み)県、懐来(音読み)県に送られました。 私たちは名前も住所も言わなかったため、内モンゴルとの境にある彰北(音読み)県という、とても荒涼とした場所に移送されました。そこはとても貧しく、人々が昔ながらの綿入りの防寒服を着ていました。

 その時、同修たちは地元の警察、会社と家族を巻き込まないように、自分の名前と住所を言わない方がいいと悟りました。 本当に自我を放下し、生死を放下していました。どこに送られようと、何をされようと好きなようにすればいい(当時の認識であり、邪悪の迫害を否定するまで認識できなかった)と思いました。どのように脅迫されようとかれらの要求に応じませんでした。当時、脳裏に家庭のこともなく、何もありませんでした。 この時、大法弟子からの臓器狩りの邪悪行為はすでに始まっていました。

 大法弟子たちは実に大規模で勢いがあり、10台ほどの豪華なバスが威風堂々とパトカーに先導され、バスの後尾には救急車がついていました。 バスの中の大法弟子たちには、それぞれ武装警官が付き添っていました。 私たちは休むことなく、彼らに法輪功迫害の事実を話しました。 途中、人々が集まっている場所で、私たちは窓を開けて「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 私の師父の潔白を返してください!」と叫びました。

 私たちは犯人のように拘束されていたけれど、同修たちは誰も恐れておらず、とても神聖なこの大法を得ていることを喜んでいました!

 その当時、師父の『北米五大湖地区法会での説法』が出版されましたが、私はタイトルしか覚えておらず、この法を読んでいませんでした。刑務所の中である常人が全部暗記していたので、暗唱して聞かせてくれました。

 私は靴の中敷きと、脇の下にお金を隠していたため、身体検査の際には見つかず、困難な人を助けようと思いました。 私の部屋には義理の親子が閉じ込められ、地元の人であり、身体検査でお金を全部取り上げられました。この親子は刑事犯でありとても悪人で、誰かが良い服を着ていると無理やりその服をはぎ取っていました。 私はお金を必要とする同修に分け与えました。

 世人に真相を伝える

 環境が非常に緊迫していた2000年以降、3人の同修が資料作りの拠点を立ち上げ、その後、私が加わり、私にできることを黙々とこなしていました。 私は消耗品や設備を購入することを担当していました。 一度に10箱か20箱の紙を購入し、車を雇って近所まで運んでもらい、それを資料作りの拠点まで運びました。 時には運転手に問いただされることもありました。 資料を印刷する人はさまよって身を落ち着ける所がない男性同修で、機械の騒音はとてもうるさく、6月か7月の暑い天候にも関わらず、音が漏れないように扉や窓を密封していました。暑さでその男性同修は、短パン一枚で大汗をかいていました。印刷した資料はすぐに持ち出しました。

 邪悪な迫害がとてもひどい時、邪悪なものが私の家の前で張り込みをしていました。ある日、私は一人の女性同修と出かける際、住宅地の出口で車が待っているのが見えたので、タクシーに乗ると、その車は私たちについてきました。 それを見た同修は、「あの車がまたついてきています」と言い、私は「構わないで、行きましょう」と言いました。その同修は「どこへ行くのですか」と聞きました。私たちは裏口から病院に入り、どの階段の出口からでも出れるので、私たちは正面の出口から出ました。 同修は「あなたはもう怖くないのですね」と聞き、 私は「はい、怖くなくなりました」と言いました。 私たちはこのようにして尾行を振り切りました。

 私は同修と真相を伝えるグループを形成し、不定期的に資料を配布しています。毎日、縁のある人であるかどうかにもかかわらず、面と向かって真相を伝えに出かけています。 毎日、私は大法弟子がすべき三つのことをしています。そして「法輪椿法」を1時間、「神通加持法」2時間を煉功しています。

 あっという間に28年が経ち、師父の庇護のもと、私は法を正す修煉の道を着実に歩んできました。 世界法輪大法デーに際し、私が目の当たりにした歴史的な場面をお伝えし、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」であることを実証したいと思います。 師父の慈悲なる済度に感謝します!

 師父に感謝申し上げます!

 同修に感謝します!

 (慶祝513投稿文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/3/475908.html)
 
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