内に向けて探すことができるようになった
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2024年7月25日】私は法を得て20年以上経ちますが、内に向けて探すことについて理解を深めたのは、ここ数年のことです。以下では、如何に内に向けて探すかについて、自分の見解を皆さんと共有したいと思います。

 1、初歩的に内に向けて探すことを覚えた

 私が法を得たのは1997年です。多くの試練と困難を経験し、振り返ってみると、最初の十数年間は、実は内に向けて探すことの真髄を掴んでいないことに気づきました。当時は内に向けて探していると思っていましたが、今になってみると、その時に探すことは表面に止まっていると思います。例えば、何か問題にぶつかると、自分に闘争心、あるいは情を持っているという浅い理解にとどまり、執着心に何らかの名前を付ければ、内に向けて探したつもりになりました。それが原因で、当時の修煉は非常に表面的で、何度も同じ問題にぶつかっても乗り越えられず、修煉は非常に苦しく疲れるものでした。

 それから、内に向けて探すことに長けた同修のAさんと交流する機会があり、Aさんは詳しく自分がどのように内に向けて探すかを教えてくれました。聞いた後、私もすぐに探し始めました。その時、心が動じるかどうかを一つの指標にして、不機嫌になり、心が動き、怒ったら、ちょうど内に向けて探す時が来た、と理解していました。

 内に向けて探したいなら、考え方の背後にある根源を見つけ出す必要があると思います。通常、誰かとの間にトラブルが発生した時、ほとんどの場合、自分が正しいと思います。そのため、最初に自分に問う質問は、「なぜ不快になったのか」です。自問自答の結果、よく得られる答えは「ああ、相手が悪いので、私が不機嫌になったのだ」というものです。

 最初は「相手が悪いのだ、相手がこのように悪いのだ」とばかり思うかもしれません。しかし、その思いは間違っています。何故なら、自分がどれだけ正しくても、それは人間世界の理屈です。修煉とは相手を修めるのではなく、自己を修めるのです。

 さらに、「神はこのような状況に遭遇したら心が動じるのか」と自分に問いかけます。質問して回答する過程で、頭の中で常人の思いと神の思いが常に戦っています。「自分自身を変えたい」という決意がとても強かったため、師父に助けられて、考え方を少しずつ変えていくことができました。最終的には、今日のことに遭遇したのは自分が執着心を持っているためだと納得し認めて、問題の所在を見つけ出すことができました。

 例を挙げます。家族とは親しい関係にあるため、軽率に話してしまう時があります。「ああ、またか、何回言わせるつもり?」と言ってしまうことがあります。そして、夫もそれほど喜ばない反応を示します。以前に何回も注意したにもかかわらず夫が改めないので、私も不快になって、自分の怒りが正しいと思ってしまいます。心が動じたと分かって、「なぜ不快になったのか、自分に執着心がなければ相手はきっとそのようにしない。自分のどこかが悪いので、相手がそのようにしたのだ」と自分に問いました。

 そのように自問自答する中で、自分は不満を持って夫を見下していたと気づきました。さらに深く掘り下げると、相手を見下すのはどういう心でしょうか。『法輪功』には「嫉妬心のある人は人を軽蔑し、他人が自分を上回るのが我慢なりません。他人が自分よりできるのを見ると、心のバランスを失い、耐えられなくなり、認めようとしません」とあります。その言葉を思い出すと、人を見下すことも嫉妬心に属すると理解しました。さらに深く掘り下げると、相手の考えや行動が自分と異なり、つまり、自分の基準に合わない時に相手を変えたいというのは、共産党文化ではないかと悟りました。

 そのようにして、一連の人心が掘り出されました。心が動く時、何かが心臓を圧迫しているようで心臓が苦しくなります。執着心を見つけた時、「これは要らない、取り除きたい」と私ははっきり言いました。時間があればすぐにその人心を除去するように発正念をして、時間がない場合でも、たとえ数十秒でも、心の中で「修煉したい、これらの人心は要らない」と思い、発正念の口訣を唱えます。自分の態度が断固としている時、心臓を圧迫している重い物質は師父によって除去されたと実感できます。内に向けて探すことの真義を分かった初期に、よくそのような実感がありました。

 おそらく、その物質が取り除かれた時に心が一気に軽やかになった状態を師父は私に覚えさせるため、初期、その状態は何回も私にはっきりと感じました。心が楽になっただけでなく、その時、全身の細胞も咲いているようでした。

 またある時、師父は私を一瞬で慈悲の状態に導き、涙がこぼれ落ちました。本当に衆生は苦しんでいると感じました。

 トラブルに遭って心が動いて、心臓を物質が圧迫しているのを実感し、一問一答の形で自分に質問し少しずつ人心を識別し、「これらの人心は真の私ではない」と考えて人心を真の自分から剥がして、発正念をしてそれを除去した後、師父がその物質を除去してくれたと実感し、圧迫の物質が消えて心が楽になる。それは内に向けて探す過程です。

