文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年5月15日】私は1960年代に生まれました。人生で茫然としていた時、幸運にも大法に出会い、人生の苦しみから抜け出すことができました。大法の真相を知らない人たちが、中国共産党(以下、中共)の嘘の宣伝から抜け出し、大師の偉大な加護を享受できるように、私自身の真実の話を書きます!
私は子供の頃から甘やかされて育ち、父から非常に可愛がられ、そのうえ、色々な面で比較恵まれていたし、ずっと順調に成長できたので、人から羨ましがられていました。しかし結婚後、私は深淵に落ちました。夫は遊び歩くだけでなく、夜もよく帰って来ませんでした。私は20代の頃にはすでに病気に悩まされていました。私は働きながら子供を育て、孤独と苦痛の中で壊れかけた婚姻生活を維持していました。離婚すれば笑われるのを恐れて、非常に苦しい中で生きていました。
31歳の時、私は幸運にも『轉法輪』を拝読しました。この本は、人に善を勧める高徳な大法で、真・善・忍の理念に従って自己を修煉します。それ以来、私の人生は新しいページが開かれ、過去の苦痛と茫然とした状態に完全に別れを告げ、私は世界で一番幸せな人になりました。体の様々な病気も知らず知らずのうちに消え、法輪大法は私に幸せな人生を見い出させてくれました。
一、夫への恨みを修めて取り除く
私は、前世で夫に借りがあったから、因果応報で今世で返しているのだと思いました。だから、夫が私にどんなことをしても怒りませんでしたが、時には悔しくて、涙がこぼれ落ちることもありました。私が、この悔しくてつらい気持ちを絶えず取り除き、善をもって人に接していると、だんだん心が動じなくなりました。
以前、私たちが衝突したとき、私は彼が間違っていると考えていました。確かに表面上は彼が悪いのです。しかし大法を修めた後、師は私たちに内に向けて探すよう言われたので、私はそうしました。なぜ私たちは衝突するのか? 世間では、矛盾やもめ事は片方だけでは起こらない、双方に責任があるという言い方があります。もし私がそんなに良ければ、どうして対立するでしょうか。その後、私は彼を見下す心を持っていたことに気づきました。人間の感情はとても複雑で、愛と憎しみが絡み合い、愛と憎悪は紙一重です。彼は外での仕事柄、人から教えを請われ、敬称で呼ばれています。ただ、家に帰ったら、私は彼に遠慮しないので、彼の心の中での落差が大きかったのです。だから家に帰りたがらず、いい顔もしなかったのです。人には感情があります。私が見下していることを彼は感じ取ることができます。なので私は内心から変えて、彼を尊敬するようにしました。これは伝統的な礼儀でもあり、夫婦間でも互いに礼儀正しく敬いあうべきです。
もう一点は、私たちは党文化のプロパガンダの中で、男勝りの強い女性や負けず嫌いな性格、人より優位に立とうとする心が形成され、女性が本来持つべき善良さや優しさがありません。伝統文化のなかでは、女性は謙虚で柔順であることが美徳とされている一方、党文化は闘争の哲学です。私が結婚した当初、姉は私が虐げられるのを心配して、「相手を圧倒しなければ、自分が圧倒されてしまう」と注意しました。そこで私は負けまいと彼と喧嘩しましたが、結果は相打ちでした。
大法を修煉した後、私は「真・善・忍」に基づいて自分を修めました。師父は伝統に回帰するようおっしゃったので、私は自分を正し、党文化を取り除き、彼を心から思いやりました。私は全ての家事を引き受け、彼はごはんの時は、口を開け、服を着る時は手を伸ばせばいいような生活を送れるようにしました。彼も義母も、大法はすばらしいと口を揃え、しっかり修煉するようにと言いました。
二、利益に対する心を捨てる
中共の江沢民集団による大法への迫害後、私も迫害を受けました。職を失い、バイトで生活を維持しなければなりませんでした。最初はスーパーで小型家電を売る販売促進員をやりました。そこでは同時に三つの事業者が販売していました。ショッピングモールは戦場と言われるように、利益の前では、がらりと態度が変わり無情です。他の2店の販売促進員とは双方とも口をきかず、私だけが各々と正常なやり取りがありました。
