文/河北の大法弟子
【明慧日本2025年3月3日】私は師父にお会いしたこともなく、現場で師父の説法を直接聞いたこともありませんが、師父はいつも私のそばにいて見守り、守り、悟らせてくださり、三つのことをしっかり行えるよう、返本帰真の道を歩けるよう導いてくださっていると深く感じています。
以下は、私が真相を伝えて人々を救う中で経験した、忘れられない不思議な出来事です。
おそらく2012年の夏、中国南方のある都市でのことです。同修と共に、比較的賑やかな大通りで通行人に真相を伝えていました。突然、歩道脇の店の人々が店から出てきて、店の入り口に立ちながら私たちを見ていました。さらに、歩道を歩いていた人々も足を止めて私たちを見ていました。なぜこんなに見られるのだろうと不思議に思い、公道の方を振り返ると、私たちの後をつける警察のパトカーが見えました。私たちが歩けばそのパトカーも動き、私たちが止まればそのパトカーも止まりました。何度か試しましたが、どれも同じ結果でした。どうやら警察に目をつけられており、しばらくの間尾行されていたようでした。
その時、1台の白い乗用車が猛スピードで近づき、パトカーの近くに止まりました。パトカーから制服を着た警官が降りてきて、白い車の前に行き、私たちを見ながら、白い車に乗っている人に何かを話していました。
この光景を見て、私たちは自分たちの置かれた状況が非常に危険だと感じました。どうすればいいのでしょうか? 同行していた同修は、「早く逃げましょう!」と言いました。私は、「彼らは車を持っています。私たちが彼らから逃げ切れるでしょうか? 二人で一緒に逃げても、誰も逃げられないでしょう。しかし、ここで捕まるのを待つわけにもいきません。一人ずつ逃げるしかありません。あなたは先に行ってください。私はここに動かず立っています。すべての責任は私が負います。そうすれば、私たちのうちどちらかは逃げられるかもしれません」。同行していた同修は、私の主張に反論できず、仕方なく大股で立ち去りました。
白い車とパトカーは彼女を追いかけませんでした。両方ともまだ私のそばに止まっていました。遠ざかっていく同修の後ろ姿を見ながら、彼女は安全だろうと感じ、無事に逃げられたことを嬉しく思いました。私の心も落ち着きを取り戻しました。私は大法弟子で、人を救う使者であり、世の中で、あるいは全宇宙で最も正しいことをしています。この状況に直面しても、私は恐れや不安を感じませんでした。そこにあったのは、慈悲、殊勝さ、そして荘厳さでした。
私は心の中で二度、「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい! 師父、ありがとうございます」と唱えました。そして、私は「師父、私は困難に直面しています。どうか私をお助けください。ありがとうございます!」と師父にお願いしました。私はすぐに近くの洋服店に入りました。店のオーナーは私に店の服を紹介し始めました。しかし、店に入ってすぐに後悔しました。「私は服を買うわけでもないのに、なぜここに入ったのだろう? 私は外に出て、すべてのことに立ち向かわなければならない」と思いました。
私が店から出て再び通りに出ると、街の光景に思わず呆然としてしまいました――そこはもともと賑やかな通りで、普段は何台ものバスが通り、道の両側にはさまざまな商品を売る大小の商店が並んでいました。ついさっきまでは、車や人で溢れかえり、賑やかな市街地だったのに、今は一片の静寂に包まれ、物音一つありません。警察車両や小型の白い車も影を潜め、道路上にはバスも自家用車も電動バイクも自転車も1台もありません。歩道には私一人しかいませんでした。自分の目を疑いながら歩きつつ、左右を見回し、このバス停三つ分ほどもある道に本当に車も人もいないのかと疑いました。しかし何度も確かめた結果、最終的に断言できました。この長い道には、私一人しかいないのです。
その時、私は悟りました。迫害されずに済むように、師父が私を守るために、バス停三つ分ほどの道路をきれいに清めてくださったのだと。車も人もなく、物音一つしませんでした。
私は涙を流しながら、車も人もいない静かな道路の真ん中を歩き、すべての邪悪な要素を取り除いてくださった師父に感謝しました。再び私を救ってくださった師父に感謝しました。危険が迫った時、師父が私を清めてくださり、私は瞬く間に危機を脱することができました。突然の迫害は、師父の保護の下で消滅しました。
翌日、私たちは再び真実を伝え、人々を救うために街を歩いていました。
出来事の全過程を振り返ると、三つの悟りがありました。
1、師を信じ、法を信じれば、師父は私たちのそばにいてくださいます。困った時には、師父に助けを求めましょう。
2、師父は、「一正念すれば 悪は崩壊する」(『洪吟二』何を恐れる)と言われました。私たちは何事も恐れず、正念で立ち向かいましょう。衆生が最後の様々な災難に直面する時、私たちは師父に手伝って法を正し、衆生を救い、全宇宙で最も正しいことをしています。どうして迫害されることがありましょうか? もし迫害があるとするならば、それは私たちが法に則っていない人心が原因です。
3、私利私欲の観念を修め、他人のために考える習慣を身につけましょう。人と人との間で、面倒と便利の間で、面倒なことを自分に引き受け、便利なことを他人に譲りましょう。危険と安全の間で、危険を自分に引き受け、安全を他人に譲りましょう。本当にこのように選択できる時、面倒と危険はあなたから遠ざかり、あなたは面倒なことや危険な目に遭うこともないでしょう。
ここで確実に言えることは、常に自分が修煉者であることを心に留め、すべてのことを行う際に他人のために考え、すべてが法に合致していれば、面倒なことや危険な目に遭うことはなく、安全、順調、そして絶え間ない昇華があるのです。