命を奪う事故から生還  医師は「本当に奇跡だ」と称賛
■ 印刷版
 

文/河北の大法弟子

 【明慧日本2025年1月10日】修煉を始める前、私は重度のウイルス性B型肝炎、心筋虚血、脳けいれん、そして膵炎など多くの病気に苦しんでいました。特にB型肝炎はすでに肝硬変の後期に達していました。1998年の秋以降、市の部隊病院にいる漢方のベテラン医師に診てもらったのですが、病院から帰った後、夜、夫がとても悲しんで泣いていたのを覚えています。夫は、「医者はあなたがもう長く生きられないと言った」と話しました。実際、その時私にとって死は怖くはありませんでした。なぜなら、6、7年にわたる病痛の苦しみの中で、私は本当に生きていけないという考えを抱くことがありましたが、2人の幼い息子を思うと、上の子は15歳、下の子は11歳で、子どもたちがあまりにも可哀想だと感じ、私はそのような苦しみの中で一日一日を必死に生き抜こうとしていました。

 1999年2月、近所のある人が「法輪功を修煉すれば病気を治し、健康になる」と言いました。絶望的な状況にいた私は、大法の修煉に入ることを決意しました。法を得てから1カ月も経たないうちに、体中の病気が治りました。今年で68歳になるのですが体は健康そのもので、大法の奇跡をさらに実感しています。

 2023年の年末の午後、用事で同修の家に向かっていたとき、二つの道路を曲がる際に、通りかかった大きなトラックに轢かれ、その場で意識を失いました。目を覚ました時、私は病院のベッドに横たわっていました。実は、運転手が110番に電話をかけたのですが、その後、帰宅途中の3人の中学生が私を病院に運んでくれたのでした。

 夜になり、息子や息子の嫁、村人たちがたくさん来てくれましたが、夜の10時を過ぎてようやく意識が戻りました。その時、病院では治療は行われず、呼吸器と心電図のモニターだけがつけられていました。3日目になっても、私は正念がなく、師父にお願いすることを思い出すことができませんでした。ただただ苦しさで生きているほうがつらいと思い、息子に「医者に毒薬を打ってもらえばいい」と言いました。息子はそれを聞いて慌てて、私の実家の兄に電話をかけて、私の状況を話しました。兄はすぐに省立病院に行くようにと言いました。

 省立病院で検査を受けた結果、私の6本の肋骨が傷つき、そのうち3本が折れていました。さらに、右肩の骨、鎖骨、右手首もすべて骨折しており、肋骨が肺を傷つけていました。私は時々、血を吐き、左側の頭部にはリンゴ大の血の塊ができていました。医者は、手術は折れた肋骨しかできないと言い、肩の骨などを手術するには肩の骨を切開しなければならないと説明しました。私の怪我は重篤で危険なため、他の部位については徐々に回復を待つしかないと言われました。

 手術は2日後に行われ、手術後のその晩、師父が私に啓発してくださったことが分かりました。夜、夢の中で看護師が現れ、手に2本の大きなネギを持っていました。彼女はそのネギの皮をむき、ネギの根をハサミで切り落とし、ネギの葉を一枚一枚お皿に並べてから、そのお皿を私の前に置いて、「見て、心配しないで、すべて並べておいたから」と言いました。目が覚めた後、私はこれは師父からの啓発だと悟り、骨はすべて整えられたのだと感じました。弟子は師父の慈悲とご保護を信じています。

 手術後13日目に、同修が私を見舞いに来ました。その中の1人の同修が「私たちと話したくありませんか」と聞いてくれたのですが、実際、毎日の痛みが私を苦しめていたので、話したくても話せませんでした。同修が帰った後、夜ご飯を食べ終わった息子が私をベッドに寝かせてくれました。その時、息子は片手で私の頭を支え、もう片方の手で背中を支えて、ゆっくりと私をベッドに下ろしましたが、毎回私は痛みで叫んでいたのでした。

 その晩、私は師父にこう話しました。「師父、もし弟子が重大な罪業を作ったのであれば、私は師父にすべてを負わせるわけにはいきません。私の罪は私が背負います。もしこれは私の罪ではなく、旧勢力が強制的に私に与えたものであれば、それは私は受け取りません。私は師父が与えてくださる道だけを歩むのです。私の使命はまだ終わっていません。救うべき衆生が待っていて、私はこの機会を通じて大法を証明しなければなりません。弟子は師父の按排に従い、すべて師父にお任せします」

