私は生体臓器収奪の難を逃れた
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 【明慧日本2024年8月3日】私は鮑学珍(女性)といいます。1950年1月18日に中国の上海で生まれました。大学卒業後、エンジニアとして国有企業に勤務していましたが、迫害時に解雇されました。現在はデンマークに居住しています。

 1995年5月、私は法輪功の修煉を始めました。元々体が弱く病気がちで、半身不随に近い状態でしたが、修煉ののち、心身ともにとても健康になりました。

 2001年6月1日、修煉を堅持したため、中国共産党(以下、中共)に不法に3年6カ月の刑を言い渡され、上海女子刑務所に収監され2004年末に出所しました。

 上海女子刑務所が2003年上半期に生体臓器収奪の施設であった悪行を暴露します。刑務所は、不法に収監されていた法輪功学習者(以下、学習者)全員に対して全身検査を行っていました。私の経験は以下の通りです。

 2003年上半期頃、刑務所は突然全ての学習者に身体検査の実施を通知しました。当時、100人以上の学習者が不法に収監されていました。私は監区の正門前に4台の大型バスが停まっているのを見ました。バスの中には、先進的な輸入医療機器が設置されていました。

 上海女子刑務所には五つの監区があり、各監区の収監者が順番に並ばされました。バスには一人ずつ乗って、検査を受けました。列には警察が監視し、バス内にも警察がいました。頭からつま先まで全て検査されました。眼科、身長、血液検査、尿検査、婦人科、超音波検査、心臓、肝臓、肺、腎臓などすべてです。採血に使用された管は非常に太い、大きな管でした。

 当時、私が超音波検査を受けているとき、検査医が少し驚き、すぐに数人の医師と警察を呼んで周りに集まり、ひそひそと話し合っていました。医師たちが「この部位はどう感じますか?」と尋ねるのが聞こえました。私が「何も感じない」と答えると、医師と警察は黙り込み、お互いを見合わせました。

 学習者が100人以上いたため、この行動は上海女子刑務所で数日間続きました。専門管理大隊の警察官である史蕾は皮肉を言いました。「見てごらん、政府はあなたたち法輪功(の学習者)にどれだけ良くしているか。あなたたち一人ひとりの全身を検査をしてあげているのよ。法輪功だけがこの『待遇』を受けられるのよ。他の人たちにはない。私たち警察官でさえ受けられないのよ」

 当時収監されていた私たちは、生体臓器収奪のことをまだ知りませんでした。身体検査の後、上海で逮捕された地方出身の人々の中には、名前がなく番号だけの人がいて、その後姿を消しました。私たちはこれらの人々が別の場所に移送されたと思っていましたが、後になって殺された可能性があることを知りました。

 全員の検査後、数日も経たないある日の午前中、警察が突然私を呼び出し、「眼の検査に連れて行く」と言いました。私は不思議に思い、「なぜ眼の検査に連れて行くのか」と尋ねました。私の眼はとても良好だったからです。警察は、「あなたが眼の検査を希望したのではないですか?」と言いました。私は「いつ眼の検査を希望したと言ったのですか? 私の眼はとても良好です。なぜ検査する必要があるのですか? 私が誰に検査を希望したと言ったのですか?」と反論しました。警察は黙り込みましたが、それでも強制的に私を刑務所の正門まで連れて行き、警察の車を待たせました。

 車はなかなか来ませんでした。待っている間、私は「なぜ私に眼の検査をさせるのですか? 私の眼に問題はありません」と繰り返し尋ね続けました。警察は終始黙ったままでした。しかし、約20分ほど経っても車は来ず、結局警察は仕方なく私を監房に戻しました。

 海外に渡ったのち、私は親戚を装って中国の病院に電話をかけて(臓器移植に関する、おとり)調査をしました。電話の録音もあります。

 2015年上半期、私は腎臓病患者の家族を装って、台州病院に電話をかけ、臓器移植について問い合わせました。台州病院の職員は「臓器移植については呉松江(音)医師を探すように、呉松江医師は移植の専門家だ」と答えました。

 また、上海や浙江大学医学院でも移植ができると教えてくれました。そこには臓器資源がたくさんあり、さらには「法輪功の臓器があり、非常に短時間で適合し、すぐに手術ができる」とのことでした。

 実際私は二度、生体臓器収奪の大災難を逃れました。神仏と師父が私を守ってくださったのだと思います。私は全世界に伝えたいです。中共による学習者からの生体臓器収奪は確かに存在します。全世界に注目するよう呼びかけ、中共の反人類的な悪行を一刻も早く止めさせるよう訴えていきます。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/21/479912.html)
 
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