【慶祝5.13】すべての親戚や友人、隣人は私の修煉を支持している
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文/中国東北の大法弟子

 【明慧日本2024年6月5日】法輪大法の弟子であるこの作者の夫は、交通事故のために高位対麻痺(こうい ついまひ:脊髄が障害されると手や足の両側とも同時に麻痺の状態)となり、30年間病床で過ごしました。彼女の家には、義理の両親と離婚して戻って来た義姉が住んでいます。彼女には2人の幼い娘がいて、一家7人は彼女が開いた店で生計を立てており、生活は困窮の極みでした。2人の幼い娘は、彼女の生きる支えとなっていました。法輪大法を修煉してから、明るくて元気になった彼女は真・善・忍の原則に従って行ない、義理の両親に親孝行し、夫の世話をし、子供を育ててきました。そのような彼女の世界は変わりました。彼女は親戚や友人、隣人の道徳的模範となり、彼女の人柄を信頼することとなり、皆も大法を信じるようになりました。以下は彼女が自分で述べたことです。

 中国では、中共の残酷な迫害を受けているにもかかわらず、怯えることなく、自分の信仰を捨てず、依然として思想と行動の面で真剣に真・善・忍を準則とし、確実に自分を修め、毎日を楽観的に過ごしている人々がいます。私もその一人です。

 結婚4年目の1990年8月、夫が交通事故に遭い高位対麻痺となりました。当時、私には娘が2人いて、末っ子はまだ生後8カ月でした。義父母は70歳を超えており、夫には2人の兄と3人の姉がいて、彼は末っ子です。義父母は私たちと同居していました。夫が倒れてからは、誰も私たち家族を助けてはくれませんでした。私には希望が見えませんでした。

 1994年、義父の協力を得て小さな食堂を開きました。子どもがまだ小さくて手がかかり、店の仕事も多いので、毎日仕事ばかりしていました。 夫は病気のせいで性格が変わり、いつもひどい言い方をしていました。一人の義姉は離婚した後に戻って来て、私たちと一緒に暮らすようになりました。この家のために、私は同級生や友達とも付き合えず、すべての時間を家庭に費やしました。 身も心も疲れ果てて、生きていくのが辛くて、夜は眠れず、死ぬことばかり考えていました。でも、私には2人の幼い娘がいます。この子たちを安心して預けることなく、どうやってこの世を去ることができるだろう? こんな両親のもとでは、子供たちの人生は私以上に悲惨なものになるのではないか?

 夫は胸から下の感覚がないため、大小便はわかりません。当時はオムツもなかったので、排便していないか目を離さず、随時、確認していました。すぐに用を足さないと、ベッドの上でおしっこをしてしまい、床ずれになるとさらに大変だからです。そのため、大小便をしたら、夜中でもすぐに起きて洗ったり、取り替えたりしなければなりませんでした。夫は私に負担をかけないようにと、時々、私が寝ているときに自分でトイレットペーパーで体を拭きますが、その結果、あちこち糞尿だらけになってしまいました。東北の冬の寒さはとても厳しく、暖房のない平屋の夜はなおさらです。 節約のため、冷たい水で手洗いすると、手が真っ赤になり、指もまっすぐ伸ばせず、冷たい水に触れると激痛が走りました。

 「私がいなくなったら、老いた病気の夫の両親と体の不自由な夫、それにまだ小さな2人の子どもを、誰に任せたらいいだろう?」と、思うたびに眠れなくなりました。私にとって、生きることも辛いし、死んでも死にきれませんでした。時々夢の中で、私は高い空間から真っ直ぐ落ちてきて、その空間全体が黒い雲に覆われ、とても恐怖を感じ、心臓がどきどきして眠れなくなりました。ほとんど毎晩目を閉じると、自分が高いところから深淵の中に落ちていくようで、寝ることが怖かったのです。「私はどうすればいいのだろうか? これからどうやって生きていくのだろうか?」と考え続けました。

 私が耐えられなくなった時、慈悲深い師父が私を法輪大法に導いてくださり、それ以降、私の運命は天地が覆るような変化が現れました。1996年5月7日、私は法輪大法に出会いました。この日は私の人生の中で最も喜ばしく、最も大切な日です。救われる希望が見え、私の世界が晴れ、私は明るくて元気になりました。私は真・善・忍に従って心を正し、心から義理の両親に親孝行し、夫を世話し、子供を育てるようになりました。

 義理の両親が病気で入院していた時、私が細心の注意を払って世話をしていたので、医者や看護師は私が実の娘だと思っていたほどでした。二人とも80歳代で安らかに亡くなりました。夫は高位対麻痺で、家の経済条件もよくありませんでしたが、私と夫は相前後して葬儀を立派に出して、義理の両親を見送りました。このため、近所の人から親族や友人は皆感心してくれました。私の2人の娘は大学を卒業して、今は仕事しており、二人ともとても親孝行です。そして、娘婿も優しくて親孝行な人で、孫娘もとても利口です。

 私は30年間病床の夫を看病し、最後に夫は、わが省の大きな病院で安らかに亡くなりました。夫は30年間薬を飲んでいましたが、亡くなった後の体は、長い間冷たくても硬くもありませんでした。火葬した後の遺灰はピンクがかった白色でした。これは、彼が法輪大法に対して、特に私の修煉に対して支持してくれたからでしょう。夫は生前、車椅子に乗れるようになると、私と同修が大法を伝えることを手伝ってくれました。

