文/中国の大法弟子 小可
【明慧日本2024年6月25日】私がまだ幼い頃、家の大人たちが法輪功の修煉を始めました。5歳の時、家族と『論語』、『洪吟』など法輪功の経典を一緒に暗記したことがあります。まだ幼くて、正式に修煉を始めてはいなかったのですが、その時から真・善・忍の価値観が私の心に深く植え付けられました。20年以上経ち、私は子供から青年へと成長し、純真から理性的で成熟した考え方へと変わりました。今では、得失を気にせず、他人を思い遣り、良心を大切にする真の法輪功修煉者になりました。宇宙の真・善・忍の原則の指導と慈悲深い師父からの加護のおかげで、私は数々の困難を乗り越えて新しい人生を始めたのです。
1、子供の頃に法輪功の良さを知り、修煉の縁を心に留めた
1996年、母方の祖父に認知症の初期症状が見られ、何かをするとすぐに忘れるようになりました。例えば、家族で麻雀をしていて、途中で祖父は自分が何をしているのか分からなくなることがありました。祖父は医者で、自分の病気が医学では治せないと知っていました。1990年代は気功が流行っており、祖父は病気を治そうと公園で様々な気功を学びましたが、どの気功でも病気が治ったことはありませんでした。しかし、ある日祖父が法輪功を修煉し始めると、不思議なことに病気がすぐに治りました。祖父の心身の変化を目の当たりにし、家族全員は法輪功の良さを実感しました。それから、家族は次々と法輪功の修煉を始めました。
母は大法を学ぶ前は、とてもせっかちな性格でした。父方の祖母(母の姑)は家族みんなから「面倒な人」と共通に認識されている人物です。祖母は細かいことに口を出すことが多く、料理に使う油が多いとか、洗い物に使う水が多いとか、母が家事をする時にいつも横で監視していました……。その頃、母と祖母の間の嫁姑関係はとても緊張していたのです。法輪大法を学んでから、母は真・善・忍の原則に従って自律し、家族を大切にし、義理の両親に親孝行をするようになり、特に祖母との関係が良くなりました。祖母が病気で動けなくなってトイレにも行けない時期、母は祖母がベッドで使った便器の出し入れと洗濯をして、嫌な顔一つしたことがありません。また、祖母の入浴、衣類の洗濯、食事などの世話をし、文句一つ言ったことがありません。母の細心な介護により、半年かけて祖母はやっと回復しました。それから祖母は、人に会うたびに「嫁は実の娘よりも親孝行だ」と言って褒めました。
その頃、家族は毎朝一緒に煉功場に行って煉功して、帰ってから一緒に学法をしていました。学法の後の交流では、自分はどこが足りないか、どんな執着心を放下していないか、また人のために何をしてあげられなかったかなどを話し合いました。だんだんと、私たち一人一人が変わり始め、心がより穏やかで静かになり、家庭も温かく和やかな雰囲気になりました。私と家族は毎日法輪大法の恩恵を受け、今思い返すと、それは私の子供時代の最も幸せな時間でした。母に促されて一緒に学法をしたおかげで、私は人として守るべき規範と道徳を学びました。その時はまだ本格的に修煉していなかったのですが、真・善・忍の理念が私の心に深く根付き、正直で善良な人になる方法が分かりました。
2、信念を守り、師父の保護の下で困難を乗り越える
しかし、1999年に法輪功への迫害が開始されて以来、私たち家族の幸せな生活は突如終わりを告げました。法輪功が広範囲にわたる誹謗中傷を受け、多くの国民が嘘に害されている中、私の家族と多くの法輪功修煉者は厳しい迫害の下で危険を冒して、衆生に事実を伝えました。中学2年の時、母は真相を伝えたために不当に7年の刑を受け、父は不当に拘留所で2カ月以上過ごして、家には私と70歳を超える祖父だけが残されました。母の促しと支えがなくなり、私は少しずつ法輪功から離れていきましたが、心の中ではずっと法輪功の素晴らしさを忘れてはいませんでした。
