文/遼寧省の大法弟子が口述 同修が整理
【明慧日本2024年12月26日】私は遼西省の農村の大法弟子で、今年で65歳になります。1997年に大法の修煉を始めました。この20年以上の間に、私は多くのことを経験し、師父は常に私のそばで見守り、導き、励ましてくださいました。ここでは、私が修煉中に体験したいくつかの不思議な出来事を述べ、師父への無限の感謝の気持ちを表したいと思います。
病をきっかけに修煉を始めて、神跡を見る
修煉を始める前、私は腰椎の損傷で寝返りを打つことや起き上がることができず、夫の助けがなければ寝返ることもままならない状態でした。また、気管支炎がひどく、常に胸の圧迫感や咳、喘息に苦しみました。痰には血が混じり、咳が激しく出てしまうと度々寝具や衣服を濡らしてしまいました。夏場は少し楽になるものの、冬になると咳が止まらず苦しみました。それだけでなく、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、腎結石といった治りにくい慢性病にも悩まされており、病気の苦痛で生きるのが辛い日々を送っていました。
1997年の初め、姉が電話してきて「法輪功という気功があって、あらゆる病気を治せるんだよ」と言いました。私は病気を治したい一心で、子供を連れて約25キロ離れた姉の家に向かいました。
その時、姉も大法の修煉を始めたばかりで、大法を広めている周さんという同修が姉の家に来ていました。周さんは「法輪功は本当に素晴らしいですよ。病気を治し健康を増進するのに驚くべき効果があります」と言い、私たちに動功と静功の功法を教えてくれました。また、私に煉功用の音響機器を一つ贈ってくれました。私は姉の家で5日間修煉を学びましたが、その間に体調が本当に良くなりました。
家に帰ってからは、毎日音楽を流しながら煉功を続けました。毎回煉功が終わると全身汗だくになり、立っていた足元の床は汗で輪のように濡れていましたが、体はとても快適に感じました。
3~4日ほど経ったころ、第二式の功法の「頭前抱輪」を行っているとき、口の中で何かが膨らんだり縮んだりしている感覚がありました。まるで中に球があって、出たり入ったりしているような感じでした。その膨らみがどんどん大きくなり、口が限界まで開いた瞬間、突然黒い丸い物体が口から飛び出しました。私は目を閉じた状態でそれがはっきりと見えましたが、目を開けると何もありませんでした。周りを見回しても何もなく、「確かに口から出たのに、どこに行ったのだろう?」と不思議に思いました。
後になって分かったのは、それは別の空間の物質であり、目を閉じているときに天目が開いて見えたけれど、目を開けると常人の視覚では見えなくなるということでした。それは師父が神跡を見せて私の業力を消し去ってくださったものであり、修煉を続けるよう励ましてくださったのです。その出来事をきっかけに、病気がすっかりなくなり、体が軽くなりました。仕事にも活力がみなぎり、歩くと風が吹くように感じるほどでした。
村の人々や近所の人たちは、私の体調の変化を目の当たりにして驚きを隠せませんでした。そして次々と私の家に来て、法を聞き、功を学び始めました。
私の家は村で最初で唯一の煉功拠点となりました。毎晩7時から9時の間、皆が自発的に集まり法を学び煉功をしました。多い時には20人以上が集まりました。
人々の間に広がり瞬く間に伝わりました。「法輪功は病気治療に驚くべき効果がある」という言い方が広がり、5キロや10キロ離れた地域からも功を学びに来る人が続出しました。あの時期は今でも忘れられません。村の中で恩恵を受けた人は数え切れないほどいました。例えば、私の家の裏庭の近所の人は、修煉を始めたころ、煉功すると山の付け根の部分に小さな金色の仏像が見えると言っていました。その現象はしばらく続いたそうです。また、多くの同修が私の家で法輪が回っているのを見たと言っていました。功を学びに来た人々の多くは病に苦しんでいましたが、法を得た後には病魔が静かに消え去り、人々は病気から解放された喜びに満ち溢れていました!
