文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年5月27日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修のみなさん、こんにちは!
世界法輪大法デーに次のように自分の修煉を振り返ってみたいと思います。
一、法を得る
私は1996年に法を得た古い大法弟子です。法を得る前、私は病弱な人でした。三十歳を過ぎた頃、喘息が発作し、息ができず、動けなくなりました。ひどい時には家族に迷惑をかけないよう自殺を考えたこともあります。発作の翌年、隣人が毎晩外出して遊びに行くのを見て、毎日どこに行くのかと尋ねました。彼らは「気功をしているんだ。あなたも行かない?」と誘ってくれました。私は「どんな気功か分からないけど、行ってみる」と言いました。家に帰って少し準備して、一緒に行きました。こうして私は法を得ました。あっという間に一年が過ぎ、その冬は薬を飲まずに病気の症状がなくなったのです。私は治りました! とても嬉しくて、師父に感謝しました。しかしその時は法の貴重さを知らず、重視せず、まだ仕事を優先していました。その後、1999年7月20日から中共の邪悪な迫害が始まりました。
二、大法を守るために北京に行く
邪悪が天地を覆うように大法を誹謗中傷し、大法弟子を大規模に弾圧しました。煉功することを禁止し、大法の書籍を引き渡すようにお触れを出しました。同修は「こんなに素晴らしい功法をどうして修めてはいけないというの? おかしい、政府に事情を伝えよう」と言いました。同修たちは(現地の)政府に訴えたり、北京に向かったりしました。私は「新しい生命をもらった、真・善・忍がどれほど素晴らしいのか、良い人間になることがどうしていけないのか」と思い、自分も行くべきだと思いました。そして、2001年の元旦、働いていた職場のオーナーが皆に二日間の休暇を与え、1人に200元ずつ渡しました。私はその200元を持って北京行きの列車に乗り、師父のご加護の下、無事に天安門広場に着きました。(編集者の注釈:当時、陳情オフィスは人を捕まえる場所となっていて、行っても意味がなく、行くこともできませんでした。)
天安門広場では、同修たちが煉功したり、横断幕を掲げたり、「我が師父の潔白を取り戻せ、大法の潔白を取り戻せ、法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい!」と大声で叫んだりしているのを見ました。パトカーがサイレンを流しながら走っていき、警察が同修たちをパトカーの中に押し込んでいました。こちらで叫ぶ同修がいると警察はこちらで同修らを殴打し、あちらで叫ぶ同修がいると、あちらで同修を殴打しました。私は広場で手を合わせて合掌しましたが、頭の中は真っ白でした。警察がやって来て「法輪功学習者なのか? 車に乗れ」と言いながら、パトカーの中に私を引っ張り上げました。パトカーの中にいた1人の同修が私に親指を立ててくれました。私はぼんやりとしてその女性同修を見つめました。
警察署に着くと、各地から来た様々な方言を話す同修が揃っていて、交流している人や法を暗唱している人もいました。私はあちらこちらで話を聞いたり、様子を見たりしていましたが、何もできませんでした。しばらくすると警察が来て、私を北京駐在事務所に送りました。誰かが「『轉法輪』の第十講が出た」と言いました。私は「『轉法輪』には九講しかないのに」と心の中で思いながら、何も言いませんでした。誰かが「北京に来るのにいくら持ってきましたか?」と聞いたので、「二百元です」と答えました。「だったら帰りはどうするつもりですか?」と聞かれたので、「考えていません」と答えました。それを聞いた警官が突然振り向いて、大声で「我々の北京で死ぬつもりか!」と怒鳴りました。
地元の警察署に戻ると、夫が来ました。夫は私をひどく殴りながら、「お前が行方不明になったと思って探し回っていたんだ。お前の父親が私にあなたを探し出せと言ってきて、家中が大騒ぎだったんだ」と言い残し、怒って帰って行きました。しばらくすると警察が来て、尋問を始めました。「何人で行った?」と聞かれ、「一人です」と答えました。警官は急に顔を上げて「北京に何しに行った?」と聞きました。「遊びに来ました」と答えると、警官は突然私を蹴りました。私はすぐに「北京に大法を守るために来ました」と言い直しました。警官は尋問を終えると、私を別の部屋に連れて行きました。そこにはすでに数人の同修がいました。夜になると、同修たちは北京に行った体験を交流し、法を暗唱したり、煉功したりしました。1人の同修が「あなたも暗唱して」と言いましたが、私は「できません」と答えました。同修に「『論語』もできないの?」と聞かれ、「『論語』だけはできますが、それ以外はできません」と答えました。「それなら聞いていればいいです」と言われましたが、その時私は何とも言えない辛さを感じ、自分が素人のように思えました。
三、真相を伝えて衆生を救う
