【明慧日本2024年6月23日】私は1980年代に生まれた大法弟子です。現在は大学で働いています。1990年代、私が10歳のとき、医学を学んでいた姉は健康上の理由で1年間休学しなければなりませんでした。姉はいろいろなことを試しましたが、結果は思わしくありませんでした。その後、親戚が姉に法輪大法を紹介しました。法輪大法の修煉を始めると姉の健康は回復し、休学する必要がなくなり、大学に戻りました。
姉の変化を目の当たりにして、私も母も法輪大法の修煉を始めました。父は修煉していませんでしたが、それを認め、私たちをサポートしてくれました。
数年後、中国共産党は全国的な迫害を命じました。私の姉は北京に赴き、大法のために嘆願し、迫害について認識を高めようとしたため、十数年にわたって何度も不当に逮捕され、拘束されました。実際、姉は今現在も拘束されています。母にとってそれは本当に辛く、怖くてよく泣いていました。父も私が修煉を続けることに反対しました。周りに修煉環境もないため、私は次第に大法から遠ざかっていきました。
大学に進学後、私は何のために生きているのだろうとよく考えていました。ある日、私は突然、法輪大法の主著である『轉法輪』を思い出しました。以前に読んだときの私はとても幼かったので、人生の目的をどのように説明していたのか思い出せませんでした。
私は母に『轉法輪』を頼みました。姉がひどい迫害を受けても大法の修行をやめないのはなぜか知りたかったのです。そして数日間読んでみると、睡眠の質がよくなり、頭がすっきりして落ち着き、体が軽くなり、先生が教えてくれたことをすぐに理解して覚えられるようになったことに驚きました。数日間読んだだけで自分がこんなにも変わったことに驚きました。この本にどうしてそんな力があるのだろうと思いました。
『轉法輪』と李先生のその他の説法を読み続けるうちに、法輪大法は精神修養の修練であり、科学やこの世のいかなる人間の理論をも超越していると理解しました。先生は、「真・善・忍」の原則に従うことで、より良い人間になるよう教えて下さっています。人格を向上させることで、精神世界が向上し、物質世界から離れることができます。人生について抱いていた多くの疑問が解決しました。なぜこれほど多くの修煉者が命を危険にさらしてまで信念を守るのか、ようやく理解できました。
私が修煉に戻ったのは偶然の出来事のように思えるかもしれません。しかし、師父は私を決して見捨てず、私や他のかつての小さな大法修煉者たちが戻ってくるのを待っていたのだと、今は分かっています。
大法を修煉することによる恩恵
大学最後の年に、私たちはみんな就職活動を始め、さまざまな会社に履歴書を提出しました。私は大学院の学位と一定の職務経験を必要とする仕事の面接を受けました。6人の候補者の中で私は最も資格がありませんでした。しかし驚いたことに、卒業の6か月前にその仕事のオファーを受けました。私はその仕事を引き受け、大学院に通いながら働くことができました。
大法が授けてくださった智慧のおかげで、私は多くの教授や博士課程の学生を抑えて、大学全体の教育革新賞を受賞しました。私の上司や同僚は私の実力に感銘を受けました。その後、私はさらにいくつかの賞を受賞し、仕事でも昇進しました。
成功し、褒められてはいましたが、私は謙虚な態度を貫きました。すべては大法のおかげとわかっています。私の成功は、大法の素晴らしさを証明しています。大法を修煉していなかったら、今日の成果は得られなかったでしょう。
私はよくこう考えていました。もし大法を修めていなかったら、私は今でも自己中心的で、世俗的で、競争心の強い人間で、現代社会の大きな染めもの瓶の中で自分の道徳基準を下げていたでしょう。しかし、大法は私に、本当に良い人とはどのようなものか、どうすれば他人をもっと思いやれるかを教えてく下さいました。大法の導きのお陰で、私は夫や義理の両親との関係も良好なものとし、幸せな家庭生活を送っています。
(続く)