ある時、お客さんが私のブースに商品を見に来て、私が商品を紹介していると、別の販売員が私を押しのけて、自分の商品を紹介し出し、自分のブースへ案内しました。このことに対して私は何も言いませんでしたが、他の人なら喧嘩に発展していたでしょう。あの2店はそれで揉めていたのです。似たようなことはよく発生しましたが、私は決して言い争わず、平静を保ち、何事もなかったようにしています。
またある時、試供品をどうしても購入したいお客さんが現れました。割引された試供品は返品不可であることをその場で告げましたが、翌日、そのお客さんが家では使えないと返品に来ました。この方は高齢で、私は自分の少しの歩合のために、高齢者が数百元を払って不愉快になってはいけないと思い、何も言わずに返品させてあげました。他の人なら誰もこのことをやらないでしょう。これはルールだからです。お客さんは返品できるとは思わず、非常に嬉しそうで、再三、お礼を述べていました。
仕事で、私は真・善・忍の基準で自分を律し、利益を軽視し、販売員と争わないようにしました。その結果私の業績は良くなり、反対に私と争ったあの販売員は業績不振で異動させられました。私はこの会社の20の売り場の販売員の中で、売り上げは第2位です。店長は私に、私の経験を教えて販売員を育成するよう頼んできました。実際私は全く販売促進のことなど知らず、経験は尚更ありません。私はただ、真・善・忍の基準に従って良い人になろうとしていたのです。良い人には自ずと良い報いがあります。 その後、父が重い病気になり、私は看病のために辞職しました。店長は非常に名残惜しそうで、私に多めに給料をくれました。
その後、私は衛生器具を販売する会社でバイトを始めました。入りたての頃から、業績は好調でした。バイトの10日目、便器を買いに来たお客さんに会いました。その人は、何社も見て、最終的に私たちの物に決めました。また「あなたはほかの人とは違う」と言いました。なぜなら他の販売員は、他人の商品を中傷したり、ひいては顧客を引き留めるからです。私は正々堂々と自分の商品だけを紹介しています。設置完了を待たずに、その人はまたやって来て、「あなたはいい人だ、頼りにできて、信頼できる。少しもうけさせてあげよう。私たちの会社の2棟ともあなたたちの製品を頼む。洗面台と蛇口も追加してほしい」といいました。後に、その人は某有名ブランド企業の社長であることを知りました。これは大口受注で、1セット当たりの価格は約2000元、2棟ときたら言うまでもありません。前の販売員は売り上げがよくなかっただけでなく、大口受注もありませんでした。
店長は私がよく売り、歩合も少なくないのを見て、大口受注の歩合を私にくれようとせず、長い時間がたってもこのことに触れませんでした。その後、あの企業社長は再びやって来て、「我々はもう契約を結んだが、店長は教えてくれたか」と言いました。これはつまり、歩合をもらったかということです。ミッションを与えるということですか? 私たちの売上は数パーセントの歩合で、それは大きな収入になります。私は社長が店長に対して悪い印象を持ってほしくないと思い、「まだ店長を見ていません。ありがとうございます」と言いました。社長は笑顔で去っていきました。私は取引価格さえも尋ねませんでした。
店長に社長に会ったことをサラッと伝え、他は何も言いませんでした。すると店長はまだ出荷していないなどの言い訳をしました。店長が私に歩合をくれたくないのを見て、私はもう何も言いませんでした。私が辞職するまで店長はこのことに言及しませんでした。実際私もこのことを気にかけていません。店長も道理に合っていないと思ったのか、その年、私が中秋節に買った200元の服を、どうしても返金すると言い出しました。
大法を修めたことで、私は名声や利益を重視せず、古人が言う「外面的なことで一喜一憂する必要はない」という心情を理解しました。
