危機的状況で、師父に助けを求めるのはとても重要
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年11月26日】明慧の多くの体験談では、危機的な状況で師父の助けを求めるのは、自分の修煉レベルの現れであると書かれています。私も同じように、師父の名前を呼ぼうと思ったことがあります。

 大法の修煉者であることは本当に幸運なことだと思います。この経験を他の修煉者と共有したいと思います。

 10年以上前、私は法輪大法を修煉しているという理由で連行され、拘留されました。翌日の夕食後、監視カメラの前で煉功をしていました。

 突然、刑務官が私を探しているという声が聞こえてきました。目を開けると、鉄格子の外に刑務官がいて、床に椅子を置いていました。

 彼は書類の束を持ち、私が彼の方へ歩いていくと、ゆっくりと座りました。担当の受刑者は、私に他の受刑者と同じように列の後ろにしゃがんで質問に答えるように命じました。

 私はその命令を無視しました。代わりに、私は刑務官の前にまっすぐ立って、それが何であるかを尋ねました。

 刑務官は私を見て、横柄に「しゃがんで、話せ」と言いました。私は「何か聞きたいことがありますか? 私は立っても答えられます」と答えましたが、彼は「しゃがんで話すんだ」と主張し、それがルールだと言いました。

 私は刑務官にこう言いました。「私にはそのルールが適用されません。私は法輪大法の学習者であり、真・善・忍の原則に従っています。私は善良な人間になろうと努力しています」

 「私はいかなる法律も破っていません。私をここに連れてきたのは、法輪大法学習者を迫害している邪悪な中国共産党と江沢民の政権です」

 「迫害されている私は犯罪者ではありません。また、私のような高齢者に、あなたのような若者の前でしゃがめというのは適切ではありません」

 彼は怒ってこう叫んでいました。「俺は関係ない! お前は俺の場所に来たんだから、俺のルールに従え!」

 私も声を荒げて、一言一句、「私はしゃがみません。大法の修煉者の尊厳を守らなければなりません。言っておきますが、李洪志氏は私の師父です!」と言いました。

 私が師父の名を口にした途端、刑務官はまるで寝ている間に雷が鳴って目が覚めたかのように全身を激しく震わせました。彼は慌てて椅子から飛び上がりそうになりながら、「わかった、わかった、李洪志氏はあなたの師父です」と言いました。私も、師父の名前を言うことがこんなにも雷のような抑止力なることに衝撃を受けました。

 師父はこう説かれました。

 「何を言ったのかを気にしないでください。あなたが言った一言一句は、相手にとってすべて大きく響く雷なのです」[1]

 この法の一節を学ぶたびに、私は表面的にしか理解できませんでした。しかし、これは絶対に間違いがないことなのです。

 多くの収容者がこの出来事を目撃しました。廊下に立っていた人もそれを聞いていました。

 刑務官は平静を装いました。「実は私は法輪大法の本を読んだことがあります。事務所の引き出しには法輪大法の本がいっぱい入っていますが、どうしても納得できないことがあります」と言いました。

 私は「それでは、私達は共通の話題があるのではないでしょうか? 法輪大法は奥深い佛法であり、李洪志師父は修煉者に佛法を教えているのであって、一般の人は理解出来ない部分があっても当然です」と言いました。

 刑務官は「なるほど。ちょっと話が変わりますが、私は担当している部署に配属されたあなたのことを知りたいと思っています。あと、ここの食事についての意見も聞きたいですね......」と話しました。

 ずいぶん昔のことですが、今振り返ると、その時、私は師父の名前を出した途端、雷が鳴ったように周囲の負のエネルギーが一掃されたように見えました。拘置所の多くの人が、大法の修煉者を見下してはいけないと理解したのです。

 つまり、旧勢力は、大法修煉者を尊重すべきことを認識し、この件で私を利用することができなくなったのです。そのため、彼らは私を迫害していた腐った悪魔を操るのをやめました。

 その後、受刑者たちは最初の2日間のように、怒鳴ったり、命令したりすることもなくなり、どの房に配属されても、全員が私を尊重し、何か頼みごとはないかと尋ねてきました。

 私は彼らに、功を煉って、法輪大法について話すと言いました。彼らは皆、これを受け入れました。

 また、このような状況になったのは、そこに収容されていた以前の大法の修煉者が彼らに法輪功迫害の事実を明らかにしたからです。最初に会ったとき、監房担当の受刑者のほとんどが、「法輪大法の修煉者は良い人だ」と言ってくれました。

 私は、早朝と夜の夕食後に開放された場所で功を煉ることができました。私が受刑者に法輪功迫害の実態を明らかにしたとき、彼らは皆、静かに耳を傾け、以前のように受刑者や刑務官が拡声器を使って私を止めることはありませんでした。

 この経験を通して、私は師父が説かれたことを本当に体験しました。

 「弟子の正念足りれば、師に回天の力有り」[2]

 師父が大法の修煉者を守ってくださったことにとても感謝しています。私の経験から、大事な時に師父の助けを求めることは非常に重要であることが改めて証明されました。

 適当でない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願い致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇五年サンフランシスコ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/18/432657.html)
 
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