人間の情ではなく、正念で対処する(訳文)
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文/カナダの西洋人大法弟子

 【明慧日本2024年6月17日】最近の出来事で、私は自分の修煉状態がこのことにある程度関係していることに気づきました。

 師父の新経文を学んだ後、私は、中共のプロパガンダと嘘に操られて法輪功を憎み、あるいは迫害について黙っている人々に対して、多くの怒りとマイナス的な感情を抱いていることに気づきました。 私の怒りは正当なものであり、私の強い言葉が彼らを目覚めさせることができると思っていました。

 師父が『目覚めなさい』という経文を発表されたとき、私は自分の漏れと誤った認識により、私のマイナスのエネルギーと修煉状態が全体の状況の中でマイナスの役割を果たしていることに気づきました。

 自分の悪口を言う人に直面したとき、心を動ぜずにいられますか? それとも強く反撃したくなったり、あるいは恐れたり、ある結果を追い求めたりしますか? あらゆるネガティブな業力と隠れた観念が自分を攻撃するとき、私は何かしてはいけないことを言ったり、行ったりするでしょうか? このような時、私は主意識を強め、自分の中にある強いネガティブな感情に反応するのをやめ、代わりに師父が私に望まれるように行動することを選択しなければなりません。

 その瞬間、私は謙虚さを保ち、この人が師父の衆生の一人であることを理解できるでしょうか? ある執着を克服できないと感じたとき、師父に助けを求めることを覚えているでしょうか? それとも、そのマイナスのエネルギーを強化し続けるでしょうか?

 このほか、自分の修煉状態によって他人に対する不満を抱く可能性があることに気づきました。私が他人を恨んだり、消沈したり、怒りを感じたりするのは、私自身の修煉状態が正しくなく、法の勉強と煉功が不足しており、真相を伝えることが足りず、正念を発することを重視していないからです。また、色欲、怠惰、快適な生活への追求など、知りながら何年も放下したくない執着についても良くないと感じています。

 私たちはすべての人に対して慈悲と愛を持たなければなりません。「古い学習者は今、このように行動しなければなりません」(『目覚めなさい』)と師父は教えられています。慈悲は非常に高い基準であると感じています。個人の理解としては、真に正念を保つ方法は、毎日法をしっかりと学び、煉功し、内に向けて探し、このように準備することです。こうすれば、試練や誘惑が来ても、邪悪について行くのではなく、師父の法に従うことができるのです。

 法を正すため、そして最終的に私たちの将来のために、大法弟子の基準を満たすために私たちがどう行動すべきかを、師父は心血を浪費してもう一度注意喚起されなければならなかったことに、私は深い罪悪感を感じています。何かについて悟ることと、根本的に自分を変えることは別のことです。多くの場合、その悟りは一時的なものであり、私たちはすぐに古い習慣に戻ってしまいます。だから私は残された一つ一つの機会で自分を修め、人間の情ではなく、正念を用いて対処することを誓います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/6/13/478637.html)
 
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