【慶祝513】農村のおばあさんの「壮年期の人生」(二)
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文/中国の大法弟子(本人が口述し同修が整理)

 (前文に続く)

 【明慧日本2022年10月20日】すべてのものには魂があり法のためにやってきた。

 師父は「どんなことも偶然ではなく、多くの高次元の生命が下りて転生し、大法と縁を結びたいと思っていますが、人間も輪廻転生していて、人数と人間の皮が限られており、これ以上増えると、地球が収容できなくなるため、動物や植物に転生した高次元生命がいます。人類の生命の多くはただの人ではなく、普通の生命ではありません」 [2]と説かれました。

 農村では、どこの家庭でも鳥や家畜を飼っていて、私の家もそうでした。私は大法を修め、師父は殺さず飼わずの法理を説かれたので、息子と息子の嫁には鳥や家畜を飼育させないようにしていました。私は殺生をしないし、彼らにも殺生をさせたくありませんでした。しかし、全く聞く耳を持たないので、私は「彼らは常人だから育ててもいいだろう」と思いました。

 ある時、息子の嫁が何羽ものガチョウを飼いました。ある夜、私は「私の家の庭に『働かせてほしい』と言う人たちがやってきた」という夢を見ました。目が覚めてから、このガチョウたちはきっと人間の生まれ変わりで、救われるために私の家に来たのであり「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」ということをガチョウたちに覚えさせなければならない、と思いました。

 またある時は、息子の嫁がたくさんのひよこを捕まえて飼ったのですが、みんな白かったので、私はひよこたちにも真相を伝えました。2羽のひよこは喉の調子が悪く、オーオーという鳴き声を繰り返していたので、私は2羽のひよこを取り出して箱に入れて脇に置いておきました。

 夜、寝た時に「2人の少女が私の家に来て『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』と書かれた年画(訳注:正月に玄関口に飾るもの)の壁の下に立って、私に『私たちは2人とも出発します、明日には出発します』と言った」という夢を見ました。翌朝、この2羽のひよこは死んでいました。考えてみれば、夢の中の2人の少女は、転生した後、私の家に法を得て修煉しに来た2羽のひよこだったのでした。

 「このおばあさんはすごい!」

 私は息子と一緒に暮らしており、農作業と家事をこなしながら、修煉者の基準に基づいて自分を律し、気持ちは穏やかで、決して文句を言ったことはありませんでした。私は心性をしっかり保っているからこそ、お金や名利を淡白に見ており、体には超常的な状態が現れ、どんなに農作業が大変でも、疲れたことはなく、身軽に感じました。

 息子の嫁と一緒に畑仕事をしていると、息子の嫁はしばらくして疲れたのか、私に「お義母さん、ちょっと休憩して、何か食べましょう」と言いました。私は「働き始めてから少ししか経っていないのに休憩ですか、あなたは休んでいてください」と言いました。息子の嫁は休憩しに行き、私は一人で作業しました。家に帰ると、息子の嫁はベッドに横になって「本当に疲れました! 疲れちゃってどうしようもありません」と言いました。息子の嫁は常人で、私は修煉者だと思ったので、家に帰ったら息子の嫁に何もさせず、どんなに忙しくても私は早起きして料理や家事をしました。

 畑で作業している時は、いつも法を暗記し『洪吟』を暗記し、法の中に自分を溶かし込むと、超常的な状態が現れました。ある時、トウモロコシを植えるためにトウモロコシ播種機(はしゅき:野菜や穀物などの種まき機)を押していたのですが、トウモロコシ播種機は丸い車輪が回り、人が押して種まきをしていました。私の畑は傾斜がきついので、坂道を押すにはかなり重かったのです。そこで「これはいつになったら種をまき終えるのか? まだ私は法を学ばなければならないし、やることもある」と思いました。そう思った途端、急にトウモロコシ播種機が軽くなり、走るスピードが速くなり、私はトウモロコシ播種機をしっかりとつかみました。それを押しながら進みましたが、そうしないとついていけませんでした。

 息子の嫁は若いのですが私より太っていて、押す順番が来ると押すのに苦労し、疲れ果てて帰ってきました。私の夫は息子の嫁に「お母さんの押すスピードがかなり速いようですが、なぜその年齢でお母さんのようにスピードが出ないのですか?」と言いました。息子の嫁は「お義母さんは大法を学んでいるからなのではないですか、お義母さんは押しながら軽いと言い、疲れませんが、私が押すと重くなります」と言いました。

 最初の頃、私の家族は畑を持っておらず、土地も少なかったので、私は働きに出て、私はどこに行ってもよく働くので、いつも雇い主は私を使い、他の人は使いませんでした。私は仕事をごまかさず、気立てがよく、仕事の早さや上手さを雇い主たちが知っていたからこそ、喜んで使ってもらえたのでした。私はどこに行っても、大法の素晴らしさを言葉と行動で伝えて実証し、衆生も大法の素晴らしさを認めました。

 その後、息子が水田を請け負ったので、私たちの家の仕事が増えました。私の夫は病気で働けないので、息子と息子の嫁と3人で一緒に農作業をし、人を雇うことはありませんでした。