修煉を始めた当初、私は単純に病気を治して健康を手に入れたいと思っていただけでした。しかし、学びを深めるうちに、法輪功は病気を治すためのものではなく、身体を浄化するためのものであることを理解しました。法輪大法は高次元の大法であり、人類の道徳を高め、元の純真な本性に戻るためのものです。これは末法の時期において人を救済するために伝えられたものであり、人々を真に修煉へ導き、正果を得させるものなのです!
千年に一度、万年に一度の機会です。このような法に出会えるとは、何という幸運でしょう! 師父の慈悲深い救済に心から感謝いたします!
集団に溶け込み、勇猛精進
息子が大学を卒業した後、都市に定住しました。6カ月の孫の面倒を見るために、私は夫と一緒に農村の古い家を離れ、都市に引っ越しました。孫が1歳になる頃、私は同修を探し始めました。「ここは田舎よりも繁華な場所だから、同修がたくさんいるに違いない。きっと縁があって出会えるはずだ」と思ったのです。この一念を持つだけで、師父はすぐに手配をしてくださいました。
ある日、私は義母(息子の妻の母)と一緒にアパートの下にある小道で子供を連れて散歩していました。義母が前を歩き、私は後ろで孫を見ていました。その時、前方から一人の年配の女性が微笑みながら義母に話しかけました。「お姉さん、学校に通っていた頃、赤いスカーフを着けていましたか?」と尋ねたのです。私は心の中で、「これは師父が与えてくださったご縁だ」と思いました。私は喜びに満ちた声で「同修ですね! 私たちは同修です! やっと皆さんに会えました!」と言いました。私は感激で涙が出そうになりました。年配の同修も興奮しながら、すぐに私に連絡先を教えてくれました。
翌日から私はこの年配の同修の家で法を学び始めました。それ以来、私は集団の中に溶け込み、同修たちと一緒に法を学び、真相を直接伝え、資料を配布しながら師父を助け、人々を救う活動に加わるようになりました。
私は学法の時間と家事をうまく調整していました。時には夜も学法に出かけ、帰宅が遅くなることもありました。夫は働きに出るので、私は毎朝3時に起きて彼のために食事を作りました。彼が満足するよう、できるだけ美味しい料理を作ろうと心がけていました。夫は夕方4時に仕事から帰ると空腹を訴えるため、彼が帰宅した時すぐに食事ができるよう努めました。しかし、どうしても忙しさが重なり、手が回らないこともありました。
そんな時、夫は不満を募らせ、「時間を無駄にして家のことを放っておいて、毎日出歩いて役に立たないことばかりしている」と私を非難しました。時には夜に学法から帰ってくると、家に入ることすら許さず、罵声を浴びせられることもありました。それでも私は夫と口論することはなく、常に笑顔で接するようにしていました。私は次のように考えていました。家族もまた私が修煉するために縁あって来た生命であり、もしかしたら前世で彼に対して何か借りがあったのかもしれません。トラブルの試練に直面して心を平穏に保つことでこそ、心性を高め、業力を転化することができるのです。師父が高次元の法理を伝えてくださり、私が真・善・忍の原則に従って真の善良な人間になる道を教えてくださったことに感謝しています。また、夫が私の心性を高めるための試練を与えてくれることにも感謝し、道徳が向上していることを感じます。
一瞬の命の危機と奇跡の体験
今年の正月に、私の身に起きた3つの神奇な出来事は、わずか10日間の間に次々と起こりました。心臓が止まりそうな爆発事故、血栓の前兆が一晩で消えた奇跡、そして学法の場での思いがけない出会い――これらを通じて、私は師父が全能であり、常に私たちと共にいてくださることを実感しました。真に修煉する弟子であることが、どれほど幸運であり、どれほど特別なことであるか。師父の恩情の大きさは言葉では表現しきれません。師父のことを思い出すたびに、私は抑えきれないほど涙が溢れ出てしまいます……。
