【慶祝5.13】 15歳で大法を得た後の二つの転機
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 文/中国の大法弟子 王林

 【明慧日本2024年7月21日】第25回世界法輪大法デーにあたり、師父の慈悲深い救済と同修たちの励ましに感謝の意を表したいと思います。

 私が大法を得たのは1996年、15歳の時です。当時は法輪大法が中国で広く普及していた時期でした。私の街には煉功があちこちにありました。近くの公園では、一日のさまざまな時間にグループでの煉功が何回か行われました。私と同修は、煉功後に時間があれば修煉体験を分かち合いました。最高の時間でした。心性が急速に向上し、健康と精神に大きな変化を感じました。

 しかし、学校での勉強量が多く、自制心が乏しかったため、1999年初めに修煉をやめました。その年の後半に法輪大法が中傷され、政府が迫害を始めたため、私はますます迷い込んでしまいました。法輪大法が不当に扱われていることはわかっていましたが、どうしたらよいか分からず、同修と連絡を取ることもできず修煉が遅れてしまいました。

 2003年の冬に、私は交通事故に遭い、それが私にとって二度目の転機となり、修煉の正しい道に戻ることができました。

 私は凍った道路でミニバンの助手席に座っていました。運転手は車の制御を失い、対向車線に飛び出し、トラックと正面衝突しました。私たちの車は大破し、運転手は首と肋骨を骨折し、一生治らない怪我を負いました。トラックは私たちの車の私が座っていた場所に衝突しました。私は鎖骨を負傷しましたが、1カ月も経たないうちに回復しました。皆は不思議だと思っていましたが、師父が私を守ってくださっていることを私は知っていました。私はこのまま落ちていくべきではないと思いました。

 入院中、ある同修が連絡をくれ、最新号の『明慧週刊』を病床に持ってきてくれました。私は法輪大法の最新の動向を知り、何をすべきかを学びました。法輪大法の迫害に関する記事を同じ部屋の他の人たちに向けて読み上げました。看護師が私を警察に通報しました。2人の警官が病院に来て私を尋問しました。彼らは私に法輪大法を修煉したか、これからも修煉するつもりかと尋ねました。私は「はい、修煉しましたし、これからも続けます」と答えました。彼らは何も言わずに立ち去りました。

 退院後、私は空白のCDをいくつか購入し、専門店で真相解明用のCD300枚を書き込んでもらいました。店員が私を警察に通報するかもしれないことは知っていましたが、私は恐れませんでした。その後、私は自分の機材を購入して、自宅でCDを作り始めました。今も作り続けています。

 私は仕事で複数の都市を行き来しています、同修との交流はありません。一人で法を学び、明慧ネットの記事を読んでいますが、修煉に孤独を感じることはありません。師父と法を心に留めておけば、改善を続け、真相を伝え、師父について真の家を帰ることができます。

 真相を伝えるために一歩踏み出していない同修に言いたいのは、急いでください! 時間は迫っています! さまざまな欲望に惑わされたり、迷ったりしないでください。より多くの衆生を救いましょう。世の人々は人生の意味を見つけ、明るい未来に向かう唯一の方法は、明確な心で善と悪を区別することです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/27/477891.html)
 
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