文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年6月30日】私は50代です。1998年に法輪大法(ファールンダーファー。法輪功とも呼ばれる)を修煉し始めてから持病がなくなり、家族関係も円満になりました。
一、観念を改め、姑に優しく
夫の実家に嫁いでから、私のことが気に入らない姑は公然とその嫌悪感をあらわにし、私の欠点を常に指摘し、批判していました。それを挑発として捉え、おとなしく受け入れようとしない私は反論し、恨んでいました。姑は私を大切にせず、私も姑に従わないため、双方の衝突が緊張した関係をもたらしました。
私は料理の腕前が平凡でとりえがないため、家族が集まって食事をするとき、私はよく台所の手伝いをしていました。ある日、夫の実家での食事会の時、私ができる限りの雑用をこなし終えて食卓に座ったとき、皆はとっくに食べていました。それなのに私が食卓に座った途端、姑は私を台所に呼び出し、ドアを閉めてこう言いました。「しきたりを知っている家系だと思っていたのに、あなたのお母さんはあなたをどう教育していたのかしら? 年寄りがまだテーブルに着いていないのに、あなたはよくもそこに座って食事できるわね!」。私の両親はとうの昔に他界したのに、姑はよく私のお母さんの話を持ち出します。彼女の言葉に怒りを覚えて、私は何も言えませんでした。
似たようなことはよく起きていました。人がいようがいまいが、夫さえその場にいなければ、姑は頻繁に私を叱っていました。私のことが気に入らないせいで、姑は息子にも良い態度を見せませんでした。夫の実家では、たった1人の家督を継ぐ孫であるにもかかわらず、姑は厳しい言葉をかけ、扱っていました。それとは対照的に、彼女はわが娘の子供たちを甘やかしていました。それが義母の私への復讐だと思いました。
義母との正面衝突を避けるため、私は夫をそそのかして、舅の前で告げ口をさせました。義父は孫をとてもかわいがっていて、その結果、義父母は度々喧嘩していました。姑は潔癖症で、私を家に泊まらせたことはなく、大晦日に餃子を作り終えて真夜中になっても、私を自宅に帰らせました。
法輪功を修煉してから、私は修煉とは人心を取り除いて善を修め、誰にも(身内にはなおさら)優しく接すべきだと知り、あらゆる面で自分を変えようと努力しました。
我が家が新居に引っ越してから、義父母も一緒に住むようになりました。夫も義父も声が甲高く、会話し出すと喧嘩しているように聞こえ、しかも延々と話し続けていくのです。夫の家族はみな互いに譲らず、何事においても常に優位に立とうとする人たちです。当時、私はアルバイトをしていて、彼らの騒々しさが嫌で、仕事が終わっても家に帰ろうとせず、彼らを避けていました。
その後の同修との交流の中で、同修は「あなたのやり方は間違っています。何かがあったら、避けてはいけません」と注意してくれました。「確かに、彼らは私に心性を高めるチャンスを提供している。いらいらする気持ちや怨恨心を取り除くチャンスなのに、どうして私はずっと避けていたのか!」と思いました。
義姉の家に食事に行ったとき、義姉に「お母さんは何日もあなたの家にいましたが、お風呂に入れてあげましたか?」と聞かれて、私は「本人は何も言わなかったから」と言ったことを思い出しました。しぶしぶ姑に「お風呂に入りますか?」と聞きました。義母は、私をちらっと見て「入らない」と答えました。
家に帰ってから、私は何だか気持ちが落ち着かず、「やはり私は苦労を避けたがっている。年を取っている姑は銭湯に行くと、危ないということで入場を断られている。私もしてあげないと、どうやってお正月を迎えるのか?」と思い、姑に「お母さん、お風呂に入れてあげましょうか?」と聞きました。姑は私が本気で聞いているとを信じることができず、一瞬怪訝そうな顔をしました。私は誠意をもって頷きました。