初めて刑務所で母に会った時、私は号泣して声を失いました。母が早く出てこられることを心から願っていましたが、その時は母に正念を送るべきだと理解していました。「母さん、『転向』してはいけない、正念で突破して!」と励ましの言葉をかけました。母も檻の中で泣きながら「いいよ!」と答えました。それが母との6年半の別れとなりました。信仰を捨てないため、母は刑務所で残酷な拷問を受けました。母がひん死になった時、刑務所は責任を回避するためにようやく一時出所して治療することを許可しました。母が家に帰ってから、しっかり学法と煉功をして体はある程度回復しましたが、地元の警察が何度も家に来て嫌がらせと脅迫を行ったため、母の病状は急速に悪化して亡くなりました。
母親が亡くなって間もなく、父も信仰を理由に再び連行されました。私は悲しみと怒りでいっぱいで、家宅捜査をしてきた警官に「私の両親が真・善・忍を信じて良い人になるのは何が悪いのか、なぜ私たち家族をこんなに追い詰めるのか」と大きい声で問い質しました。警官は私から何かを引き出そうとして、さらに私がインターンをしている職場にまで嫌がらせをすると脅しました。追い込まれた私は、彼らに対して「そうか、私を死に追い込ませたいのか、母はもう亡くなり、父は捕まって、私一人が生きていても意味がない。最悪、あなたたちを道ずれに一緒に滅びても構わない」と強い言葉を投げかけました。私の断固とした態度を見て、警察は手を引き、捜査を中止して帰りました。それで、家にあった大切な大法の書籍や真相資料などを保全できました。
父が連行された後、警察は何人かの監視役を我が家に送り込み、我が家に来る大法弟子を連行しようと企んでいました。他の同修を巻き込まないように、何かをしないといけないと考えて、私は買い物を理由に家を出ました。どうにかして他の同修と連絡を取ろうとしていると、ちょうどグループ学法を参加するために我が家にやってきた一家の3人に会いました。その後、3人は我が家の状況を他の同修たちに伝えてくれました。3人に会った瞬間、師父の巧みな按排に心から感謝しました。それにより、さらなる損害を防ぐことができました。後に、我が家で監視をしていた人たちは海外の大法弟子からの電話を受けて、「市民の住宅に侵入することは法律違反だ、あなたたちの行動は違法であり、その責任をいずれ問われるだろう」と警告されました。彼らは動揺して、やがて去っていきました。
その時、家には私と祖父の2人だけが残りました。祖父は何度もの驚きとショックを受けた後、重度の認知症の症状が現れて、失禁や、外出すると家に戻れなくなりました。私は祖父の面倒を見るためにしばらく休暇を取り、叔父(母の弟)も毎日仕事の後に様子を見に来ます。その後、叔父は男性のヘルパーさんを雇いました。やがて叔父も法輪功の信仰を捨てないために連行され、投獄されました。そのため、私と祖父を支えてくれる唯一の肉親もいなくなりました。
ある日の夜、怖い夢を見ました。夢の中で、祖父の世話をする男性ヘルパーが私の部屋に無理やり入って、私がかけている布団を剥がそうとし……、目覚めた時は、冷汗でびっしょりでした。翌日、仕事が終わった後、家に帰るのを恐れて同修の家に泊まることにしました。次の日の朝、家に戻ると、心の優しい隣人は寒い風の中でずっと外で私を待っていました。隣人は「家には戻らないほうがいい、あの男性ヘルパーがあなたに何かしようとしている」と警告しました。どうしてそんなことを知っているのかと尋ねると、近所の人と雑談する時に、男性ヘルパーが過去に強姦罪で逮捕され6年間服役したことと、私に手を下したいことを自ら何度も言っていた、と隣人は言いました。隣人は、私の部屋に監視カメラがあると彼に警告しました。その後のある日、私の部屋の鍵が壊れた、簡単に入れるとヘルパーは言いふらしました。彼が本気で私を犯したいと感じ取った隣人は、私のためにとても心配しました。