 春、稲の苗を育てる時、息子の嫁は稲を干す棚のところに坐って稲架(はさ)に土をかけ、私は地面にしゃがみ込んで稲架を並べ、一つの稲架を一気に並べ終えても、全く疲れることはありませんでした。春に稲の苗を植える時、まず地面に水を張り、水に浮いた稲の根や草を水田から回収しました。我が家も以前、男性労働者を雇って草刈りをしたことがありますが、広い土地で1日~2日以上かかっても、きれいに刈り取れず、その後、草刈りは自分で行い、1ムーの水田を午前中1回で終わらせました。10ムーの水田の稲の根や草をすべて自分で刈り取ることができ、疲れを微塵も感じませんでした。

 秋には稲刈りの後、稲を干さなければならないので、10ムーの土地に1束ずつ干して束にしていきました。他の家では何人かで協力して稲を干さなければならないので、とても疲れますが、我が家では1人で干せるので、疲れることはありませんでした。他の家の人たちはみな感動して「このおばあさんは本当に何でもでき、すごすぎる!」と言いました。

 我が家にはまだ4.5ムーの山地があり、すべて接ぎ木の赤松が植えられていました。水田と乾田を作るのに忙しく、山地には雑草がびっしりと生え、遠くから見ると大きな湿原のようで、ぱっと見では端っこが見えませんでした。息子夫婦は恐れをなして、その土地も、そこに植えられた松の苗木もそのままにしてしまいました。私は「だめだ、片付けなければならない」と思い、農閑期は毎日、早起きして電動自転車で山地に行って草刈りをし、私は仕事をしながら法を暗唱し、不安や疲れを感じず、ついに4.5ムーの山地でようやく雑草を刈り終え、松の苗木が見えてきました。人々はみな「おお! この水田の作業を見ているとめまいがするのですが、このおばあさんは全部一人でやってしまい、すばらしい労力に感動します」と言いました。また、隣の人が「何ですか? 1人分の労力ですか? どう見ても 2人分のすごい労力ですよ!」と言いました。

 村人はみな、私が法輪功を修煉しているからこそ、とても有能で、こんなにも超常的であることを知っていました。

 衆生を救い済度する

 我が家は畑が広く、毎日畑仕事をしているので、出会った縁のある人には法輪功の素晴らしさを伝えています。私はどこに行っても、人の身になって考えて行動しました。自分の田んぼの水を抜く時は、隣接している耕地の水の見張りをしたり水を抜いたりするのを手伝い、食事の時は挨拶をして隣接している耕地の人を食事に誘い、持ってきたご飯をその人にあげました。そして法輪功迫害の真相を伝え、三退させました。後日、私を見た隣接している耕地の人は、遠くから挨拶をして、一緒にいる人たちに「このおばあさんは仕事ができて、心が優しいです」と言いました。私はその機会に、隣接している耕地の人と一緒にいる人たちに法輪功迫害の真相を伝え、三退を勧め、大法のすばらしさを実証しました。

 ある日の昼間に一軒一軒、資料を届けに行くと、ある人が「よくもまあ、白昼堂々とこれを配りますね」と言いました。私は「私は急いで人を救っているのです!」と言いました。私はこれまで、家の仕事の多さに左右されることなく、法を実証することを止めたことはありませんでした。

 私は各戸を回って村の人々に法輪功迫害の真相を伝え、特に村長に資料を送り、三退を勧めたところ、村長は大法を認めました。認めない人には、私が資料を送ったので、彼らは資料を読んで「なんとこういうことだったのですか! 資料に書かれていることには道理があります」と言いました。三退すべき人には、できるだけ説得して三退させました。

 近くの周辺の村では、一軒一軒法輪功迫害の真相を伝え、資料や卓上カレンダーを村人に送り、近隣の村人たちは皆、大法がすばらしいと認めました。

 また、山や畑で働いている人、来客者、廃品回収の人など、普段すれ違って出会った人にも法輪功迫害の真相を伝えました。

 ある時、村役場の人が融資の申し込みに私の家に来て、ドアの枠に貼ってある「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」のシールを見て「なんでまだこれを貼っているのですか? ご家族の中で法輪功を修煉している人がいるのですか?」と尋ねました。私は「私が修煉しており、私は以前全身病気ではありませんでしたか? 本を読んだだけで、元気になりました。大法はとても素晴らしいもので、真の佛法です」と言いました。村役場の人たちは「それは本当ですか?」と質問しました。私は「本当のことです、私自身が体験しました」と言いました。村役場の人たちは「いやー、それなら本当にすばらしい!」と言いました。

 結び

 師父は、小僧は火をおこしてご飯を炊いて、とても苦しくとても疲れるという法理を説かれました。私はこんなにも長年修煉し、師父のお言葉に耳を傾け「法の中に溶け込む」 [3]してきました。ずっと重労働の農作業が多いのですが、疲れるどころか苦しいと感じることさえないのは、法がすべてを制約しているからでした。中国での大法に対する厳しい迫害の中で、私の家の中も外もすべて平和でした。

 どこへ行っても、周りの村人たちに私は「このおばあさんを見てください。大法を学び、2人分の働き盛りの労力を出すことができるなんて、本当にすごいことですよ!」と言いました。人々はみな、私が本当に仕事ができる人だと言い、私がこんなにすばらしい体になるまで修煉できたのは、法輪功を修煉したおかげだということを知っていました。村人たちは私の言動の中に、大法弟子としての素朴さと善良さを見ました。師父の弟子になることができてよかったと思います。私が持っているものはすべて師父からいただいたものであり、師父への感謝の気持ちは千の言葉でも言い表せないほどです!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『オーストラリア法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子は必ず法を勉強しなければならない」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「法の中に溶け込む」

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/28/442270.html)
 
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