三、家庭環境の中で自分を修める
私には娘が一人しかいません。私が迫害されたとき、子供はまだ10歳で、子供の成長段階に私はそばにいませんでした。しかし子供はいつもとても順調で、北京の大学を卒業した後、希望の職に就き、大学の同級生と7年の交際を経て、今では結婚8年目になります。2人はとても仲睦まじく、今になっても娘婿が娘の髪をドライヤーで乾かしてあげています。
子供が帰ってくるたびに、私はいくつもの料理を出します。食後、娘婿は我先にと皿洗いをしようとしたので、私が阻止し、娘に後片付けを手伝わせようとしました。すると娘は、「彼はやりたいの。家でもそうよ」と言いました。私は「あなたの家では構わないけど、私の家ではだめ。娘婿はお客さんで、あなたがやりたくなくても、それを彼にやらせてはいけないわ。ふさわしくない」と返しました。その後、子どもたちが帰ってくるたびに、私はどんなに疲れていても、皿洗いをやらせませんでした。
昨年、2人に子どもができ、私は時々手伝いに行きました。赤ちゃんがいると夜は休めず、昼間は料理や赤ちゃんの世話で疲れていました。時々夕食後、台所の片付けをせず、婿が仕事から帰ってきてご飯を済ませた後に一緒に台所を片付けてくれました。数日後、娘から「料理をした後、台所が散らかりすぎていると夫が言っている」と聞きました。私は、確かにそうだと思いました。私は疲れていて後片付けをしていませんでしたが、彼も一日の仕事で疲れていることを考えていませんでした。これ以上台所を片付けさせてはいけないと思いました。それ以降、私は食事を作り、2人に先に食べさせ、台所を片付けてから、私も食べました。残ったおかずがあれば、それを食べ、残りがなければ別のものを食べました。ついでに食器も洗いました。
その後、娘も仕事に行き始めました。娘は昼、家に帰って食事をするので、私は2品作り、婿が帰ってくる時は4品作りました。自分の娘より婿に良くしていました。娘は「そんな風に彼に接していると、彼はお母さんに遠慮して、帰ってこれなくなる」と言いました。私は、「これは当たり前のことだから、遠慮しないで」と答えました。表上、婿は各方面で条件が優越している娘をもらいましたが、実際は婿が私を大いに助けてくれています。私の娘をこんなによく世話をしてくれて、娘はとても幸せで、私は何の心配もいりません。私がこれだけのことをするのは当たり前です。2人は年下で、年上が年下の面倒を見るべきです。自分の子供は子供で、他の人の子供も子供です。ですから、誰に対しても平等に接するべきです。大法を学ぶことで、個人的な感情を捨て、慈悲心を持つようになり、誰に対しても良く接しました。
子育てに関しては、娘と考えが違う時もありますが、私は娘の選択を尊重します。娘に注意された時は、自分の間違いを認めます。家が忙し過ぎた時、パートタイムのお手伝いさんを雇い食事を作ってもらいました。しかし離乳食を少なく作ることがあり、子供はお腹いっぱいになりませんでした。すると娘に「麺を入れる量を教えたじゃないの。なのになんでこんなに少ないの」と言われました。私は、人を雇ったのに家族を不快にさせてはいけないと思い自分の非を認め、これくらいの悔しさはどうってことないと思いました。お手伝いさんは私が代わりに間違いを認めたことを喜んでいました。
娘も婿も私のことを尊敬してくれています。何かおいしいものがあれば私にくれます。婿は私がアイスが好きなのを知っていて、時々仕事帰りに、わざわざスーパーに寄ってアイスを買ってから、家で夕食を食べます。家族全員、楽しく和やかに暮らしています。もし私が大法を学ばなかったら、このような胸の内を持つことができず、小さな問題も大事になり、最終的には幸せはなかったでしょう。だから、他人に善をもってなすことは、自分を大切にすることなのです。
大法を学んで、私は常人の観念を変え、私心をなくし、相手のことを考えるような生命になるよう目指しています。問題に遭った時は自分を探し、自分を修めると、問題はすぐに消えます。生命は、大法を煉って幸せになれる、これこそが幸せの秘訣なのです。