【慶祝513】 捨て子から神童へ(1)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年10月14日】本文章は2017年12月に取材したものです。これは住居を追われた大法弟子の家庭の物語であり、また、堅忍不抜の何千もの大法弟子一家の家庭の縮図です。私はこの文章で、法輪大法が世界に広く伝わり30周年を迎えるにあたり、大法の奇跡と威徳を証明し、称賛したいと思います。

 以下は、大法の子供弟子である浄蓮ちゃんと浄蓮ちゃんの母親が口述したインタビューの記録です。

 浄蓮ちゃんの「夢」

 みなさん、こんにちは! 私は大法の子供弟子で、8歳(2017年)になる浄蓮です。私には、小さな家と大きな家の2軒があります。私の小さな家の家族は、祖母、父親、母親、妹、私の5人ですが、大きな家の家族は世界中の大法弟子で構成されており、家族も世界中におり、大きな家の家族は皆、私の親戚です。

 私の夢は英語を学びたい、英語版の大法書籍を読みたい、明慧学校に行きたい、飛天大学に行きたい(私は比較的足が長い)ことで、特に神韻のお姉さんたちがうらやましいです。毎年お正月に「神韻」を見るのが楽しみです!

 浄蓮ちゃんの母親「浄蓮との物語を話します」

 以下に、浄蓮ちゃんの母親が自分の家で起こったことを話します。

 1. 浄蓮の来歴

 私が19歳のある日、看護婦だった母が小さな段ボール箱を持って慌てて帰ってきて、私に探りを入れながら「お母さんのしていることが、正しいかどうかわかる?」と尋ねました。私は不思議に思いながら、母が消毒用の布を開くのを見ていました……。なんと! 中には小さなミートボールのような、くしゃくしゃの赤ちゃんが入っていました。母は捨て子だと言いました。私は「いつだって、命を救うことは間違っていません」と言いました。私の言葉を聞いて、母はほっとしたように微笑みました。母は赤ちゃんに水を少し飲ませ、私に渡して、急いで仕事に行きました。

 19歳の私はまだ大きな子供で、新生児を見たこともなく、ましてや生後1カ月未満の赤ちゃんは子猫のようで、私は少し怖くなりました。怖がりながらも、母が仕事から帰ってくるまでの1時間くらい、頑張って赤ちゃんを見続けました。

 帰ってきた母は「母親の胎内にいた浄蓮は生後29週にも満たないとき、浄蓮の母親は、浄蓮を手放す決心をした」と話してくれました。浄蓮の母親は私の母が看護師をしていた個人クリニックに来て「レバノール」という薬を使って陣痛を誘発したところ、まるで蔓の上の未熟な瓜のように、浄蓮は半ば強引に生まれてきました。こうして生まれた赤ちゃんは、強制的に母親から引き離され、死を宣告されることと同じでした。

 私の母によると、生まれた時、浄蓮は何度か小さな足を動かしましたが、泣き声を上げることはできなかったそうです。その後、この小さな浄蓮はゴミとして黒いゴミ袋に詰め込まれました。胎盤、血液、ガーゼなどのゴミもこの医療用ゴミ袋に詰め込まれました。ゴミ袋は、手術室の冷たいコンクリートの床に投げ捨てられました。医師たちは昼休みを取り、昼食と休憩のために帰っていきました。

 それから3時間以上経って、ゴミ袋の中から泣き声が聞こえてきました。出産を担当した医師は、泣き声がだんだん大きくなってきて目が覚めました。その医師は非情な医師ではなかったので、赤ちゃんを殺してはいけないと思い、輸液室に行って院長に電話し「浄蓮を処理する」ために人を寄越してもらいました。

 その時、私の母は輸液室の当直看護師だったので、医師について手術室に行き、まさに「処刑」されようとしているこの捨て子を見ました。黒いゴミ袋を開けた時、法輪大法の修煉者である母は、かわいそうな捨て子を見て、不憫に思い、すぐに師父が説かれた「殺人や放火事件を見て見ぬふりするのは、心性の問題です。そういうことをしながらどうして自分が良い人だと主張することができるでしょうか? 殺人や放火事件にさえ手をこまねいているとすれば、どんなことならあなたが手をこまねかないのでしょうか?」[1]を思い出しました。

 母は「殺生の悲劇を見過ごすわけにはいかない、私が保護しなければならない」と思いました。捨てられた赤ん坊の運命は、その後、変わっていきました。母は、医院長の許可を得て、消毒用の布(浄蓮がそれまで守られてきたもの)を見つけて、それを赤ちゃんに巻き、段ボール箱に入れ、母は、仕事を30分ほど休んで、捨てられた赤ちゃんを私たちの住居に連れてきました。