大法が邪悪に誹謗中傷され、民衆が欺かれたので、私は人々に真相を伝えなければなりませんでした。親戚や友人から知らない人まで、皆に法輪功の素晴らしさを伝え、真相資料を配布しました。今日はこの町、明日はあの町、今日はこの村、明日はあの村というように、地域ごとに配布しました。『明慧週報』ができてから現在まで、毎週配布しています。この過程で、様々なことを経験しました。人々が真相を理解したときの喜びや、師父の慈悲深いご加護、家庭内の魔難の中での心に刻みつけるような痛み、執着心を手放す苦しみ、法の中で昇華する喜び、執着を手放したときの軽やかさなど、すべてを経験しました。
四、感謝
ここですべてを述べるわけにはいきませんので、いくつかの例を挙げます。
ある朝、孫を学校に送るため、家を出た時、師父が今日は一難があると悟らせてくださいました。私は驚いて「どうしよう?」と思いました。車には売るための野菜が積まれており、孫を学校に送る人もおらず、家族はみんな仕事に行ってしまっています。どうしようもなく、師父に頼るしかありませんでした。心の中で「師父、弟子は今日すべてを師父にお任せします。どうか私を助けてください」とお願いしました。孫を学校に送った後、私は市場に行き、車から野菜を地面に下ろしました。野菜を地面に下している時に何人かの足が見えました。心の中で「まだ野菜を並べてもいないのに、もう買いに来たのかな」と思いながら顔を上げると、警察の車両が目の前に止まっていて、4、5人の警官が立っていました。2分ほどすると、彼らは再び車両に乗り込み、去って行きました。私は驚きました。「師父が私を守ってくださったのだ!」と思いました。朝、師父からの啓示を思い出し、感謝の気持ちでいっぱいになりました。「師父、ありがとうございました。ご心配をおかけしました」
振り返ってみると、私は最近精進せず、安全に注意を払っていませんでした。使っていたサーバーの位置情報が漏洩してしまいましたが、私は師父を堅く信じていました。師父は私のこの心を見て、弟子のために災難を取り除いてくださいました。
師父の『各地での説法十四』や『各地での説法十五』、『洪吟六』が発表された時、同修が私に取りに行くように言いましたが、私は「行かない。あなたたちが行って」と答えました。心の中に恐怖があったためですが、車が小さくてそれほど多くの本を運べないという理由をつけていました。同修たちは私が行かないと分かると、3人で行き、一人2袋ずつ持ってバスで帰ることにしました。私は心の中で葛藤しました。最近、地元で何人かの同修が迫害され、資料拠点が家宅捜査されたため、私は迫害されるのを怖がっていたのです。私は私心があったため、他の3人の同修に危険を押し付けてしまいました。「やはり私が行くべきか?」と思いましたが、死ぬほど怖かったのです。同修らに行かせようと思ったり、自分が迫害されるのではないかと恐れたり、心の中で恐怖と戦いました。「師父、どうしたらいいでしょうか? 私はこんなにも怖くて、こんなにも意気地がないのです」と思いました。師父は私の心を見抜いて、「命をかけて前に進みなさい」という言葉を強く私に打ち込んでくださいました。師父の言葉に勇気づけられ、走り出しました。目的地に着くと、同修たちは「あなたたちの分はない、予約が必要です」と言われました。それなら予約しようと決め、日程を調整してから帰路につきました。途中で3人の同修に会いましたが、彼女らは私に会うととても喜んでくれました。その後、私は家に戻りました。家に戻ると、身体からたくさんの悪い物質が落ちたように感じ、恐怖心も小さくなり、死の恐怖も消えました。これは師父が私を成就させるために、人間の心を取り除くために按排された出来事でした。師尊に感謝します! 師父の導きにより、2回に分けて巧妙に各地での説法を運ぶことができました。師父に感謝します。
また別な日に、同修と一緒に大通りで真相を伝えていたときですが、交差点に4、5人の国家安全局の職員が立ち塞がっていました。私は状況が良くないと感じ、引き返そうとしましたが間に合いませんでした。心の中で急いで「師父、どうか弟子をお救いください」とお願いしました。その時、2人の国家安全局の職員が私に接近してきていて、他の同修は急いで脇に避けて邪悪な妨害を避けました。私は素早くそれぞれの職員を一瞬見つめ、意念の中で彼らの空間場にある邪悪なものをすべて滅しました。すると、悪事を働こうとしていた者たちは次第に退いていきました。師父が再び弟子を救ってくださり、私たち数人の同修を守ってくださりました。師父に感謝します。
心を静めて原因を探りました。どこに漏れがあったのでしょうか。この期間、私の心は外部の状況に左右され、「こうしなければならない」「ああしなければならない」と揺れ動き、法から離れていました。危ういところでした。すぐに正し、師父に心配をかけないようにしなければなりません。弟子は間違っていました。師父に感謝します。人間の言葉では師父への恩を表現しきれません。
この20年以上の修煉の道のりを振り返ると、師父の見守りがなければ弟子の今日はありません。すべては師父が手配してくださり、私たちが人心を放下して、前進するのを待っていらっしゃるだけです。すべては師父が決められることで、旧勢力とは何の関係もありません。師父の慈悲深い救済に感謝します。
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)