危機の時、師父は私のそばにいらっしゃる
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年4月14日】私は1998年に法輪大法の修煉を始めた古い大法弟子です。初めて 『轉法輪』を読んだとき、これは普通の本ではないと感じました。私は大法の奥深い原理に深く感動し、こんなに多くの疑問を解決できる本が存在するなんて信じられませんでした。それはまさに私が生涯探し求めていたものでした。私は毎日法を学び、煉功し、他の同修と経験を交流しました。私はとても幸せで充実していました。

 1999年7月20日に迫害が始まったとき、それは圧倒的なものでした。私は大法が素晴らしいのであり正しいと信じていたので、大法の本を守らなければならず、それを隠しました。そのため私は長い間法を学んだりしていなかったため、修煉は次第に滞ってしまいました。

 しかし、師父は慈悲深く、私を見捨てられませんでした。2003年に、ある同修が私に会いに来て、修煉の道に戻るよう励ましてくれました。私は自分が長い間遅れを取り、多くのことを置き去りにしてきたと心から感じていたので、法を学び、煉功し、人々に真相を伝えました。どこへ行っても真相を伝え、縁のある人を見逃すことはありませんでした。 

 修煉に戻ってから、私に多くの素晴らしいことが起こりました。以下に三つの例を挙げます。

 一、私は2つの光る手によって守られている

 2004 年のある朝、私が自転車に乗って市場に向かっていた時、道路の反対側を走っていた中学生が猛スピードで私に向かってきました。私が反応する前に自転車から振り落とされ、空中に飛ばされました。私の体が風船のようにゆっくりと優しく浮かんでいくのが見え、2 つの光る手が私の頭を捧げ守ってくれました。私の体は非常に軽やかに浮かび続け、まるで緑の芝生の上に浮かんでいるようでした。

 目を開けると、自分が道路の真ん中に横たわっており、周りには怖がって心配そうに見ている人たちがいました。誰かが、怖がってうなだれて立っている中学生を責めたり、叱っていました。私はすぐに立ち上がりました。私は何も問題はなく、痛みも感じず、自転車から落ちたショックも感じなかったので、 その中学生に近づき、こう言って慰めました。「怖がらないでね、私は無事です。これからは自転車に乗るときはもっと気をつけて、スピードを出さないようにしてね。誰かにぶつかると怪我をさせてしまうよ。私は大丈夫だから、もう学校に行っていいよ!」。周りの人たちは驚いて、「本当に大丈夫ですか?」と言いました。私は「大丈夫です。私は法輪大法を修煉しているのです」と答えました。野次馬は安堵のため息をつき、「さっきは本当に怖かった!」と話しました。

 師父が私を守ってくださったことは分かっていました。そうでなければ、結果は想像を絶するものになっていたでしょう。

 二、私の三輪車が深い溝から救出された

 私は副業で移動手段として電動三輪車を所有していました。ある日、乗客が工事中の場所へ行きたいと言いました。私は道路状態が悪いと乗客に話すと、乗客は「大丈夫です。工事現場の近くまで乗せてもらえればそれでいいです」と言いました。道の状態は非常に悪く、至る所に深い溝や岩、泥の丘があったので、私は彼らをできる限り工事現場の近くまで連れて行き、彼らを三輪車から降ろしました。

 私は方向転換しようとしましたが、道が狭かったので三輪車は深い溝に落ちてしまいました。私は三輪車を止めることができなかったので飛び降り、三輪車が真っ直ぐに落ちていくのが見えたのですが、どうすることもできませんでした。6月の午後1時頃で、とても暑く周りには誰もおらず、しかも携帯電話も持っていませんでした。私は途方に暮れてしまいました。

 その時突然、私は師父が法の中で、危険に陥った時には師父の名前を呼ぶようにとおっしゃっていたことを思い出し、師父に助けを求めました。

 私は目を閉じて心の中で師父に言いました。「師父、私の車は深い溝に落ちてしまいました。助けてください!」と。私が目を開けると、背の高い若者3人が私の方へ歩いて来るのが見えました。私は興奮して彼らに助けを求めました。

 すると、3 人の若者は何も言わず、まっすぐ丘を駆け下りて私の三輪車まで走っていきました。1 人がハンドルをつかみ、他の 2 人が三輪車の両側をつかみました。彼らは素早く 1 回の動作で三輪車を深い溝から持ち上げ、地面に戻しました。彼らのうちの1人が、「三輪車が壊れていないか試してみてください」と提案しました。私が試してみたところ、何も壊れていませんでした。とても嬉しくなって、「助かりました! ありがとうございました!」と言うと彼らは去って行きました。

 私も出発しようとしたのですが、「この3人の若者たちはどこから来たのだろう?」と考えました。「普段この辺り、この時間は誰もいない…。彼らはまるで鶏を持ち上げるように、軽々と三輪車を持ち上げた…」と、そう思って直ぐに振り返って見たのですが、彼らの姿はありませんでした。

 師父が彼らを遣わしてくださったのだと思いました。私は感極まり、涙が溢れました。師父はまた私のそばにいてくださり、私を助けてくださったのです。

 三、私の記憶の空白

 ある日の午後1時ころ、私は自転車に乗ってある交差点に行き、自転車を止めて柱に法輪功迫害の真実を伝えるステッカーを貼っていました。貼り終えたころで数人が見に来ました。私は少しびっくりしたので、急いで自転車に乗って立ち去りました。交差点に差し掛かると、青信号が点滅していたのですが止まらずに進みました。道路の反対側に着く前に信号が変わり、ちょうどその時、黒い車が信号に向かって猛スピードで走ってきました。車と私の自転車が衝突しそうになった瞬間、私は頭が真っ白になり、もうだめだと思いました。

 ところが、なんと私は道路の反対側にいました。誰もいない静寂した中で、私は自分の自転車の横に立っていることに気づきました。

 あの車は明らかに私にぶつかったのですが、何の音も聞こえていませんでした。私は、自分が無事であるはずがないことはわかっていましたが、私は無事でした。あの車はどこへ行ったのか? 私はどうやってここに来たのか? 私の記憶にはなにもありません。私は師父が再び私を救ってくださったと確信しました。

 私が同修たちに自分の体験を話したとき、彼らはこう言いました。「あなたは別の次元を通って道を渡ったのかもしれません。師父があなたをそこへ運んだのかもしれません」

 20年以上が経ちましたが、慈悲深い師父は大法弟子一人一人を見守ってくださっています。師父は私のために多くのことに耐えてこられましたが、その中には私が知っていることもあれば、知らないこともあります。

 師父に感謝いたします。私は真相を伝え、衆生を救い、最後の道をしっかり歩むために努力を続けます。

 これは私の現在のレベルでの理解です。不適切な点がありましたらご指摘ください。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/24/488956.html
 
関連文章