他人のために考えることの幸せ
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2024年7月24日】私は、心性を高める中で、他人のために考えることの幸せについて体験し、それについて交流したいと思います。

 1. 夫は怒らず、むしろ笑顔になった

 ある日の夕方、私が仕事を終えて家に帰ると、夫も帰宅して、裏庭の糞池で肥料を運んでいました。私は裏庭で野菜を摘み、戻ってきたときに無意識に戸締まりをしてしまい、そのまま立ち去りました。夫が戻ってきて門を開けようとしましたが、開かず、私に門を開けるよう叫びましたが、私は聞こえませんでした。夫が再び叫ぶ声を聞いた時、門を開けに行ったら、彼は怒り狂って汚い言葉で私に罵声を浴びせました。

 以前なら、私は彼と口論し、決して彼に負けようとしなかったでしょう。しかし、今は法輪大法を修煉しているので、我慢し、怒りも感じず、夫に「そうだね、あなたは仕事がとても大変なのに、帰ってきても休まずに働いて、すごいと思います。とても疲れ、汚れる仕事をして、しかも寒くて、門が開かないなんて、当然イライラしますよね」と言いました。夫はそれを聞いて怒りが収まり、むしろ笑顔になりました。

 2. 他人のために考える人は天に守られる

 ある日の夕方、仕事を終えて家に帰ると、夫から電話があり、赤信号を無視して交通事故に遭ったと言いました。私は彼に怪我がないか尋ねると、「病院でレントゲンを撮った結果、足の指が二カ所骨折しており、医者は手術が必要だと言っている」と言いました。夫は手術をしたくないと言いました。しばらくして、運転手から電話があり、「年配の方なので手術をしないと後遺症が心配です」と言いました。私は「彼が手術をしないと言っているのなら、それでいいです。安心してください、私は法輪大法を修煉しているので、あなたを訴えることはありません」と言いました。その後、医者は夫と運転手の両方に同意書に署名させ、どんな結果になっても自己責任とし、ギブスをつけて家に帰りました。

 翌日、夫の上司が家に車で来て、夫を交通事故の処理に連れて行きました。警察は監視カメラの映像を見て驚き、「本当に命拾いしましたね。バイクが車の前に衝突し、車の上を飛び越えたのに、体は無事で、足の指が骨折しただけなんて。普通の人なら足が折れたり腕が折れたりするでしょう」と言いました。警察は最終的に夫に責任があると判断し、すべての結果を自己責任としました。

 帰宅後、夫はギブスを外しました。私がなぜ外したのか尋ねると、彼は「私には師父がおられる」と言いました。私は「それならあなたの好きにしなさい。心の中で『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』と唱えてね」と言いました。彼はずっと唱えていると言いました。その後、私はオーディオプレーヤーを持ってきて、彼に師父の講義を聞かせました。1カ月後、夫は地面を歩けるようになりました。時折腫れましたが、痛みはありませんでした。私は「大法の師父が慈悲深く、あなたのために受け止めてくださったのです」と言いました。彼は「そうだね、良くなったから師父に頭を下げて感謝する」と言いました。私は「師父に感謝するなら、師父の言うとおりにしなさい」と言いました。

 それ以来、私たちは一緒に『轉法輪』を学び、夫も物事が起こるたびに内面を見つめて修煉するようになりました。これは本当に師父の恩恵です!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/18/479784.html)
 
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