お風呂に入ってから、私はまず姑の髪を洗ってあげて、それからゴシゴシと垢すりをし始めました。姑は「ここはよくできてない」と言ったり、「ここもダメだ」と言ったりして、難癖をつけた挙句、「やはり私の娘には及ばないわ!」と皮肉っぽく、とげがある口調で言いました。私は心の中で、「感謝も知らない人じゃない! 私は実母でさえ、お風呂に入れたこともないのに」と思った途端、それが善に欠けた考えで、不平不満の心だと気づき、取り除くべきだと考えを改めました。
「普段、義理の姉と妹が夫の両親の世話をしていて、私は大晦日の前に台所回りを拭いたり、掃除したり、野菜畑を手伝ったりする程度で、義理の両親のお世話であまり苦労したことはなかった。今日は姑が向上のチャンスを作ってくれたのだ。いつもの悪態で応じるべきではない」と思い、私は心から姑に感謝する気持ちが生まれました。
心を落ち着かせてから、私は垢すりをしてあげながら姑にこう聞きました。「お母さん、痛くありませんか? ここをこすると気持ちがいいですか? これではどうですか?」。最後に、私は姑の足を洗ってあげました。姑は大満足し、「こんなに気持ちがいいお風呂は初めてだ。いつもは体が凝って固まっているのに、今日はお風呂に入ると体がほぐれて、たくさんの悪いものが洗い流されたような気がする。本当に気持ちがいいわ!」と言い、目を細めて、子供のように私を見て笑いました。
湯冷めしないように、私は急いでバスローブを着せて、彼女を支えながら一緒に浴室から出ました。その時、リビングルームは静まり返っていました。「あれ、どうしたのだろう? 夫と舅はリビングでお茶を飲んでいたのでは? どうしてこんなに静かなの?」と、私は思いながら食卓を見ると、3人がじっと私たち2人を見ていました。いつの間にか、夫の友人も来ていました。彼らの目線から心配、驚きと好奇心が見えました。姑と私がにぎやかに楽しく談笑するのは、今までに一度もなかったことからです。
姑をベッドに寝かせてから、私は台所に行って果物をカットし、ベッドの端に座って果物を一つずつ姑の口に運びました。彼女は私の腕の中に横たわり、嫁からの親孝行を楽しみました。その白い髪と幸せに満ちたしわだらけの顔を見て、私は鼻の奥がツンとして涙が出そうになり、胸には慈悲の気持ちでいっぱいでした。「修煉者は必ず師父の教えに従い、着実に修めなければならない! そうしないと、この生命を押し出してしまったかもしれない」と私は思いました。
姑が喜んでいるのを見て、私は神韻のDVDを見ることを提案しました。今まで、姑はずっと拒んでいましたが、その日は長いこと観ていました。
姑は突然フルーツを食べるのをやめて、私に「あなたはどうして食べないの?」と尋ねました。私が「果物はあまり好きではありません」と言うと、姑は私がもったいなくて、食べないでいるのを察したのか、「あなたは『真・善・忍』を修めている人だから、嘘をついてはいけないよ」と言いました。私は黙り込んでしまいました。さらに姑はこう続けました。「私には分かっているよ。法輪功を修煉してからのあなたは、ここ数年で大きく変わったわ。あなたが私の老後の面倒を見てくれるとは思ってもみなかった。あなたが嫁いできた時、『どうして、こんな嫁をもらったのか?!』と思っていたけど、私にこんな福があるとは夢にも思わなかった。あなたが法輪功を学ばなければ、こんなに優しく世話をしてくれることはなかったと思うよ」
私は法輪功を学び、修煉者になりました。師父は私たちに、何をするにも他人を傷つけてはならず、完全に他人を思いやる人になるようにと教えられています。今では姑の家に行くと、彼女はもっと長く泊まるよう引き止めてくれます。私たちは同じベッドで寝ます。時々彼女は、私の体が冷えているのではないかと心配して、触って確かめます。片方が眠りに着くまで、私たちはベッドでずっとおしゃべりをしていました。
(続く)