文/中国の大法弟子 一修
【明慧日本2024年6月30日】修煉を始める前、私は化学療法を6回、放射線治療を25回受けた癌患者でした。化学療法をする時、体重は一日で3~4キロ減り、予測不能な噴射状の嘔吐と吐血が伴い、長い髪は数日で全部抜け落ちました。放射線治療を受けた部分の皮膚は数カ月間ただれました。食欲もなく、夜も眠れませんでした。放射性肺炎(胸部にできたがんに対して行われた放射線治療が原因で起こる肺炎。細菌感染によるものではない)になって頻繁に病院に通うことになり、西洋薬を3年間、漢方薬を5年間服用して、言葉では言い表せないほどの苦しみでした。
そうして徐々に外に出られるようになり、毎日公園に行って時間を潰していました。たくさんの寺に行ってお祈りもして、何かの気功も学びましたが、効果はほとんどありませんでした。ある日、一緒に化学療法を受けていた友人のAさんから法輪功のことを聞きました。中国共産党は法輪功に関する情報を封鎖していたため、その時は法輪功について私はほとんど知りませんでした。功法伝授のビデオを見せられた時、「これは佛だ!」と、とても喜びました。
後に、Aさんの親戚が遠方からわざわざ一冊の『轉法輪』を私に届けてくれました。同時に明慧ネットにアクセスするためのソフトウェアも一緒にもらいました。しかし2回目にそのソフトを使おうとすると見つからなくなり、とても焦りました。Aさんに聞いても、処法を知りませんでした。
ある日、公園で会った人が法輪功に関するチラシを持っているのを見ました。「それ、見せてもらえる?」と聞いたら、その人はチラシを渡してくれました。家に帰ってから、チラシに書いた通りに模索しました。コピー&ペースト、保存、海外のメールアドレスの設定、送信して10分後ウェブサイトを送られてくる、などなど。一つも理解できず、ダウンロードしたファイルがどこにあるのかも分からなくて、基本的な知識がまったくなく、人に尋ねるのも怖かったのですが、どうしてもやってみたかったのです。英語は分からないけれど、幸い26文字のアルファベットは知っていたので、それに従って一文字ずつ入力しました。
夜、眠れない時は、昼間にインターネットで試みたことを思い出しました。何日か試行錯誤したら、ついに明慧ネットへアクセスできました。その喜びは言葉では表せません。
明慧ネットにアクセスできるようになってから、Aさんの親戚がくれたソフトウェアが偶然に見つかりました。二度と失うことがないように、そのソフトを複数コピーして、いくつかの場所に保存しました。
少しずつ、経文や煉功音楽、明慧ネットに載った記事をダウンロードすること、同修のために三退名簿をアップすることができるようになり、問題がある時に三退センターに連絡して解決する方法を学びました。時間があると出かけて真相を伝えて、祝祭日に明慧ネットにグリーティングカードを送ったりします。その間、家族からは「インターネットばかりして何もしない」とよく非難されました。家族は、私がただパソコンを使って遊んでいると思っていました。
パソコンは頻繁にトラブルに見舞われ、修理に出すと、叱られることがよくありました。「知識がないのに無理をするな」、「自分が賢いと思っているのか」、「もっと注意しろ」など。時には修理屋さんに電源を切られることもありました。これが私の心性を高めるための試練だったと後で理解しました。
振り返ると、法を得ることは決して簡単ではありませんでした。修煉を始めてから十数年が経ち今日に至って、師父のご加護がなければ、私は何もできなかったでしょう。もしかしたら、とっくに死んでいたかもしれず、病気一つなく健康に生きているはずがありません。実際、法を得ることは誰にとっても簡単なことではないのですが、それを知らないだけなのです。
最後の修煉の期間には、本当に心を込めて修煉し、師父の深い期待を裏切らないように、これから先の道をしっかり歩んでいきたいと思います。
(明慧ネット第24回世界法輪大法デーの入選文章)