文/黒龍江省の大法弟子
【明慧日本2024年5月14日】【編集者注:現代人は良い人になることは愚かであると考えていますが、そうではありません。長い目で見れば、詐欺、浮気、強盗などは一時的に横行するかもしれませんが、お互いの復讐はいつ終わるのでしょうか。 良い人だけが長い道のりを歩むことができます。 特に自然災害の場合には、高い道徳基準を持つ人々が神に見守られます。】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は1960年代に普通の家庭に生まれました。 私は子供のころから両親の影響で、学校でよく勉強しなければならない、仕事で良い結果を出さなければならない、自分を大切にしてくれる良い結婚相手を見つけなければならないという強い性格を形成してきました。
しかし、物事は計画通りには行きませんでした。夫の経済状況や気性もよくありません。普段から口が悪く、自分の考えと合わないと怒ったり、物を投げたりすることもありました。私は結婚する前までは人の悪口を言うことはなかったのですが、夫と会ってからすぐに性格が荒くなり、よく喧嘩をしました。夫が私を一度罵ったら、私は夫を二度罵らなければ気がすまなくなり、夫が一度私を殴ったら、私は数回夫を殴りました。そうすると、夫はさらに私を殴るようになりました。私は苦しみながら家を出ましたが、夫は全く私を捜すことはありませんでした。そのため、私は夫に対してとても失望して悲しくなり、怨恨心が出てきて復讐したい気持ちになりました。
現代人は、良い人になることが愚かであると考えていますが、そうではありません。私は利己的で心が狭くて恨み深い人間から、他人を思いやる広い心で損得を考えない善良な人間に変わることができました。また健康になり、家庭内の争いが減り、平和な雰囲気になりました。これは師父の威徳であり、大法の威徳であり、大法は新しい自分を作り上げました。
話は修煉する前に戻ります。ある日、夫がひどい風邪をひいて熱を出し、布団をかぶっても震えていました。しかし、私は彼を憐れんだのではなく、ほうきで彼を殴りました。
この機会に夫に対する不満を晴らし報復しました。喧嘩をしたら、私は夫のために料理を作らず、夫が仕事に行くときは自分で麺類を作りました。私は夫を見下しており、いつも心の中で憤慨し、夫が自分と釣り合わないと思い、夫と夫の家族も私を大事にしてくれないと感じていました。 結婚して半年後、私は入院して大手術を受けましたが、夫は私が実家から病気を持ってきたと言いました。家に帰っても、義父も義弟も口をきいてくれませんでしたが、私が率先して義父に挨拶をしました。この事で私はとても腹が立って、夫の家族は冷酷だと言いました。夫の弟の妻は利益を手に入れるため、私をいじめたので、私は不眠症に悩まされるほど苦しくなり、夫に話してもまったく慰めてくれませんでした。当時の私は、夫には何も良い所がないと思っており、同級生がいつも自分の夫を褒めていたので、私は恥ずかしいと思っていたのです。
私は高校時代、キャンパスに住んでいたころから重度の冷え症を患っていました。 15、6年間さまざまな治療を受けましたが、どれも効果がありませんでした。仕方なく、一時的な痛みを和らげるためにカッピング(吸い玉)に頼るしかありませんでした。 以前は母がそれを手伝ってくれましたが、夫の助けに頼らなければなりません。 重度の冷え症のため、数日間カッピングしないと、胸や背中が石に押さえられたように息ができなくなり、首が凝ったように曲がらなくなります。 夫はせっかちで、手伝うたびに激怒して私を厳しく叱り、「早く死ね!」と罵声を浴びせることがよくありました。体の痛みと夫の態度と相まって、私は耐えられないほど辛くなりました。
私が最も苦痛と絶望の中にいたそのとき、人生の転機が訪れた
そのころ同僚の紹介で、幸運にも法輪大法の主要な本である『轉法輪』を読みました。私は法輪大法の教えに深く感銘を受け、大法に出会うのが遅すぎたと感じました。それ以来、私は人生の本当の意味、人間の生命の起源、人々の間の因縁、そして人々の病気や苦痛の根本的な原因を理解しました。これは私が30代になるまで聞いたことのなかったことでした。
一定期間修煉した後、慈悲深い師父は私の体を浄化してくださいました。私の頑固な冷え症は消え、不眠症は治り、私の喜びは言葉では言い表せないほどでした。
夫に対する態度も徐々に変わり、どんな衝突にも大法で対処できるようになる
師父は「煉功者としては、殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、常に高い基準で自分を律しなければなりません」(『轉法輪』)と説かれています。