今年2月19日の午後4時半ごろ、私は夕食の準備を始めました。液化ガスボンベのバルブを開けて2~3分ほど経った頃、湯通しした干し豆腐を取り出そうとした瞬間、突然、コンロ下の液化ガスボンベを収めている箱の中から大きな火の塊が勢いよく飛び出してきました。その火は私の体の前面を伝って上方へと猛烈に燃え上がり、一瞬のことだったので呆然としていました。
私がまだ状況を理解できないうちに、10歳の孫が寝室から駆け出し、玄関近くで大声で叫びました。「おばあちゃん、地震? 爆発? ベッドが揺れた! ガラスが全部割れた! 火が出てる!」孫は言いながら手で私の腹の前にあるコンロの箱を指差しました。その時、ようやく私は箱の中がすべて火に包まれており、ガスの配管が燃えていることに気づきました。私は慌てて手を伸ばし、液化ガスボンベのバルブを閉じました。不思議なことに、火の中に手を入れたにもかかわらず、全く火傷する感覚がありませんでした。そして、次の瞬間、火が消えました。
振り返って台所を見た時、私は言葉を失いました。そこはまさに一面が瓦礫の山と化していました。室内にはガラスの破片が散乱し、コンロの上の皿や茶碗などの調理器具はすべて粉々に割れていました。台所のドア枠は爆発で変形し、外れていました。さらに、浴室のドア枠も壊れ、傾いて浴室内に倒れ込んでいました。玄関の防犯ドアの枠も爆発の衝撃で歪んでいました。家中のガラスはすべて割れてしまい、8枚の窓のうち6枚が吹き飛び、残った2枚もガラスは完全に消え失せていました。寝室はベッド一面がガラスの破片に覆われていましたが、ただひとつ、孫がうつ伏せで勉強していた場所だけが人型に破片がない状態で残っていました。これは師父が孫を守ってくださったに違いありません。家は四方から風が吹き込み、冷気が家中に漂っていました。
その時、窓の外から下の階でたくさんの騒音が聞こえ、約20人ほどが集まっていました。どうやらガス爆発で建物全体が揺れたようです。誰かが言いました。「どこの家が事故にあったんだ? 地震だと思ったよ! 早く119に電話しなきゃ! 人はどうなってるか分からない、病院に運ばなきゃいけないだろう!」
私と孫が現場を確認していると、約5~6人の隣人が階段を上がってきて、「あなたの家で事故があったのですか?」と聞いてきました。私は「はい、そうです!」と答えました。みんな一斉に「人は大丈夫だったの?」と聞きました。私は「人は無事です」と答えました。隣人は「無事でよかった! ああ、これは神様が守ってくれたんだね!」と言いました。その言葉を言ったお姉さんは、以前に私が真相を伝え、三退をしたことのある明白な人でした。
その時、周囲の人々は私をじっと見つめました。私の前面の服はすっかり焦げ、ボロボロになっていました。靴下は焦げた一部だけが足の横に掛かっており、眉毛は焼け落ち、髪の前部も焦げていました。誰かが「こんなに焼けたのに怪我はなかったのか?」と尋ねると、私は「大丈夫でした」と答えました。みんなは「本当に信じられない! 本当にラッキーだ! あなたの家はきっと大きな徳を積んでいるんだ!」と言いました。外の芝生には爆発で飛んだ窓枠が落ちており、ガラスの破片が散らばっていました。
私はすぐに「誰もケガをしませんでしたか?」と尋ねました。隣人は「幸いにも誰も怪我しなかったよ。外に停まっていた数台の車も無事だったよ」と教えてくれました。命が危険にさらされていたその瞬間、慈悲深く偉大な師父が私と孫を救ってくださったのです! 一般的に液化ガスボンベの漏れによる爆発では死傷者が出ることが多いのですが、私の場合、腹部に軽い火傷の赤みができただけで、他には何もなく、眉毛と髪の毛は焼けましたが顔は焼けておらず、皮膚も無傷でした。爆発後、ただ少し熱い感じがしただけでした。本当に奇跡のようです! もし師父の慈悲深いご加護がなければ、私は瞬時に吹き飛ばされ、孫はガラスの破片でひどい怪我をしていたことでしょう……師父の保護に心から感謝申し上げます!