 私のすべての親族や友人、隣人は皆私の修煉を支持し、反対する人は一人もいません。1999年7月24日、私が陳情するために北京に行った時、祖母は私の大法の本を自分のところに保存してくれました。祖母は警察を恐れず、家族に「この本は私の命だ。私は守っているから、誰も動かすことはできない!」と言いました。

 従弟の一人は、私が車を使わなければならない時には、いつでも我が家まで運転してきて、何でも手伝ってくれました。また、同修が大法のことで車を必要とするたびに、彼は必ず応じてくれました。彼に「中共の弾圧は、怖くないですか?」と聞くと、「怖くありません。あなたたちも怖がらないのに、私は何を怖がるのですか? 逆に誇りに思っています」と答えました。ある夜、同修たちの交流会があって、従弟に私と数人の同修を車で目的地まで送ってもらいました。距離が遠いので、彼は交流会が終わるまで、そこで待たなければなりませんでした。東北の冬は寒さが厳しく、夜10時過ぎ、車のガラスには厚い霜が降り、彼は車の中で4、5時間待っているうちにぐっすり眠り、ポカポカ暖かく感じたそうです。私たちが大法のことで必要があれば、彼はどんな時も車を運転して、協力してくれました。

 従弟は、「大法弟子のために協力することは、特に光栄です」と言いました。ある時、彼は「用事がある時は、大法弟子の親戚だと言えば、できないことはありません。大法弟子はみんな善良で、とても信頼できますからね」と話しました。彼は「あんなに困難な状況でも、体が麻痺した夫を見捨てず、親切に世話をしながら子供を育てた姿を見ていて、親族の手本となっています。ですから、私たちはお年寄りを尊敬し、子供を愛し、誠実に友達に対応しなければなりません」と言いました。年が明けると皆が集まるたびに、彼は「法輪大法はとても素晴らしい!」と自分から大いに賛美しました。

 ある隣人が店に来て物を買う時、私は彼に大法の良さと迫害の実態を伝えました。彼は「私に話す必要はありません。私たちはみんな見ています。あなたの長年の行い、それは真実です。みんなは大法が素晴らしいと分かっています。是非、しっかり修めてね。誰がやらなくても、あなたは必ず続けなさい」と言ってくれました。店を出る際にも私に「しっかり修煉して、必ず成功するように頑張ってね!」と言い、遠くまで歩いても、振り返って親指を立てて「よく修めてください!」と叫びました。

 二番目の叔母の甥の嫁は、あまり話をしない人です。ある日、私が通りを歩いていると、誰かが私の名前を呼ぶのが聞こえました。振り返ると彼女が私を呼んでいました。彼女は満面の笑みで、小走りで私のほうに駆け寄ってきて、「私は今、毎日『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を唱えています。これからも真剣に唱えます。昨日、義弟からあなたに関する話しを聞きました。彼は、あなたの一番上の義姉の家にいた時、その家族があなたのことを絶えず褒めていたと言いました。あなたがこの30年以上してきたことは、私たちにはできませんよ。私たちは、あなたのような人が増えることを心から望んでいます。私は必ず家族に『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を唱えるように伝えます」と話しました。彼女は私の手を取って幸せそうに私を見つめると、私の家の前まで送ってくれました。

 一番上の義姉の家族は、大法をとても認めています。彼女は清掃員として働いていた時、捨てられた法輪功の資料が見つかると、それを拾って、住民のガラス窓に差し込んだりしていました。また、他の人が大法の資料を破るのを見ると、その人を非難したり、論争したりしました。彼女の息子と息子の友達は、大法弟子が車を使うことがあれば、いつもすぐに来るよと言ってくれました。二人の子供がお正月になると、必ず私にお金と物をくれますので、私が受け取らないと、涙を浮かべながら「これは自分たちのほんの気持ちです」と言って、私に受け取るように求めました。

 義姉は人に会うと、法輪功の話をして、大法の良さを伝えます。「私の弟の嫁は法輪功を修煉して、私の両親にとてもよくしてくれ、とても親孝行です。麻痺した私の弟を見捨てることなく30年間世話し、どんな仕事でもこなせるし、とても力持ちです。彼女は私の実家の大恩人です。私たち家族は皆『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を唱えていて、私はそのお陰様で、息子も孫もとても親孝行です。私たちが欲しいのはお金ではなく、周りにいる人々が道徳的で、健康で、平穏であることです」と彼女は言いました。

 私の以前のお客さんは、何年も私に会っていない人もいて、「彼女は今どうしているのか?」と互いに聞いていたそうです。彼らは私が大法を修めていることを知っていて、私が迫害されていないかと心配してくれました。たまに会うと、彼らは私が元気で、20年前と同じように楽観的で、修煉を続けているのを見て、「頑張って、必ず修煉を続けてください! 法輪大法はとても素晴らしい!」と言って喜んでくれます。

 振り返ると、1999年6月中旬のある日、同修たちと一緒に師父の説法を勉強している時、ふと「もし大法弟子に対する迫害が起こったら、この迫害の中に私はいません。それは師父が手配されたものではないので、私は認めません」と頭の中で思いました。それで、ここ数年、私は師父が按排してくださった道を、ほぼ順調に歩いてきました。私はこのような暖かい環境の中で生活していて、頭上には師父の加護と保護があり、そばには信頼できる同修の助けがあり、また、親戚や友人など多くの人々の理解と支持があります。私は毎日楽しく、大法弟子がやるべき三つのことを行っています。

 「5.13」を際にして、師父の慈悲なる救い済度に感謝します!

 (明慧ネット「5.13」法輪大法デー入選文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/31/477611.html)
 
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