文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年9月14日】私が1951年4月に生まれた(現在、72才)時、私の家族の家計はすでに火の車でした。さらに悪いことに、母はすぐにまた妹を妊娠していました。私は一度も母乳を飲んだことがなく、お粥を食べて生き延びました。ですから私の体は非常に弱く、歩けるようになったのは5歳になってからでした。
私の家族には6人の子供達がいました。兄2人、妹2人、弟1人、そして私です。農家を営む両親は、8人家族を養うのに十分な収入を得るのが難しく、そのような大家族で皆を養うことはかなりのプレッシャーなため、両親は不機嫌でした。彼らは怒るといつも私たちに暴言を吐き、身体的虐待を加えました。
私を除いて、兄弟全員は学校に通うことになりましたが、私は妹2人と弟の世話をするために家にいなければなりませんでした。また、家族全員の洗濯をし、豚に餌を与え、自分たちで小麦粉を製粉していました。「学校に行きたいのかい?」と言ったあと、私の母は「私達があんたを追い出さなかったのは幸運だよ」と言ったのです。
私が14歳のとき、母は私に結婚して家を出るよう強制しました。私の最初の結婚は大失敗でした。義理の両親と夫も私を虐待しました。私は自分の家族にも夫の家族にも見捨てられ、崖から飛び降り自殺を図りました。しかし、私は数人の人たちによって、強制的に安全な場所に引き戻されました。
2番目の夫も私を虐待しました。結婚して1年後、隣の家が火事になり、私たちの家も焼けてしまいました。隣人には再建のための補償をする余裕がなかったので、夫と私は牛舎に引っ越さなければなりませんでした。私が妊娠したとき、誰も私の世話をしてくれませんでした。娘を出産する直前に、義妹が卵を20個くれました。しかし、夫はその卵を牛肉と交換し、1人で全部食べました。その時点で私は、重度の栄養失調のため陣痛が長引き、この状況を知った叔母が私におかゆを食べさせてくれて、やっと娘を出産することができました。
その後、心臓病、関節リウマチ、胃病、食道がん、乳がん、頻繁な頭痛、慢性的な痛みなど、さまざまな病気を発症しました。貧しい経済状況に加えて、肉体的な苦痛が重なり、働けないという事実が加わり、私は絶望のどん底に陥りました。毎日一日中泣いて、どうやって自分の命を絶とうかと考えていました。
夫は私に暴言を吐き続けました。私の存在は他人にとって重荷だと言われ、道の真ん中に立って車に轢かれて死ねば良い、私が死んだら、少なくとも運転手に賠償金の請求ができるだろう、とまで言われました。私が絶望しているのを見て、上の娘は賢明に私をしっかりと抱きしめてくれました。「お母さん、死んではいけません。お母さんが死んだら、私のお母さんはもういなくなるのですから!」 と彼女は言いました。
娘は妹を見つけて私の状況を話しました。そして、妹は私を説得しました。「あなたが死んだら、誰が子供たちの世話をするの? 彼らはどんなに悲しむことでしょう」。家族のために、私は自殺を思いとどまりました。
しかし、この苦しみが終わろうとした矢先、私はさらなる壊滅的な打撃を受けました。私の最愛の娘である長女が14歳の時に誘拐されました。私はどんなに努力しても彼女を見つけることができませんでした。丸一カ月間、私は寝たきりになり健康状態はどん底で、まさに息も絶えだえの様相でした。
希望の光
もう生きられないと思ったとき、ある夜、夢を見ました。
夢の中で、空は灼熱の太陽でしたが、私は大きな傘の下に立っており、私を守ってくれました。「泣かないでください」という声が私に聞こえました。泣かないで。あと数年も経てば状況は良くなるだろう」 、誰が傘をさしているのか見たかったのですが、振り向くとすぐに傘は大きな木に変わりました。誰かがこの世界でまだ私を気にかけてくれているのを感じました。それは私に慰めを与え、人生への新たな希望を与えてくれました。
2年後、娘が見つかりました。私はお金を借りて、家のいくつかの部屋を改装しました。私は1部屋に住んで、残りの2部屋を貸して、それでお金を稼ぎました。野菜や作物も育てました。私の人生は確かに大幅に改善されました。
法輪大法を学ぶ
1997年のある日、私は食料品を買いに行く途中、知人に会いました。彼女は私のひどい健康状態を知っていて、法輪大法には体を治す素晴らしい効果があると教えてくれました。それは仏教の修行であり、彼女もそれを実践している、と彼女は言いました。
同年4月30日、私は地元にある法輪大法の煉功場を訪れることにしました。そこの修煉仲間の人達はとても親切で、私に功法を教えてくれました。たった一度だけ煉功をしただけで、力がみなぎったように感じました。さらに数日間練習を続けたところ、腹痛と頭痛はなくなり食欲も増しました。
それ以来、私は毎朝煉功場に行き、夕方には仲間の煉功者が『轉法輪』を読むのを聞きました。なぜなら、私は読み方を学んだことがなかったからです。すぐに、法輪大法の創始者である李先生が私の体を浄化し始めました。それから間もなく、私は抱えていた胆石を吐き出し、腰痛も消えました。私を救い、新しい命を与えてくださったのは師父であり、そのことに私は限りなく感謝しています。
また、師父はいくつかの事故から、私を守って下さいました。初めて新しい三輪車に乗ったとき、向かってくる大型トラックから逸れようとして転んでしまいました。三輪車がひっくり返り、私はその下敷きになってしまいました。背中と足に重傷を負いました。しかし、師父のご加護のおかげで私は、1か月も経たないうちに回復しました。
体調も良くなったので、製材工場の調理師として就職しました。食べ物は美味しく、従業員の食事代は安く出来あがり、従業員も工場長も私の仕事にとても満足してくれました。工場長は私の誠実で真面目な仕事ぶりに感銘を受け、子供や両親の世話、その他の家事労働を私に頼んでくれました。私はその仕事を11年間務めましたが、義理の娘から孫の世話を手伝ってほしいと頼まれて辞めました。
私たちは、トレーラーハウスの土地に6階建ての家を建てました。そして、自分たちで住んでいるいくつかの部屋を除いて、それ以外はすべて賃貸しています。もう私たちは生計を心配する必要がなくなりました。師父が私に与えて下さったすべてに感謝しています。
時間を見つけては、私は毎日修煉仲間と出かけ、人々に大法についての真実を明らかにしています。私は大法と縁のある人々によく会い、彼らのほとんどが中国共産党やその関連組織を脱退することに同意してくれました。また、師父や仲間の修煉者の助けを得て、最終的には自分で『轉法輪』を読む方法で学びました。
私の幸せな家族
私の変化を見て、家族全員が大法が良いものであることを理解してくれました。私の妹も息子も自ら大法を学びました。母は幼少期に私を虐待したことを謝ってくれました。今、彼女は他の人たちに私が自分をよく扱ってくれたことを褒め、法輪大法の素晴らしさを人々に伝えています。
夫は2022年3月に脳卒中を患い、入院しました。私は彼に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と、心からの九文字を唱えるように伝えました。彼は言われた通りにしたので、すぐに回復して退院しました。それ以来、今では彼は穏やかになり、悪口を言うことはなくなりました。私の弟も胃がんと診断され、この言葉を唱えて回復しました。
(English: https://en.minghui.org/html/articles/2023/9/4/211157.html)