文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年8月13日】私は1996年、悲しみと人生の絶体絶命の中から大法の修煉を始めました。師父に直接お目にかかったことはありませんが、師父がいつもそばにいてくださることを真に感じました。同様に、私は師父から真に修煉する弟子に与えられたすべてを得て、魂と体が浄化され、終わりに近づいていた命が延長されただけでなく、20年以上にわたり多くの神秘的で超常現象を体験し、人生観と世界観が完全に変わり、永遠に病気と医薬から遠く離れ、二度と無神論、唯物論、進化論に惑わされないようになりました。
今、私は神の道をしっかりと歩んでおり、健康で自在に生きていて、家庭は幸せに満ちていて、そして私の周囲の多くの親友や家族にも影響を与え、皆さんの善良な人間性が蘇り、神、佛の存在を信じ、師父の慈悲と偉大さを感じ、大法の恩恵に感謝し、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と感謝の念を抱いています。
一、窮地に陥り、悲しく絶望した
私は36歳の時、仕事中に足を負傷し、次第に歩くのが困難になりました。いろいろな治療を試みましたが効果はありませんでした。その後、友人の紹介で、ある年配の女性がやっているマッサージを受けることになりました。彼女は「完治させる」と言いましたが、数日後に大問題が発生しました。彼女の家でマッサージを受けている最中に突然激痛が走り、大量の汗をかき、耐えられずに叫び声をあげました。年配の女性と彼女の「弟子」は無免許で医療を行っており、驚いて何もできず声も出せませんでした。6、7時間後、別の人がマッサージに来て、私の友人を呼んで急いで私を病院に送りました。医者は骨肉腫と診断し、大腿骨の病変部分が完全に腐った桃のようになっており、関節包が壊れた卓球ボールのようで、治らない病であるため入院を拒否されました。私は医者に他の病院で治療を求め、「こんな大きな国に私の病を治すところが必ずある」と言いましたが、医者は「この病気は全国どころか全世界でも治せない」と断言しました。仕方なく友人は私を家に送ってくれました。
勤務先の医務室の医者が鎮痛剤を注射してくれましたが効果はなく、一晩中叫び続け、近隣の人たちは私の叫び声に耐えられませんでした。翌日、同僚や友人は奔走して、いろんな人に頼んでやっと私を病院に入れました。
またいくつもの困難を経て、勤務先の上司が「すべての責任を負う」という書類にサインした後、医者はついに手術を承諾しました。その病院は私のような患者を受け入れたことがなく、このような手術を行ったこともないので、当日、すべての整形外科医と研修医が総出で、私を実験台とし手術を行いました。彼らは私が手術台で死ぬだろうと予想していました。
驚くことに、私は死なず、一度死にかけた後、救われました。手術後、私は足の裏から胸まで石膏で固定され、2年間ベッドに横たわっていました。その間、石膏が壊れるたびに2回交換され、毎回体温で乾かすしかなく、湿気はひどいものでした。
さらに困ったことに、家に帰って1週間もしないうちに、足に埋め込まれた金属製のプレートが骨髄内で折れ、再び死にかけました。言葉に表せない多くの苦痛を経て、再び生き返り、座ること、立つこと、杖を使って歩くことを再びできるようになりました。そして、1996年までなんとか生き延びました。
その間の生活の窮状は言うまでもなく、毎月の給料は家族の最低限の生活費以外、すべて医療費に使いました。収入は不足し、常に借金をし、娘に新しい服と靴を買うこともできず、他の子供のお下がりを着せました。娘は絵を習いたがっていましたが、私は30元の授業料すら払えず、諦めるしかありませんでした。
大量の薬を飲んでいたため、1996年には食べられず、話せず、歩けず、見えず、薬は体に全く効果を示さなくなりました。胃腸の働きが悪く、下痢や便秘に苦しみ、常に風邪をひき、心臓は狂ったように動悸し、目は乾燥し、激痛に襲われ、めまいが頻発しました。1996年5月、家族の生活を支えていた夫がついに過労で倒れ、突然の脳出血で半身不随になりました。私はこれからどのように生きっていくでしょうか!