 その日から、私は未婚のまま捨て子の「母親」になりました。捨てられた赤ちゃんには「浄蓮」という素敵な名前をつけました。

 母や私の状況について詳しくお話します。法輪大法の修煉を放棄しなかったため、母は家族、仕事、家、お金を失い、私は父と学業、そして神童としての大学進学の夢を失いました。私たちは2人とも南部に出稼ぎに行かざるを得ませんでした。私たちはまだ落ち着いたばかりで、経済的にも余裕がなく、子供を養う条件などまったく備えておらず、こんな小さな子供を育てることになるとは、夢にも思っていませんでした。しかし、私たちは真・善・忍を修煉する法輪大法の弟子ですから、最終的に、すでに養子になっているのだから、一日一日養っていこうということになりました。もし信頼できる人に出会ったら、もう一度子どもを送り出そうということになりました。

 2. 浄蓮の養子縁組を切望する声が相次ぐ

 浄蓮は、命を保つための保育器には入れず、私たちに経済的な余裕はありませんでした。破傷風の注射のほかは、何の薬も与えませんでした。しかし、奇跡的に浄蓮は生き延びました。

 気がつけば、浄蓮は生後1カ月になり、体重は2キロ弱になっていました。生後3カ月の浄蓮は、大きな目、二重まぶた、美しい白い顔をしていて、とても甘えん坊で愛嬌があり、誰からも人気がありました。

小さい時の浄蓮ちゃん

 最初に浄蓮を欲しがったのは、法輪功修煉者の親戚で、2人の息子がいて女の子を欲しがっていた商売をしている人でした。その親戚は浄蓮を大変気に入り、母に数万元渡すことを約束しました。しかし、結局、私たちはその親戚に赤ちゃんを渡したくありませんでした。その親戚は断念せず、数カ月間も私たちを悩ませ続けました。浄蓮を欲しがった2人目は、医院の外来診察部門の責任者でした。3人目と4人目は……。結局、浄蓮の養子希望者は、全部で10人以上いました。

 母と私は、浄蓮の面倒を見るために時差出勤しました。私たちは、浄蓮の面倒を見る余裕がなくなったら手放そうと考えていましたが、それはできませんでした。事情を知っている人は何でも言いますが、大半は「お金がかかる」、「大変だ」と子育てを引き続き支持してくれず、事情を知らない人は、なおさら気軽に議論してきました。しかし、どんなに圧力や苦労があっても、私と母はいつも浄蓮を我が子のように扱っていました。

 3. 大法の導きのもと 知恵が開いた

 浄蓮が1歳の時、私は結婚し、夫と一緒に外の街で暮らすことになりました。私の母(浄蓮の祖母)と子ども(訳注:私)は、お互いに支え合って生きてきました。浄蓮が2歳の時に私は子供(浄蓮の妹)の出産を控えており、私の母は仕事を辞めました。当時、私の夫(浄蓮の父親)は大法を修煉しているとして中国共産党(以下、中共)に不当に刑務所に拘禁され、私は帝王切開で出産し、母は長女(訳注:わたし)、真ん中の子供(訳注:浄蓮)、そして一番下の子どもの3人の面倒を見なければなりませんでした。その頃は、私たち家族にとって、あらゆる面で非常に困難な時期でした。

 ここ数年、浄蓮の戸籍の問題を解決するために、一家はあらゆる行政組織を回りましたが、現在(訳注:2017年)でも解決策は見つかっていません。中国では、戸籍なしではにっちもさっちもいかず、通学はもちろんのこと、電車にさえ乗れませんでした。戸籍がないため、浄蓮は学校にも行けず、独学で勉強するしかありませんでした。浄蓮がどうして読み書きができたか、想像できますか? 浄蓮の手ほどきは法輪大法からで、1歳の時から家で1人で大法関連のビデオを見たり聞いたりして、知性と知恵を開花させました。

 3歳の時、浄蓮は祖母(訳注:私の母)から貴重な書籍『轉法輪』の暗唱を教わり、すぐに字が読めるようになりました。浄蓮は、言葉を認識するのがとても速く、4歳にして『轉法輪』を読めるようになりましたが、それは繁体字の『轉法輪』でした。厳密に言えば、浄蓮は私の家に来た最初の日から、師父の説法の録音テープを聞き、大法音楽を聴き、祖母(訳注:私の母)や母親(訳注:私)が法を読むのを聞いていました。

