大法弟子は混沌とした世の中の清らかな蓮
■ 印刷版
 

  文/海外の大法弟子  

 【明慧日本2024年7月11日】私の母は、1997年に法輪大法の修煉を始めました。長年の病気がすぐに消え、心身ともに健康になりました。それは私にとって、法輪大法の素晴らしさと奇跡を目の当たりにするという経験になりました。

 ところが、1999年7月に中共が法輪大法を迫害し始めたため、私は十分な勇気を持って修煉に踏み出すことができず、長い間門外で傍観していました。母の修煉を支持していたのですが、自分自身は修煉する機会をほとんど逃していたのでした。

 慈悲深い師父はいつも私を見守り、法輪大法を修煉する機会を常に啓発してくださっていました。ついに私は2004年、法輪大法の修煉を始めました。それ以来今日まで修煉を続けています。あっという間に20年が過ぎ、その間に私は多くの奇跡を経験し、私の生活に深い影響を与えました。その中のいくつかのエピソードを書き留め、法輪大法の素晴らしさと崇高さを証言したいと思います。

 拘禁された期間における法の証明

 2011年、私は法輪大法の修煉を堅持したとして中共により不当に拘禁され、労働教養所で約2年間迫害されました。私たちは毎朝5時に起床し、農作業に従事し、その後、作業場で女性用の衣類を作る仕事をしていました。夕方には再び畑での作業を続け、毎日スケジュールが非常に過密でした。昼食後には、十数分の短い休憩時間がありました。時々、労働教養所の刑務官が外から物資を購入して戻る際、人手が必要となります。毎回私は自主的に手伝いに行き、年配の女性や若い同修たちの休憩が取れるようにしました。こうした行動を繰り返すうちに、物資の調達を担当している2人の刑務官と親しくなりました。

 刑務官との接触の中で、なぜ法輪功を修煉しているのか、法輪功の病気を治す効果について話しました。刑務官たちはその話に耳を傾けてくれました。さらに、2人に中共の党、団、隊の組織からの脱退(「三退」)を勧め、実際に脱退させることができました。歯磨き粉やインスタントラーメンの包装が破損していることがあり、誰も買いたがりませんでした。私は、「全部私にください、買います」と言いました。2人の刑務官はとても喜んで感謝してくれました。商品が売れて在庫がなくなり、刑務官は仕事をうまくやり遂げたことになるからでした。

 私が不当な拘禁から解放されて家に帰る日、刑務官の2人は別れを惜しんでくれました。私が去る日には、2人とも見送りに来てくれました。1人はこう言いました。「私は法輪功が良いものだと思います。あなたを見て、法輪功が良いものだと分かりました」、もう1人は帰宅後に「DVDを送ってほしい」と希望し、それを母親に見せ、母親に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じるように教えると約束しました。

 実際のところ、私は大法弟子として最も基本的なことをしただけで、人と善意で接し、常に他人を思いやりました。これは師父が私たちに良い人になるように教えてくださったことです。

 西洋人の隣人との縁

 海外に移住してから、大都市の中心部に数年間住んでいました。私の隣に住んでいたのは西洋人で、左隣には主流社会のアメリカ人一家が住んでいました。彼らはホテルと劇場を経営し、成功したビジネスマンであることをその後に知りました。

 引っ越してきた初日に、隣人に法輪大法のことを話し、神韻の公演を観に行くことを勧めました。アメリカでは、人々の交際は社会階層にこだわることがあります。同じ社会階層の人としか交わらないので、隣人とは表面的な礼儀を保ちながらも、実際には一定の距離を感じていました。

 ある日私は、バックで駐車中に不意に事故を起こしてしまい、隣人の高級車の塗装が削れてしまいました。その時、周りには誰もいませんでしたが、私は隣人の車にメモを残しました。私の不注意で車にぶつかってしまったことを伝え、修理費用は私が負担する旨と連絡先を書きました。

 驚いたことに彼はすぐに私に連絡し、私の正直さを感謝する内容の温かいメッセージを送ってきました。彼は後で修理に行くと言ってくれました。その後、彼の私に対する態度は完全に変わり、とても親切になりました。食べ物を持ってきてくれたり、大きな荷物が届いた時には積極的に上階まで運んでくれたりしました。

 中共ウイルス(武漢肺炎)感染症の流行が過ぎ去った後、私たちの地域で神韻の公演が再開されました。すると彼は自ら、「今年は神韻の公演を見に行くつもりです。チケットを買って、家族と一緒に見に行きます」と言ってくれました。

 普通の大法弟子である私は、本当に特別なことは何もしていません。誰も見ていないところで他人の車にぶつかった時、私は当然のようにそのことを伝えました。なぜなら、私が修煉しているのは「真・善・忍」だからです。

 隣人にとって、現在の社会道徳が非常に低下しているため、誠実な行いは本当に珍しいものに映ったのかもしれません。だからこそ、彼は感動し、自ら「神韻の公演を見に行きたい」と提案してくれたのだと思います。この生命が救われることに、私は喜びを感じました。

 私はよく、真相とは何かについて考えます。大法弟子の一言一行が重要な真相だと私は思います。大法を証明するとは何か? それは、大法弟子が生活や学びの中で「真・善・忍」の品質を随所に体現することです。私はこれからも精進し、合格した大法弟子であり続けたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/4/479285.html)
 
関連文章