 すると翌朝、奇跡が起こりました。朝食を食べ終わった後、体が軽くなり、痛みもなくなったので、座って正念を発しました。正念を発し終わった後も痛みはなく、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じました。長男は私をベッドに寝かせてくれました。長男は「以前のように痛みで叫ぶことはなかったね」と言いました。それからは、もうあんなに痛むことはありませんでした。

 手術後23日目に、私は退院して帰宅しようとしましたが、2人の息子が反対しました。傷がひどくて帰宅しても自分で世話ができないと言うので、まずは県病院のリハビリセンターで数日間療養してから帰ろうということになりました。数日前に長男の学校から電話があり、彼を帰らせなければならなかったのです。また次男も大きなトラックを運転しており、貨物主からも電話がかかってきていました。私は、子供たちを安心させるために、そうすることにしました。

 正月16日の午後、私はリハビリセンターに到着しました。17日の午後、ある同修が見舞いにきて、私と一緒に過ごしてくれました。夜になり、私は同修と一緒に同室の人々に法輪大法のことを話しました。彼らは大法に対してとても共感してくれました。10時過ぎに、同修は「寝ましょうか?」と言いながら、ベッドの下から布団を取ろうとしたときには、私はいつの間にかすでに寝ていたのでした。同修は「姉さん、寝たの?」と聞きました。私は「はい、自分で横になりました」と答えました。その時、師父が私を励ましてくださっていることを悟りました。私は、横になることができるなら、きっと起きることもできるだろうと思い、夜中にトイレに行こうとした時、試しに起きてみました。最初の2回はうまくいきませんでしたが、3回目に手でベッドのサイドテーブルを支えながら起き上がることができました。

 翌日、次男が食事を持ってきてくれた時、私は興奮して言いました。「奇跡が再び起こったんだよ。師父があなたたち兄弟が安心できるように、私は自分で寝ることができて、起き上がることもできるようになったのよ。帰ったらお兄さんに伝えてね。もう心配しなくて大丈夫だって」。息子は驚いて「本当に? 奇跡だね」と言いました。2月3日、私は省都で再度検査を受けに行きましたが、奇跡は再び起こりました。

 午前中のさまざまな検査が終わった後、医師は結果が午後4時過ぎに出ると言いました。2時前にならないうちに、長男は「結果が出ているかちょっと見てくるよ」と言いました。次男もそれを聞いて一緒に行くことになり、2人は20分も経たないうちに戻ってきました。遠くから長男が白い紙を手に持って私の方に歩いてくるのが見えました。

 息子はこう言いました。「私たちは医者のところに行ったんだ。2人の医者がいて、1人は年配の医者で、もう1人は若い医者だった。年配の医者がレントゲン写真を持って、若い医者に『見て、このおばあさんはもう70歳近いのに、あんなに重傷だったのに40日ちょっとでこんなに回復したんだよ。まさに奇跡だ! 私は何十年も医者をやっているけれど、こんなことは見たことがない!』と言っていたんだ。若い医者は言ったよ、『あなたが見たことがないなら、私はもっと見たことがないです!』」

 話した後、年配の医者が振り返ると、私の2人の息子がそこに立っているのを見て、医者は「君たち、何をしているんだ?」と聞きました。長男は「母親の結果を取りに来ました」と答えると、医者は「君のお母さんの名前は?」と尋ねました。息子が私の名前を言い出すと、医者は「君のお母さん、普段は何をしているんだ? こんなに元気なのに」と驚いたように言いました。息子は「うちは田舎で、母は普段、人のために働いています」と答えました。そのとき、息子は大法を証明することを思いつかなかったそうです。すると医者は再び言いました。「君たち、見てみなさい。君のお母さんの肋骨が一つ一つ、こんなにきれいに治っているんだ。はっきりと分かるよ。こんなこと、君たちのような若い男の子でも40日で回復できるわけがないよ。まさに奇跡だ」。2人の息子も嬉しそうに戻ってきて、「大法は本当にすごい!」と言いました。

 ここで言いたいのは、師父への感謝の気持ちを言葉では表しきれないということです。師父のご加護がなければ、今日の私は存在しません。師父が私に二度目の命を与えてくださったのです。

 これからの限られた時間の中で、さらにしっかりと修煉をし、全体として協力し、法を学び、もっと多くの人々を救い、私たちの先史の大願を成し遂げ、合格した大法弟子として師父と一緒に帰ることができるように頑張ります。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/29/486844.html
 
関連文章