 浄蓮は3歳の頃から『洪吟』を繁体字で読んで暗唱することができました。浄蓮は師父の各地での説法をたくさん読みましたが、完全に理解しているわけではありませんでした。浄蓮が毎日できたのは『轉法輪』の半講を読むことだけでした。ある時、2日間で『轉法輪』を五講もも学んだことがありました。法を学んでいる時は、いつも結跏趺坐をして、小さな大人のように『轉法輪』を手に持って読んでいました。古い同修たちは、浄蓮の法の読み方は「発音は正確で調子はなめらか」だと褒め「読み違いがない」と褒めました。現在(訳注:2017年)、浄蓮は『轉法輪』を暗記し始め、第一講を終えるまであと数段のところに来ています。

 浄蓮は坐禅の時間も長く、通常1時間坐禅し、短時間で入静することができました。集団学法では浄蓮は基本的に両足で結跏趺坐をして、やることがなくて暇つぶしに本を読む時でも結跏趺坐を組むのが好きで、足の痛みの関はとっくに突破し、2時間、3時間続けても足が痛くなることはありませんでした。父親が刑務所から戻ってきた後、落ち込んで煉功に消極的になっていました。ある時浄蓮が坐禅しているのを見ると、父親も黙って坐禅し、両足を腿の上に乗せて煉功しました。浄蓮の6歳の妹も足を組む関を突破し、1時間結跏趺坐ができることもありました。一度、姉(訳注:浄蓮)が法に則っていないところを見て、妹が端的に指摘したことがあり、2人の子供弟子は、心を修めることができました。

 浄蓮は1日2回、毎日正念を発しました。ある時、正念を発する中で、浄蓮は獅子の頭を持ち、スーツを着た大魔王を見ました。浄蓮が蓮花手印を結ぶと、大きな蓮の花から銃と剣が飛び出し、大魔王が溶けて水に変わったのが見えました。

 浄蓮は内に向けて探すことが不足しており「毎日五式の功法を一度に習得できていないので、これから努力しなければなりません!」と言いました。また、大人と一緒に真相資料を配りに2回ほど出かけましたが、心の中で恐れており、やはり恐れる心を取り除かなければなりませんでした。

 この8年間、子供弟子の浄蓮は師父の慈悲深い佛光を浴びながら、一度も薬を飲まず、一度も予防接種を受けず(破傷風の注射は除く)、病業に苦しめられている時も、正念で対処することができました。家族はみな、浄蓮をとても愛していました。

 祖母(訳注:私の母)によると、浄蓮は8歳の時、小学校3年生のレベルの読み書きができたそうです。浄蓮は現在(訳注:2017年)、午前中に法を学び、煉功を行い、午後は一般教養を勉強しています。もちろん、子供はいたずらをすることもありますが、私の母の厳しい教育により、変異した文化、常人のテレビ、ゲームや携帯電話から遠ざけられ、そして法輪大法のエネルギーの中、汚染が少なく「洗脳」されず、浄蓮はこんなにもよくできるのでした。

 浄蓮は、明慧ネットにある動画や電子書籍、小冊子をたくさん見たり聞いたりしていました。浄蓮は読書が大好きで、特に歴史物語が好きでした。師父の法の中に出てくる歴史的な話をほとんど読みました。四大名著(訳注:『三国志演義』、『水滸伝』、『西遊記』、『紅楼夢』)のうち『紅楼夢』以外の3冊はすべて読破しました。『水滸伝』は5日間、『三国志演義』は7日間(注:オリジナル版ではなく、海外からの短縮版と思われる)で読み終わりました。恥ずかしながら、浄蓮が読んだことのある本の多くが、幼少期に神童と呼ばれたこの母親の私でさえ読んだことのない本でした。

 浄蓮の話を聞いて、あるおばさん同修が訪ねてきて、私たち家族を食事に招待してくれました。おばさんは浄蓮が自分でレシピを書いているのを見て、その文章を褒めましたが、浄蓮自身は書き方が汚いと思っていました。繁体字を読むことが多いので、浄蓮が書く文字も繁体字が多かったからでした。ある時、高校で学んでいる男性が、浄蓮が自分より多くの繁体字を知っていることが信じられず、競い合ったことがあり、結局、男性は納得することになりました。

 私がここで話しているのは自慢するためではなく、浄蓮が大法の中で知恵と叡智を開いたという事実を述べています。もし大法の救い済度がなかったら、知恵を開くことはもちろんのこと、苦しい運命にあった浄蓮はとっくに西方浄土へ旅立っていた(訳注:亡くなっていた)ことでしょう! 私の母親は「浄蓮は私たちの子供であるだけでなく、師父の子供弟子でもあり、大法を修煉するために浄蓮は生き残ったのです」と言い、浄蓮自身も「私は必ず師父と一緒に本当の家に帰ります!」と言いました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 (続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/27/444123.html)
 
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