同修が連行された後、修煉者間の贈り物について考える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年7月4日】地元のある地域の協調人であるAさんが不当な判決を受けました。これは非常に悲しいことです。現在、地元の同修と対面で交流するのは非常に不便なので、明慧ネットのプラットフォームを借りて個人的な理解を皆さんと共有したいと思います。法に則っていないところがあれば、同修たちの慈悲なるご指摘をお願いします。

 近年、私たちの地域の修煉と人を救う環境は、長い間非常に悪い状態にあります。地元公安部門は大法弟子に対する大規模な嫌がらせや連行を繰り返しています。これは、私たちの同修が全体的に心性に深刻な問題を抱えていることを示しています。

 Aさんは、ここの地域の主要な協調人です。以前ある同修から、「Aさんの家に行く同修で、贈り物をしない人はほとんどいないと聞いたことがあります。彼女の家に行く同修の多くは、手に贈り物を持っており、その贈り物の大きさはさまざまで、数百元の価値があり、この贈り物の習慣は長い間続きました。私はそれを聞いて衝撃を受けました。「明らかに法にそぐわないことが多くの同修の間で起きているのに、なぜ誰もそれに気づかず、止めようとしないのか」と、疑問に思いました。この中にはどのぐらいの人心が隠れているのでしょうか?

 この種のことは、多くの場合、知らず知らずのうちに同修の名利心を助長します。師父は『轉法輪』で次のように説かれました。「だんだんとちょっとした記念品を受け取るようになり、そのうち大きな物までもらうようになりました」。これは同修を危険な道に突き落とすことになるのではないでしょうか?

 もちろん、Aさんが連行された主な原因は彼女自身にありますが、Aさんは現在刑務所にいるので、彼女の個人的な原因については言及しないことにします。しかし、Aさんは自分自身を修める必要があります。そして、必ずしも贈り物をすることだけが迫害を引き起こすわけではありません。しかし、少なくとも贈り物をする同修には責任があると思います。なぜ同修に贈り物をしたいと思うのでしょうか? 同修に助けを求めているのですか?

 Aさんは文章力と協調の能力に優れていると聞いています。しかし、このように長期にわたって協調人に贈り物をすることは、修煉を厳粛に考えておらず、私(し)の心からであり、同修のまだ取り除いていない名利心を利用するものでもあり、善意で同修のために考えているではありません。

 関連している同修たちは一刻も早く再認識して修正し、全体的に改善していただきたいと願っています。私たちの修煉環境が真に人を救うことに有益になり、大法弟子の修煉に有益となるようにするためです。私個人としては、Aさんが連行された後に、なぜもっと早くこの件についてAさんと交流しなかったかと反省しているところです。これはまた、「余計なことをするより言わない方がよい」という私の人心に気づかせてくれました。

 個人的な認識ですが、気に障ったところがあればお許し下さい。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/6/25/479014.html)
 
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