病院に行くと、医者は驚いて「私たちはあなたがすでにこの世にいないと思っていました。同じ病気の他の患者は手術後全員亡くなりました。彼らはあなたより体力がありました。それなのに、どうしてまだ敢えて出てくるのですか? この病気は全世界に治った例がないんです」と言いました。私は再び絶望に陥り、家に帰って泣きながら子供たちに遺言を残しました。私は泣き、子供たちも泣き、一家全員が泣き崩れました。
二、幸運にも大法に出会い、新たに生まれ変わった
多くの人は私が死にかけていることを知り、見舞いに来てくれ、慰めと別れの言葉をかけてくれました。私は自分の死を避けられないことを理解し、恐怖を感じながらも、現代医学がこれほど進んでいるのに、私の病気を治せず、少しの希望も与えてくれないことに絶望しました。
ある日、娘は「友達(私の元生徒)は私が泣いているのを見て、「泣かないで、私には方法があります」と言ったと言いました。私はそれがとても不可能な話で、この友達はこんなに若く、医者でもないのに、何の方法があるのでしょうか? ただの慰めの言葉だと思いました。
娘の友達がやはり見舞いに来て、『轉法輪』という本を持ってきてくれました。しかし、私は目が痛くてほとんど見えず、この本が私の病気とどう関係があるのかもわかりませんでしたので、特に興味を持ちませんでした。
ある日、娘のこの友達が功法を教えてくれました。すると、下腹部に何かが回転し始めるのを感じ、非常に明確で、さらに「シャシャ」という回転音まで聞こえました。
その人はまた、数人を呼んで私を学法点に連れて行きました。最初は皆が私を持ち上げて座らせてくれましたが、数日後には自分で座れるようになり、歩くことができるようになりました。心拍も正常に戻り、話すのも問題なくなりました。
約1カ月後、学法点に行ったとき、何気なくメガネが地面に落ち、片方のレンズが割れてしまいました。それは私が新しく作ったばかりのメガネで、お金がないため、新しい眼鏡を作ることもできませんでした。友人は「かけてもかけなくてもどうせ同じだから、もうメガネをかけないで、かけたら余計なものになるじゃない」と言いました。それ以来、私はずっとメガネをかけず、目も徐々に良くなり、視界が二重に見えることもなくなりました。
私は同修から『法輪功』という本を借り、その中に書かれている法理がとても素晴らしいと感じました。心の底が突然明るくなり、貪るように読み、書き写したりし、また1冊を全て書き写し、これを3、4回行いました。次に私は『轉法輪』を書き写し始めました。その時、「少なくとも10回で『轉法輪』を書き写そう」と思いました。その後、中共の迫害が始まりましたが、10回書き写す前に私は『轉法輪』を暗記し始めました。『轉法輪』を心に刻んで、誰にも取り去られないようにしようと思ったのです。
何日もぐっすり長い眠りを経て、さらに三日三晩目と頭の激痛があり、当時はこれが業を消すことだとは理解していませんでしたが、あれこれ考えた末、「煉功の道しかない、お金もかからないのだから」と思いました。四日目に私は妹に頼んで私を支えてもらい濱江路の煉功場に行き煉功をした後、とても良い感じがしました。第三功法「貫通兩極法」を煉習している時、腕が何かに支えられてるようで宙に浮いているように感じました。
このようにして、私は目の痛みもなくなり、足の痛みもなくなり、メガネと杖を捨て、歩くのも軽快になりました。なんて健康で自由で幸せなことでしょう!
私は生ています。私はもう死ぬことはありません。20年以上の間、元気で生きており、薬を一粒も飲まず、医療費も一銭も使っていません。風邪さえひかなくなりました。人々は私の年間医療費報告書を見て驚き、医者も「それは全く不可能なことだ」と言いました。しかし、私の病は本当に治ったのです。
一冊の本は私の運命を変えました。法輪大法は本当に人を生き返らせることができるのです!