私は師父の話を聞き、まず悪口を言うのを自制しました。以前夫と喧嘩するたび、すぐに罵る癖がついてしまっていたので、「人を罵らないこと」は私にとって大きな試練でした。 夫がわざと私を罵ったりしましたが、私は罵らないようにと自分に言い聞かせ、徐々にやめるようになりました。 最初は一生懸命我慢していましたが、後には怒りも憎しみも不満も持たず、寛容になりました。 私が罵らなくなったのを見て、夫は「お前が修煉してから2人の喧嘩もなくなったし、人を罵らなくなったし、退屈だよ」と話したことがありました。私は「罵りたいなら、自分で罵ったらいいでしょう」と言いましたが、夫は次第に罵らなくなりました。
2012年、夫は都会の病院で耳下腺腫瘍の手術を受けました。私は夫に同行して世話をしました。 病院の食事はまずかったので、外のレストランに食事を買いに行きました。 病棟に空きベッドがないときは、私は夫と同じベッドに詰めて寝ました。ぶつかるのが怖くて肩を上げて寝なければならず、そのせいで骨が痛くなりましたが、私は文句一つ言いませんでした。
3年後の冬、夫は仕事の帰り、乗っていたバスが交通事故に遭いました。夫は手のひらの骨3本を骨折し、地元の病院に入院し、骨の手術を受けて鋼製の釘を挿入されました。1年後、彼は釘を抜くために再び入院しました。私はずっと夫に同行し、美味しいご飯を食べさせてあげたいと思い、バスに乗って家に帰り作りました。当時は保温弁当箱がなかったので、作った食事をステンレス製の弁当箱に入れ、冷めないように何重も包んで、バスで病院へ届けました。
以前、私たち夫婦が衝突したときは、夫の何が間違っているのか、いつも外に向けていました。私は、「家事を手伝ってくれず、責めるばかりで、私を怒らせた。自分はいつも完璧で何の問題もないはず」と思い込んでいました。
しかし、大法を学んでからは、私は恨みを捨て、次第に内に向けて探し、自分の欠点を見つけ、自分を変えることを学びました。 次第に夫を責めたり、愚痴をこぼしたりすることが減り、夫を気遣ったり慰めたりすることが増えました。 徐々に家庭内のトラブルが減り、平和な雰囲気が濃くなっていきました。
私が変わったら、夫も変わったことがわかった
1997年の冬、私は夫に義父を迎えてしばらく滞在するように言いました。義父は歯が悪く柔らかいものを食べるのが好きなので、私は、魚や豆腐、茶碗蒸しなどを作ってあげました。これらはすべて義父が好きなものです。義父は私の家でとても快適に暮らしていたので、夫は私にとても感謝しました。夫は「お前に苦労をかけた」と何度も言いましたが、私は「それは何でもないこと」と感じていました。義父が家に帰ってすぐに癌と診断されました。そのことを聞いたとき、私は涙を流し「義父は本当に可哀そうで、親孝行するチャンスもなくなった」と思いました。夫は、家の金を出して義父の病気を治療したいと言いました。当時、我が家には2000元しかありませんでしたが、私は何も言わずに夫に通帳を渡しました。 夫はとても感動しました。 その後、夫はお金を出して、物を買ったりしましたが、私はすべて協力しました。これを見た義父は、夫と私に古い家を譲ると言ったのですが、二人とも断りました。
夫の弟の妻は、私たちをとても傷つけたので、私は一生彼女を許せないと思っていました。 しかし、大法を学んだ後、私は彼女との因縁関係を理解し、彼女に対する恨みを脇に置き、率先して彼女と話をしました。 それ以来、夫の弟の家族と再び付き合うようになりました。弟の妻が二人目の子供を出産したとき、私はお祝いを持って行き、子供が転校で困ったときも助けました。 すると、私の家で何かあるときは、彼らも手伝いに来るようになりました。
ある年、夫の会社が給料を払えなくなったとき、10トンの石炭を渡されました。夫と話し合い、経済的に困っていた夫の兄弟にあげました。二番目の兄の子供は高校に通っており、お金が必要なので、私は服を買うお金を節約して、金銭の面で助けてあげました。三番目の姉は他県に住んでおり、数年前、手頃な家に引っ越したのですが、私たちから5千元を借り、3千元を返すのに数年かかりました。三番目の姉夫婦の健康状態が良くないことを知っており、収入も少ないので「残りの2千元は返さなくていいです」と言いました。今年の新年、三番目の姉が長姉の家に来たとき、私は三番目の姉にもう1千元を渡し、さらに1千元以上の薬を買ってあげました。
私は、より多くの心優しい人々が大法の素晴らしさを理解し、大法の修煉に入り、真・善・忍の基準に従って良い人を目指し、道徳心を向上させ、最後には本当の自分の家に帰ることを願って、この体験談を書きました。
(明慧ネット「5.13」世界法輪大法デーの入選文章)