直ちに過ちを正せば まだ間に合う
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文/浄蓮

 【明慧日本2024年7月17日】ある地域で大法弟子が次々と誘拐されるという報道を目にして、心がひどく痛みました。これらの同修は、数々の障害を乗り越え、修煉を堅持し、衆生を救う最前線に立つ大法弟子です。

 異次元の旧勢力が仕組んだ悪の要素を解体し、邪悪による迫害を軽減することを目的に、また、自分自身の行いを反省するためにも、以下のいくつかの問題点について交流したいと思います。

 一、人間の感情で神韻に対処する

 (一)個人の理解と好みを基準に、勝手に神韻公演の録画を保存したり、他人に見せたりする

 問題が起きた地域には、神韻公演の録画を保存している同修がいました(限られた範囲で共有されていると思われる)。最初は、学習者と神韻公演の録画の配布停止に関する原則について話し合ったところ、同修もすぐに自分の問題を認識し、その場で録画を削除しました。しかし、当時は私自身の修煉状態が良くなかったので、その録画を同修内で回すことが与えた影響や、できる限り自分が犯した過ちを改めることの重要性を話しませんでした。最も深刻なのは、私自身が神韻公演を見たことがなかったため、その録画を見たいと思ってしまったことです。実際には見ませんでしたが、内心では法の基準にそぐいませんでした。

 明慧編集部が発表した神韻公演の録画に関する通知を、もう一度確認しましょう

 1.神韻公演の録画・中国版DVD 海外への持ち出し厳禁

 海外において、神韻公演はベストの効果を出すために、一律、所定の公演会場での鑑賞が定められており、録画は提供していません。神韻公演の録画DVDは中国版のみ存在し、迫害が行われている中国だけ無料で提供可能と明確に規定されています。しかし、近年、一部の中国の同修が海外に出て来た際、自分が見るため、家族に見せるため、または小範囲で他人に見せるためなどなどの口実をつけ、中国版DVDまたはDVDファイルを中国から持ち出しました。

 上述の情況に対し、師父はこうおっしゃいました。海外においては、神韻公演は所定の公演会場での鑑賞だけに限ります。中国版DVDの海外への持ち出しは厳禁です。誰かが持ち出したならば、それは神韻公演への妨害となり、破壊行為となります。このようなことが再度起こった場合、中国での神韻公演の録画DVDの配布は停止します。

 既に神韻公演の中国版DVD、または、DVDファイルを持ち出した学習者は、直ちに、持ち出したものを破棄して下さい。

 ここに、厳正に通告します。

 2.今年は中国本土向けに神韻公演の映像を提供しないことについて

 神韻芸術団は劇場で神韻公演を鑑賞できない中国本土の民衆のために、中国本土に限り無料で神韻公演のDVDの発行を許可していました。

 しかし、数多くの中国本土の学習者が、神韻公演のDVDまたは映像データを海外に持ち込んでいます。また、中国本土でも多くの学習者が、個人の好き嫌いを基準に、恣意的に神韻公演のDVDを発行しています。

 このような行為は既に神韻芸術団の目指す目的を妨害しています。神韻芸術団は、今年は中国本土向けに神韻公演の映像を提供しないことを決定しましたので、ここに通知致します。

 (二)常人の心で法輪大法デーの祝賀カードに対処し、法に対して厳粛さが足りず、師父への敬意が不十分である。

 「5月13日」の世界法輪大法デーに師父へ贈る祝賀カードを、単なる形式的な挨拶と考えていました。自身を振り返ると、長期にわたり法に対して常人の心を持ち、真剣に学ばず、そのため長期間妨害されていたのです。問題に直面すると常人の考えが先行していました。

 「5月13日」の祝賀カードは師父宛てのものですが、それはすべての生命のためでもあり、邪悪を震え上がらせ、真相伝えの面でも重大な役割を果たしています。修煉者は心を込めてこれを行うべきです。

 二、輪廻に執着し、自我を証明する

 ある修煉者が不法に拘禁されている間、同じ部屋の修煉者が超能力を持っていることを知り、自分の輪廻の過程を見てもらいました。これは法に反しており、他の修煉者に修煉状況を天目で見てもらっているのではないでしょうか。しかし、私もこのような話を聞いた時、常人の感情が優先し、自分の修煉が他の修煉者に及ばないと感じたため、その修煉者に注意するどころか、自分も執着するようになってしまいました。輪廻について、正しくないかもしれない異なる人生について熱心に語り合いました。他の修煉者が昔、歴史上の有名人だと聞いて、うらやましくも思いました。もし、自分の近くに天目の開いている同修がいたら、私はその誘惑に触れずにいられるのかと自問自答しました。

 三、修煉のレベルに執着し、他人を見下し、恐れるかどうか、問題が起こるかどうかという常人の観念で安全性を判断する

 同修たちが会話する時、よく第三者や他の同修の名前を直接呼びますが、盗聴の有無に関わらず、安全に対する意識を高める良い習慣を身につけたほうが良いと思います。

 真に修煉する弟子は、衆生を救う責任を背負っており、身の安全を重視しなければなりません。自分に恐怖心があるかどうかを実証するのではなく、問題が起きたかどうかで測るものでもないのです。私は理性的でない部分、極端に走りやすいところがあり、よく転びました。これらの執着心がなければ、邪悪に妨害されることもなかったでしょう。

 以上は私個人の認識であり、不足点を見つけることで、邪悪の要素を解体し、同修たちが一刻も早く釈放されることを願います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/10/479522.html)
 
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