 そういう体験を何回も繰り返した後、内に向けて探す全過程を本当に理解できました。多くの修煉者は内に向けて探す、内に向けて探すと言いながら、実際にそれが出来ていないかもしれません。「内に向けて探す」ことは法輪大法の法理で、単なる数文字の言葉ではなくて、実際に実践に移してこそ、その真義をはじめて体験できます。

 体操をする場合は、標準の動作を見て上手に真似れば良いのですが、修煉は一種の心理活動であり、誰かの真似をするのは難しく、心を込めて悟り心を込めて感じ取り、最終的に業力がどのように消えていくかを実感することが必要です。繰り返す中で、執着心は自分自身が先天的に持っているものではないことをはじめて理解できるのです。

 修煉者はどうして心が動じるのでしょうか。人心を自分自身の身体の一部だと思い込み、それに操られて人との間にトラブルが生じ、怒って心が動じるのです。内に向けて探す過程を通じて、私を苦しめるものが実際には一種の物質、生きているものだと切に分かりました。

 2、執着心を生みやすい観念を取り除く

 多くの場合、私たちはある考えや執着を手放したくないのは、その考えがどれほど悪いかを分かっていないからです。本当に分かった時こそ、はじめて本心から除去したいと思うようになります。

 良くない考え方や感情が生じたら、随時その起因を探さなければなりません。ちょうど感情が高ぶる時にその起因を探すと容易に見えてきます。見つけたらすぐに除去すべきです。感情が表に現れた時は、それを除去する最適な機会です。そうしないと、気持ちが平穏になったら、どの執着心をどう扱うか、より難しくなります。なぜなら、感情が平静である時に執着心は表に表れないので、それを察知し捉えることがさらに難しくなるからです。

 内に向けて探すことにも段階があります。修煉のレベルが上がるにつれて、内に向けて探すことに対する理解も深まり、気づいた不足を随時探し、そして徐々により深いところまで探して、つまり、ますます小さいところから自分の不足を探すことができるようになります。

 3、内に向けて探すメカニズムを形成する

 内に向けて探すメカニズムを形成するためには、少しでも不快感、不満、自分の意にそぐわないと感じたら、すぐに内に向けて探すことが必要です。心が動じた瞬間から内に向けて探すことができれば、そのメカニズムが形成され始めます。できなければ、メカニズムを形成するのは難しいです。

 内に向けて探すことを覚えた当初、心が動いたらすぐに「なぜ今心が苦しいのか」と自問自答します。そのような習慣をつけたら、トラブルに遭うと、内に向けて探すメカニズムが自動的に作動して、自ら進んで内に向けて探す軌道に乗ります。

 ですから、内に向けて探すメカニズムを形成するためには、心が動き、良くない感情が湧いたら、その兆しが出た瞬間にすぐに内に向けて探し始める必要があります。そうでなければメカニズムの形成が難しく、かえって良くない感情が強化され、心性を守ることができず、執着心に引きずられ操られてしまい、向上できません。

 4、些細な一念でもしっかり修める

 皆さんはよく「些細な一念でもしっかり修める」と言っていますが、実はしっかりとした修煉の基礎がなければ、それはできないと思います。基礎がまだ固まっていない時、心がそれほど清浄でなく判断力もそれほどのレベルに達してなく、少し難しい局面を迎えると、その時の自分は目の前の局面を乗り越えるだけで精一杯になって、とても細かい一念まで修めることはできないかもしれません。さらに、どんなに細かい一念でもしっかり修めようという意識さえ思い出せないかもしれません。

 修煉の基礎がしっかりしている人は、忙しい仕事の中でも、常に些細な一念まで修めるよう心がけています。そのような修煉者は、内に向けて探す習慣が身についているから、一瞬の思いでも法に沿っているかどうかを見極めることができます。つまり、瞬間で反応できます。反応できないならば、まだそこまでのレベルに至っていないのかもしれません。そこから地道に内に向けて探せば、少しずつ修煉が向上できると思います。

 思いや感情がブレる時、どのように内に向けて探すのでしょうか。ふとした思いでも、その背後に人心が隠れていないかを探すべきです。例えば突然、誰かを思い出したとします。なぜその人が頭に浮かんだのか、その背後にある感情や執着を探るべきです。だいたいその人に対して恨みや嫌いなどの人心を持っています。見つけたら、それらの人心を放置せずにすぐに除去します。

 結び

 師父は『北米での巡回説法』で、「あなた個人の修煉は自分が代表している厖大な天体の中の生命を救い済度しているのです」と我々に教えておられます。真相を伝えて衆生を救うことも大切ですが、自分自身の修煉を向上させることは、自分の宇宙にいる衆生を救うことにもなります。だから、自分自身をしっかり修めることも非常に重要です。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/5/8/475899.html)
 
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