「師と法を信じる」ことはスローガンではない
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文/米国の大法弟子

 【明慧日本2024年7月23日】メディアの事件が起きてから、もともとSNSで大法を攻撃していた人たちがさらに攻勢を強め、これを機に神韻を攻撃する人たちも現れました。また、神韻チームから離れた元ダンサーも出てきていわゆる特ダネを暴露し、山での説法も録音されてネットで流されました。

 メディアの事件の直後、師父は『法難』を発表されました。私は一連のことはメディアや神韻だけに向けられたものではなく、すべての大法弟子、修煉団体全体に対する迫害であり、試練であると考えました。ある学習者は私に、今回は1999年「7.20」以来、大法に対するもっとも厳しい迫害だと言いました。当時、多くの古い学習者は気が重いと言っていました。

 気持ちの問題に留まらず、実際、身体面の違和感もありました。胸の辺りに鉄の塊のようなものが詰まっていたり、圧迫されたり、心臓発作や何らかの健康上の問題が起きそうな感覚だったそうです。私自身も、胸の辺りがずっと詰まっている感じがありました。私はその学習者たちに、「これは別の空間から圧し掛かってきたものです。『法難』である以上、私たちはみな、それに耐えるしかありません」と言いました。

 しばらくすると、その感覚はだんだん軽くなり、やがて消えていきました。その間、病業を経験する学習者もいれば、仕事や生活の中での魔難を経験する者もいました。7月4日のアメリカの独立記念日パレードに参加した際、天国楽団の一部の団員は息切れやめまいなど、今までに経験したこともない不快感に見舞われました。

 実は、私たちが耐えたのはほんの少しに過ぎず、巨大な難はすべて、師父が受け持たれ、20~30年来ずっとそうでした! 学習者の中には、メディアのことやインターネット上のデマを見た際に無気力感を覚え、何もできず、何をすべきかも分からないと言う人がいます。私が思うには、どんなときも、師を信じ、法を信じることが一番重要なのです。次に、自分自身をよく修めた上で、善意をもってお互いを監督し、注意を促すべきです。漏れがなければ、悪いものも付け入ることはできません。

 師と法を信じることはスローガンではありません。それは修煉の根本であり、一つの生命が生まれ持つ根基であり、無数の試練と苦難を通して深められた信念なのです。真の大法弟子は試練に持ちこたえることができるはずです。砂なら、必ずふるい落とされます。大量の金がある訳がないでしょう! 偶然というものはなく、誰も天をひっくり返すことはできません! 1999年に迫害が始まったとき、全部の国家機器を動員した中共に比べて、当時の私たちの人的資源は今とは雲泥の差があるほど少ないものでした。今のこの僅かな妨害は、砂をふるい落としていくだけなのです。大法弟子よ、しっかりと師に従い、歩んでいきましょう!

 これを書き出したのは、皆さんが今起きていることに対して真正面から取り組み、法を多く学び、自分をよく修めると同時に、積極的に正念を発して悪いものを滅してほしいからです。また、特にこの時期において、極端に走る行動を取らないよう、そして各方面のバランスをうまく取るよう注意を払ってほしいと願っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/12/479586.html)
 
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