大法を修煉して奇跡が起こり 切除した肋骨が新たに再生
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文/中国黒竜江省の大法弟子  

 【明慧日本2025年3月26日】今年60歳を過ぎた私は、地元の大手グループ会社の病院で看護師長として勤務していました。1996年8月から法輪大法を修煉し始めました。私の家族は私が法輪大法を修煉することを理解し支持しており、法輪大法が素晴らしいことを信じ、真実を理解しています。全員が三退をしました。これまでに私と家族が受けた法輪大法の恩恵について共有させていただきます。

 一、切除した肋骨が新たに再生

 雑穀を食べていて、病気にならない人はいるのでしょうか。1989年末、私の体調が急に悪化し、発熱や咳が続きましたが、病院で検査しても特に異常は見つかりませんでした。1990年3月に、ようやく診断が下され、私は胸壁結核という病気にかかっていることがわかりました。病巣は胸部の左側、心臓に近い位置にあり、腫れと炎症が心臓に影響を及ぼしていました。そのため、咳や発熱、痛み、動悸、息切れなどの症状が現れ、薬を飲んだり、注射を受けたり、入院したり、手術を受けたりしました。半年以内に、私は3回の手術を受けました。最終的には、病変部分の肋骨の一部を切除し、その長さは2、3インチほどでした。手術後、医師がその切除した部分を直接私に見せてくれました。

 入院して手術を受けていた間、私は本当に辛い日々を過ごしました。深く呼吸をすれば手術の傷口が痛み、大きな声で話せばまた痛み、感情が高ぶると傷口がさらに痛みました。ただ黙って耐え、涙を流すしかありませんでした。家族も一緒に涙を流し、同じ病室の人たちも私を見て涙を流していました。しかし、退院後に回復を試みていたものの、再び同じ側に胸膜結核が発見され、今度は薬でしか治療できないという診断が下されました。他に選択肢はなく、ただ薬を服用するしかありませんでした。

 長期間の薬の服用が原因で、私は胃や肝臓、両目に炎症を引き起こし、神経衰弱や不眠症に悩まされるようになりました。その頃、私の子供はまだ3歳にも満たず、実家の母が助けてくれていました。その後、夫が会社から海外の支部に転任となり、休暇や会議でしか帰れない状況でした。私は階段を昇るのも困難で、数キロの荷物さえ持ち上げることができませんでした。数年の苦しみの中で、私はだんだん心が折れてしまい、生きることがあまりにも苦しいと感じるようになり、「人は一体何のために生きているのか?」という思いが湧き上がり、時には命を絶ちたいという考えすら浮かぶことがありました。

 1996年8月、郊外の農場に住んでいた実家の母が私を訪ねてきました。母は法輪功を修煉しており、法輪功がどれほど素晴らしいもので、病気の予防や健康に驚くほどの効果があると話してくれました。母は『法輪功』という本を持参し、「これは借りてきた本だから、明日には返さなければならない」と言い、私に読んでみるように勧めてくれました。私は以前から他の気功を試したことがありましたが、体調は一向に改善されなかったので、母の言うことに仕方なく本を受け取りました。

 数時間かけて一気に『法輪功』を読み終えました。この本は私の心を深く動かしました。「この修煉法は本当に素晴らしい。修煉を続ければ、世の中の苦しみや煩悩から解放される」と感じました。その場で母が静功(坐禅)を教えてくれ、私は一瞬にして入静と入定の状態に入りました。その感覚はとても素晴らしく、心が穏やかになり、体が軽くなり、エネルギーも湧いてきました。この日から、私は法輪大法の修煉を始めました。気づけば、以前抱えていたすべての病気の症状が消えていました。

 1998年、会社の定期健康診断を受けた際、私の体調はすべて正常でした。特に、X線写真を撮ったところ、以前切除した病変部分の肋骨が、まるで正常な人のように完全に再生されていたことがわかりました。肋骨は完全に元通りになりました。医師たちはその結果を見て信じられない様子で、「これはまさに常識を覆す出来事だ!」と驚いていました。病変部位を切除した後、新しい骨が再生されたという事実は、当地で大きな驚きを引き起こしました。

 二、車にひかれた7歳の甥が無傷だった

 私の3番目の妹の子どもの甥が7歳の時、放課後に母親が迎えに行く途中、横断歩道を渡っている最中に突然タクシーが突っ込んできて、子供をひいてしまいました。車は彼を押し潰すように通り過ぎ、ようやく車が止まったのです。妹、運転手、通行人の全員が驚き、みんな「もうダメだ、衝突して押し潰された!」と思いました。

 みんなが駆け寄って確認すると、甥にはまったく怪我がなく、立ち上がった後は元気に跳ね回っていました! みんな驚きました。「この子は神に守られている!」と言いました。運転手は子供を病院に連れて行くと言いましたが、甥は「病院に行かなくても大丈夫だよ、ほら、僕何ともないでしょう、運転手さん、帰っていいよ!」と言いました。運転手はどうしても病院に行かせたがり、妹も心配で病院に行こうと言いました。結局、子供は大人の言うことに従い、病院で検査を受けましたが、子供の言う通り、何も問題はありませんでした! これで運転手と妹も安心し、ほっと胸を撫で下ろしました。

 その後、甥が私に電話をかけてきて「叔母さん、聞いて、僕、タクシーにひかれたんだよ。タクシーが僕の上を通り過ぎたけど、何ともなかったよ。師父が本に書かれている通り、僕は何ともなかったんだ。『物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある』(『轉法輪』)とおっしゃられたように、考え方が違えば結果も違うんだよ」と言いました。私は「そうね、あなたは大法の本を読んで、書かれている通りに良い子として行動しているから、もちろん何も起こらない。師父の法身が守ってくださっているのよ!」と言いました。

 (文章編集責任者:洪揚)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/22/490594.html
 
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