文/中国の大法弟子 睿智
【明慧日本2024年7月19日】ある日、協調人が私の家に来て、グループの学法をしばらく休んだ方がいいと言いました。その時、私は頭を棒で叩かれたような衝撃を受け、まるで師父が警鐘を鳴らしてくださったようで、事の深刻さを感じました。
事の経緯はこうです。私の病業が長い間改善できず、歩行が困難であり、大法弟子のイメージに影響を及ぼしていました。内に向けて探しても根本的な原因が見つからず、時間ばかりが過ぎ、自分はかなり精進し、三つのことも取り組んでおり、時間も厳しく管理していたのですが、進展が見られませんでした。
今回の棒喝を受けて、私は真剣に内に向けて探し、問題点を見出しました。自分は常に自分の過去や常人と比較して、自分はしっかりしていると思いましたが、色欲の面で特に際立っていて、不正な行動はしていなくても、常に色情に関する考えが頭を離れず、しばらく考え込んでからやっと気づきました。長い間、自分は大法で自分を要求することができず、修煉者の基準から遠ざかり、また、圓満な覚者になることからも遠く離れていたのです。
明慧ラジオ放送の交流文を聞いて、今正法が終わりに近づいていることを知り、圓満の覚者の基準で自分を要求すべきだと悟ったのです。自分の基準が低すぎることに気付き、魔難が訪れた際に自分の心性を守り切れず、自分の思考をコントロールできなかったため、自分の修煉場が不潔になり、その結果、長い間魔難の中に入りました。全身の震え、鼻づまりして咳き込み、一晩中眠れず、左足の親指が腫れ、痛み、化膿しているところから膿が流れていました。修煉して27年、私は同修の時間をとってしまうことに遠慮し、同修に頼んで正念を発していただいたことがありません。しかし、今度は協力を求めざるを得ません。
師父は『新唐人テレビ討論会での説法』の中で、大審判について「大法弟子を含めて、審判を受けるのです」と説かれました。時間が限られている今、自分が現在の修煉状態を変えなければ、近い将来の大審判で淘汰される可能性があり、非常に危険だと感じました。師父が私の危険を見て慈悲に棒喝してくださったのです。今後は自分の目標を圓満成就の覚者に設定しなければなりません。
以降、できる限り修煉者の基準で自分の一思一念を照らし合わせるように努めました。時には良くでき、そうでない時もありましたが、修煉において向上が見られるようになりました。自分の思考を制御できるようになり、非道な考えにとらわれなくなり、行動もより理性的になりました。また、体調にも大きな変化が見られ、咳が止まり、鼻づまりが良くなり、左足の親指の腫れや痛みや化膿も治り、全身の震えも軽減され、正常に眠ることができるようになりました。後には再発もありますが、その症状も軽いものでした。体の中から多くの汚れが排出された感じです。本日、この機会を借りて、私を助けてくれた同修に感謝します。また、師父の加持と啓発に感謝致します。
師父は『険悪を遠ざけよう』の中で「宇宙で法を正すことも末後の時期に入り、この時期が終わったあと、厳しい選別と淘汰の過程があります」と説かれ、『大法修煉は厳粛である』の中で、「法を正すことは終わりに近づいており、旧勢力は真に修めていない、あるいは長期的に約束に違反し歴史の使命を果たせなかった一部の人を淘汰しようとしています」と説かれました。
私はとても驚いて目を覚ましました。修煉においてはさらに高い基準で自分に課す必要があります。これは自分に対する責任だけでなく、他の人々や法に対する責任でもあります。
最近考えたことですが、人々は虎を恐れますが、色魔を恐れず、いわゆる快適さの中で自分を滅ぼしているのです。虎はせいぜい肉身を奪うしかなく、元神はまだ生まれ変わることができると思います。しかし、色魔が奪うのは修煉者の肉体と元神、そして自分の世界の衆生などすべてを含みます。だから共産邪党は色情を氾濫させ、色魔を利用して人類を破壊し、修煉者を破壊するのです。その意図は陰険で卑劣です。それを見極めることができれば、色心を排除したり色情を遠ざけたりするのはより容易です。人々は虎に噛まれることを恐れますが、その色魔の方がはるかに厄介です。この考えに基づいて、色魔に環境を与えず、条件を与えないように努力できます。例えば、男女二人だけで一緒に法を学ばないようにし、一つの部屋にいないようにして、用事があったら短い時間で済ませて、回避できないときは正念を持って対応します。思考に色欲の念が浮かんだらすぐに気づき、「これは私ではない。これは欲しくない。師父、取り除いてください」と念じます。
以上は私の体験ですが、法に合わない点があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。