【慶祝513】私たちのこの大家族(3)(二)
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文/吉林省の大法弟子 静水

 【明慧日本2023年3月15日】(前文に続く)

 十、家族が私の修煉を支持する

 2003年7月、地元の警察から2人の警官がやってきましたが、そのうちの1人は吃音でした。2人の警官が家に入ってきた時、私に何か書くように言いました。私はペンを探すという口実で、義妹を家に残して出て行きました。吃音の警官が義妹に「お義姉さんい……いつ……戻るのですか?」と聞きました。義妹も吃音で「知……知りません」と返事しました。吃音の警官は「なぜ……あなたも……吃音なのですか?」と言いました。義妹は「あなたの……吃音はいいけど……私が吃音なのは……ダメなの……ですか?」と言いました。一緒に来た警官も付き合っていられないという感じで、外に出てしまいました。しばらくして、2人の警官は帰って行きました。

 母親の実家でゲームセンターを経営していた時、地元の警官が義母の家に嫌がらせに来たことがありました。私たちは裏側の家に住んでいたため、警官は気づきませんでした。嫌がらせに来るたびに、警官は表側の家に直行しました。警官たちはLさんと私が留守だとわかると、義妹にドアを開けさせて中に入ろうとしました。義妹は「捜査令状なしに家に入るのは不法侵入とみなされ、犯罪になります」と言いました。それに、3番目の兄の家には金や銀のアクセサリーや、5万元の現金もあり、紛失したら誰が責任を負うのでしょうか? 警官は、ふてくされながら帰っていきました。

 ある夜、私服姿の警官2人が門の外に車を止め、ノックもせずに敷地内に入ってきました。それを家の中で見た義妹が、義父に「お父さん! 外に出て門を閉めて! 庭に泥棒が入った! 彼らは死んで当然だ!」と大声で叫びました。2人の警官は慌てて「私たちは警官です!」と叫び、大声を出しながら、門の外に向かって走り出しました。義妹は「私も公安局員です! あなたたちコソコソして、革(警察官の制服)を着る勇気もないくせに、夜中に何しに来たのですか? この家にたまたま入ったのですか? 他の人はあなたを怖がりますが、私たち家族は怖がらないので、二度と来ないでください!」と叫びました。2人の警官は家を出て車で逃走しました。

 また、ある時は、家族で夕食をとる時間に警官が来て、嫌がらせをされたこともありました。私がトイレに行くという口実で立ち上がってトイレに行くと、警官がぴったりとついてきました。私が義妹に目くばせをすると、義妹は私と警官の間に立って、警官たちとさまざまなことを話しました。その警官が気が付いた時には、私はもうとっくにいなくなっていました。警官は、半日も敷地内と外を探しましたが、私を見つけることはできませんでした。警官たちは義妹に「あなたの義姉(訳注:私)が帰ってきたら、警察署に届け出てください」と言いました。義妹は何も言いませんでした。

 ある時、義妹が警察署に行った時、警官から「なぜ、義姉(訳注:私)の帰りを届けなかったのですか?」と聞かれました。義妹は「あなたは誰ですか? 私はあなたの言うことなら何でも聞かなければならないのですか?! 義姉が帰ってきたら、報告する義務が私にあるのですか? あなたは私に給料を払っているのですか?!」と大声で叫びました。警官もまさか義妹にこのように対応されるとは思っていなかったので、呆気にとられてしまいました。義妹が外に出ようとすると、中にいた人間が「この女は理不尽だ、手を出してはいけない」と言いました。義妹は心の中で「おばさんを、なめてはいけない」と言いました。

 また、冬の朝6時頃、公安局の4人組が捜索令状を持ってパトカーで乗りつけ、警官の制服を着て私の家の庭に飛び込んできたこともありました。その時警官たちは十分な準備をしてからやって来ましたが、私が4時過ぎに出勤したことは知らなかったようでした。家に押し入ると、警官たちは捜索令状を振りかざし、手錠を取り出し、そのまま義妹のところへ行きました。警官たちは私のことを知らず、義妹は私より1歳年下で、二人とも短髪で背格好も似ていたので、警官は義妹を私と勘違いしました。

 警官たちは義妹を押さえつけ、手錠をかけました。誰を捜しているのですか、と義妹は頭を下げながら聞きました。警官たちは○○○(私の名前)を探していると言い、義妹は「あなたたちが確認したのは私ですか? 間違った人を捕まえたら法的に責任を負うことになります。ああ、胸が痛い! 今朝は心臓発作を起こしそうです! (義妹は本当に心臓が悪かった) 家にお年寄りが2人いて、怖がっているから、治療してあげてください!」と叫びました。