その時、深い恐怖を感じながらも、心の底から師父に感謝する気持ちが湧き上がりました。師父はずっとそばにいて守ってくださっていると強く感じました。男性ヘルパーは解雇され、祖父と私は再び2人だけの生活に戻りました。私は食事や洗濯など祖父の世話をし、夜になると怖くて電気を消すことができません。「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と唱えると、心が穏やかになり、やがて眠りにつくことができました。
同修の助けを受けて、私は父のために弁護士を雇い、弁護士を通じて師父の新経文を父に届けて、父に「祖父の面倒は私が見るから心配しないで、決して『転向』しないように」と伝えました。その時の私は、学法をしていないが家族の修煉をとても応援して、彼らが迫害され続けても、一度も恨むことはありませんでした。大法は正しいことで、両親は真・善・忍を信じて良い人になろうとしているのは間違っていないと知っているからです。幼い頃から正しいことと間違っていることを、正と邪を見分けることができ、厳しい迫害の中でも自分の利己心に負けて両親の信念を動揺させることをしていないことを幸いに思います。
同修に教えられたおかげで、私も実名で江沢民告訴の訴状を出して、訴状に裁判官に手紙を書き、我が家の苦難を伝えました。母は迫害で亡くなり、父は連行され、両親がいない家に80歳の祖父が残され、父はただ真・善・忍を信じる良い人なのに……、しかし結局、父は不当に3年間の懲役を言い渡されて、遠くの刑務所に送られました。私は月に一度、父に会いに行きました。
2014年の深秋は格別に寒く、暖房費の支払い時期が迫っていました。家中どこを探しても、支払い用のカードが見つかりませんでした。多くの困難とショックを経験した祖父はもう頭が混乱しており、そんな細かいことを覚えているはずがありません。その時、そのカードは私にとって最後の一撃のようなもので、これ以上の苦しみはもう耐えられませんでした。しかし、絶望の中で祖父が突然カードを手に持って、「このカードを探しているのか」と聞いてきました。それで、最後の期限に間に合うように暖房費を支払いました。涙を流しながら、再び師父の慈悲深いご加護を実感しました。
2015年のある日、心身ともに長年の度重なる打撃を受けたあげく、私のもう一人の肉親――祖父が亡くなりました。最期の時、祖父のそばに私しかいませんでした。父と叔父が帰ってくるのを最後まで待っていましたが、結局その日は来ませんでした。祖父は安らかにこの世を去りました。もう恐怖を感じることも、迫害を耐えることもないからです。
他の女の子の青春時代はケーキ、花、幸せの中で過ごしているのに対し、私は人生の最も美しい時期を家族との生き別れの痛みの中で過ごしたのです。その数年間で、人間関係の温かさと冷たさを体験し、世の中の厳しさを知りました。心に法輪大法がなければ、あの暗い時期を乗り越えることはできなかったでしょう。心の奥に忘れていない大法の教えが、私をその困難な時期を乗り越えさせました。師父の教えを胸に、どんなに苦しくても正しいことをし、清らかに生きるよう心がけています。
この場を借りて、困難な時に私と家族を支えてくれた同修たちに感謝します。彼らは物質的、精神的に多大な支援をしてくれました。心配してよく訪ねてくる同修、生活費をくれる同修、生活用品を買ってくる同修、父のために弁護士を探してくれる同修、祖父の世話をしてくれる同修など、様々な形で支えてくれました。彼らの名前を今でも知りません。真・善・忍を信じる人だけが見返りを求めず、困っている時に全力で助けてくれるということを、いっそう深く実感させられました。利益のために争い、自己保身のために他人の苦難を無視する人は後を絶ちませんが、法輪大法学習者の群れだけは真の浄土であると感じずにはいられません!
(続く)
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)