家族はその後、慌てて帰宅しました。夫と3人の子どもたちは現場を見て驚き、泣き出しました! 私は彼らに、「師父が私と孫を救ってくださった」と伝え、涙を流しながら師恩に感謝してひざまずきました。
孫も早々に師父の写真の前で跪き、李洪志師父の命の恩に感謝しました。夫も泣きながら師恩に感謝しました! 家族は本当に大法の神奇さを目の当たりにしました。以前は大法に半信半疑だったり、私の修煉に干渉したりしていたのですが、この生々しい爆発事故を通して、神の力、大法の素晴らしさを実感し、態度が変わり、師父と法に対して信じるようになりました。
夫は、「大法の師父は本当にすごい、すばらしい! 以前あなたが大法を学んでいるとき、私はいつも文句を言って、ひどい時にはあなたを怒鳴ったこともあった。それは私が間違っていた。これからは応援するよ、もう怒鳴らないよ」と言いました。3人の子どもたちも師恩に感謝して跪きました。
東北の正月は非常に寒く、家には窓枠がなく、しばらくはプラスチックで塞いでいました。液化ガスの爆発から3日目、つまり正月の12日、外は雪が降り道が凍結していましたが、私は足元が深く雪に沈む中、注文していた窓枠を取りに行きました。およそ1万歩ほど歩いた後、帰宅すると足がだるくなり、少し痛みを感じました。午後、子どもを迎えに行く時間になり、足を地面につけることができなくなってしまいました。左足の足の裏は腫れて平らになり、赤紫色に変色し、足の甲に太い青筋が二本、高く浮き上がっていました。
子どもたちは私の様子を見て、全員が一致して病院に行くようにと言いましたが、私は行かないのを堅持しました。2人の娘は私の足を見て驚き、泣きながら「血管が詰まっている、脳血栓の前兆だ」と言いましたが、私はやはり病院に行きませんでした。息子は私が行かないので、机を叩きながら「お母さん! それは脳血栓の症状だ! ネットで調べたけど、今日行かないと明日もっとひどくなるよ、行くのか行かないのか?」と言いました。私は「私は修煉者だから、明日には良くなる。私の命は師父が救ってくださったので、良いも悪いもすべて師父にお任せです!」と答えました。夜、私は心の中で何度も師父の法を唱えました。「百の苦一斉に降る 其の如何に活くかを看る」(『洪吟』「その心志を苦しめる」)
本当に奇跡です! 翌日、足の裏の腫れた部分は正常に戻り、色も健康的になり、足の甲の青筋もなくなり、歩くのも全く痛くなくなり、すべてが元通りになりました! 師父は、私が師父を信じ、法を信じる気持ちが固いのを見て、私の業力を消してくださったのです。私はそのまま出かけて、真相を伝え、命を救い、集団で学法することができました。すべては師父の最善のご配慮です。子どもたちも再び大法の奇跡を目の当たりにしました。
正月16日、娘の家が貸し出しになるため、私たちは学法グループの場所を移動しなければなりませんでした。神奇なことに、学法をする期間中、娘のマンションのエレベーターのカードリーダーが壊れていて、私たちはカードを使わずに上り下りできてとても便利でした。奇跡的なことに、この便利な条件は、学法に来ないと決めた翌日に変わりました。娘の隣に長い間住んでいなかった老人が戻ってきて、今はエレベーターのカードリーダーが修理され、カードを使って上階に行かないと自分の家に帰れなくなりました。どうしてこんなに巧妙なことが起こったのでしょうか? 本当に神奇です! これも師父の巧妙なご配慮です。私たちの学法グループは昨年6月に始まり、8カ月間非常に静かで安全に運営されてきましたが、私たちが移動すると、すぐに環境が変わりました。これは師父がずっと私たちを守ってくださっていた証拠です。
私は自分の家の様々な困難を乗り越え、学法グループをガス爆発が起きた自分の家に移しました。学法を始める前日には、鋼化ガラスの窓も取り付けが完了し、すべてがとてもタイミングよく順調に進みました。すべては師父の精心のご配慮です。ありがとうございます!
20年以上の修行の道を歩んできた私ですが、弟子として修煉が十分でないと感じ、師父に対して、また大法に対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし、師父が私に与えてくださったものは、まるで大海のように深く、神奇な出来事は数え切れないほどあります。師父が私を引っ張って前に進ませてくださっているのです。
千言万語では師父の広大な恩恵と慈悲の苦しみを表現しきれません。師父、ありがとうございます!