煉功音楽の中に溶け込む
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2024年5月16日】長い間、私は煉功の時自分の考えが清浄でなく、さらに雑念を抑えられない状態に至ってしまいました。その原因は、自分の考えを放任し、修煉を真剣に取り組んでいないことから生じたのです

 師父は「煉功するには、徳を重んじなければなりません。良いことを考えることができないにしても、悪いことは考えてはなりません。いちばん良いのは、何も考えないことです」、「煉功する時、良くない意念ばかり加えたなら、その煉功から良いものが出て来るでしょうか?」(轉法輪』)と説かれました。

 これらの法理を知っていたので、修煉の際には悪い念を極力排除しようとしましたが、一般的な念を受け入れてしまい、十分に排除することができませんでした。また、言い訳を作って、「悪いことは考えてはいないし、煉功中にやるべきことを急に思い出して、煉功が終わったあとに、そのことをしようと考えただけで、問題ないはずです」と考えていました。これは『轉法輪』に書かれている頭の中は休んでおらず、さまざまなことを考えています。「物価が上がりそうだから、少し買い溜めしておかなくちゃ。練功が終わったらすぐ買いに行こう。値上がりしたら大変だから」と何が違うでしょうか?

 しかし、これまでそれに気づいていませんでした。自分は煉功の際に心が落ち着き、不愉快なことを考えていないので、師父にご指摘された邪法を練ることとは関係ないと思って、自分の考えを放任してしまいました。

 1つ目のやるべきことを忘れないようと思い出され、2つ目のやるべきこともあり、忘れてはいけない……と考えるようになり、すると次から次へとたいしたことないことを考え始め、時には料理を作るとき、どのように作るか、また調味料は何を使うべきかなどを考えてしまい、「料理することは良いことや悪いこととは関係ないので、師父にご指摘された邪法を練ることとは関係ない」と考えました。この考えがあると、自分の考えをより放任し、時には料理作りの過程、その料理をどのように作るか、何を最初に入れるかなどを考えてしまいました。真相を伝えることが思い出されたら、「真相を伝えは良いことであり、正しいことであるので、煉功中に考えることは問題はない」と考え、その後、頭の中でその場面を展開させ、真実を知るチャンスを逃した人々に、当時このように挨拶すべきだった、またこう話しかけるべきだったなどを考え、修煉体験文章を書くことも良いことであり、煉功の中で文章の下書きを考えることもありました。

 このようにして、煉功がますます静かでなくなり、雑念を排除できなくなり、抑えられなくなりました。一つの念を排除すると、すぐに別の念がやってきました。この問題の深刻さに気付いた後、私は対策を講じ始め、これらの念がどのような心によって引き起こされているかを探しました。食いしん坊、修煉ではなくただの活動する心、利益心、損得の計算が好きな心、修煉に真剣でない心、師父や法を尊敬していない心などを見つけました。それ以来、修煉中に念が浮かんだら、その心に対処するようにしました。それにより、煉功のとき、少しは静まりました。

 しかし、これらの念は一日や二日でできたものではありません。長期間にわたり軽視された結果です。今ではあらゆる雑念があり、どうすればいいでしょうか?

 ある日、私はふと、煉功音楽を使ってこれらの雑念を排除しようと思いつきました。煉功音楽と師父のお言葉で、「一念が万念に代わる」(『轉法輪』)。法から私は煉功音楽と師父のお声には大法の内涵と威力があることを悟りました。だからきっとこれらの良くないものを排除できるはずです。

 第一、三、四式目の功を煉るとき、師父のお言葉を十分に聴き、第二式、第五式の功を煉るときは、煉功音楽を聴くように全力を尽くしました。最初はまったく集中して音楽全体を聴くことができず、少し聴いたら雑念が浮かんできて、意識を引き戻したらまた浮かんできてしまいました。そこで自分の主意識に、強力に一つ一つ音符を聞き取り、強い意志で集中し、一つの音符も見逃さずに聞き取るようにしました。この過程は非常に苦労しましたが、自分が作った業は自分で消さなければならないので、身体の良くない物が取り除かれたと感じました。そして、そのようにして初日を乗り越えました。その日の朝、まだ夜が明けていなかったのですが、バルコニーに出てみると、空が赤く染まり、邪悪な要素が大量に破壊されたようで、その後北の冬の中で珍しいほどの大雨が降り始めました。今、正法の状況は表面空間に到達しているので、大法弟子の身体が現実空間で表現されることができるようになったことを悟りました。

 翌日から、煉功が明らかに楽になりました。そのまま三日目、四日目を続け……今では、私の考えを基本的にコントロールできるようになりました。煉功音楽を聞くことで自分を静かにすることができ、時々雑念が浮かんできてもすぐに戻ってきて、また煉功音楽を聞いて静かになれます。時々、煉功音楽を聞いていると、大法を学び始めた当初の時の状態になっているように感じました。それは1998年に大法の修煉を始めて、師父が私を引っ張ってくださり、修煉を進めていた時で、考えに雑念がなく、純粋でした。目を閉じて座っていると、海岸で微風が吹き、身体が音楽に溶け込んでいるような感覚でした。今、私は修煉を通じて自分を煉功音楽に溶け込ませることができ、時々身体が消えてしまい、ただ意志と音楽が一体化になっているようで、非常に素晴らしいです。

 教訓は非常に深刻です。時々、煉功中に料理のことを考えている私は、別の空間で何のものが演化されたか想像することができないほどです! これは修煉に真剣に取り組んでいないこと、師父や法を尊敬していないことが原因です。今、私は毎回の発正念でこれらの腐敗したものを解体しています。

 以上、現段階での私の個人的な悟りと理解ですが、法に合っていないところがあれば、同修の皆様の慈悲深いご指摘をお願いします。

 合掌

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/23/475488.html)
 
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