 当時、夫の姉がちょうど家におり、子宮筋腫の手術を控えていました。手術後、夫の姉は「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」という心からの九文字を堅持して念じ、手術の切り口の治りは非常に早く、痛みもありませんでした。その時夫の姉はまだ起きておらず、義妹の叫び声を聞くと、あわてて綿入りの服1枚で出てきて「妹に手を出す奴は、私が命を的にしてやる!」と叫びました。間違いと分かった警官は、すぐに手錠を外して義妹を助け起こし、頭を下げて謝りながら夫の姉に「お姉さん、興奮しないで、中に戻ってください」と言いました。

 甥は朝、仕事の準備をしていたのですが、警察は甥を解放してくれませんでした。甥は「出勤しなくてもいいが、あなたたちが給料を出すのですか?」と言いました。そう言って、甥は玄関を出て行きました。外に出ると、すぐに甥の2番目の叔父に電話をして、すぐに職場に行って私に知らせるように言いました。2番目の兄は真相を知りませんでしたが、車で私の職場まで来て「すぐに離れてください」と知らせてくれました。

 ある夏の夜8時、家の外を歩いていると、飲み終えたばかりのLさんとその友人のSさんが玄関先にしゃがみこんで将棋を指していました。地元の私服警官3人が黒い車に乗って、私の家にやってきました。車から降りるなり、私の腕を掴んで「身分証明書カードを見せてください」と言いました。私は「待っててください、中に入って取ってきますから」と言いました。しかし、警官たちは手を離しませんでした。警官は口をゆがめ、Lさんが警官の腕を引っ張ると警官はすぐに手を離しました。私はその隙に家に駆け込み、ドアに鍵をかけ、窓から飛び出して家を出ました。

 後で知ったことですが、私が帰った後、3人は車に乗り込み、警官の制服を着てから署長に電話をかけ「公務を妨害する者がいる」と告げたそうです。署長が20人以上の警官を連れてきて、私の家を取り囲みました。

 その様子を見ようと、たくさんの人が集まってきました。前庭の騒ぎを聞いた義妹は、すぐに義父母を呼んで「また警察が義姉を逮捕しに来たようです」と言いました。義姉は義母に「警察が人を逮捕しようと思ったら、車の前に寝転がる(訳注:パトカーの前で妨害すること)だけでいいです」と言いました。義母は、結婚前にLさんが人と喧嘩するのは当たり前で、包丁や棒を使って喧嘩していたので、それをすべて見てきました。

 義妹と義母が2人とも出てきて、私が出て行ったのを見届け、安心したようでした。Sさんを見た義妹は、後でSさんが警察に八つ当たりされるのを恐れて「早く行ってください」と言いましたが、Sさんは帰りませんでした。警官2人が「公務を妨害しているから警察署に連れて行け」と言って、Lさんを車に引きずり込みました。義母はすぐに車の前面に乗り「私は息子の世話になっています! 彼が行くところに私も行きます」と言いました。そう言って、車に乗り込みました。警官は白い髪の義母を見て、手を離しました。

 義妹が警官と喧嘩をして、警官が義妹に腕を引っ掻かれたと言い、確かに警官の腕には爪痕が残っていました。義妹は「先に殴られて、心臓発作が起きたから、すぐに診てもらわなければならない」と言いました。近所の人たちや通りすがりの人たちで大きな輪が出来ていました。逮捕したい私がすでに去ってしまったのを見た署長は、この一家には手を出してはいけないと思い、撤収を呼びかけました。しかし、野次馬に直面して間が悪くなったのか、Sさんを連れて行ってしまいました。警察署に行き、Sさんは殴られてから釈放されました。

 その頃は、何度も嫌がらせを受け、住所不定で路頭に迷う生活を私はいつも送っていました。

 十一、私たち家族への大法の恵み

 2006年10月下旬のある日、自転車で道路を横断していたところ、スピード違反のタクシーにはねられました。その場で自転車は大破し、私は自転車からタクシーの上に落ちました。車のフロントガラスが割れ、ガラスの破片が地面に飛び散り、運転手が急ブレーキをかけたので、私は再び飛ばされ、道端に投げ出され、その場で気絶してしまいました。そのタクシーは地面に20メートルもの深いブレーキ痕をつくってからやっと止まりました。現場では、私が助かる見込みはないということで意見が一致していました。

 運転手が車を探し、私を病院まで連れて行きました。目が覚めた時、私は運転手に自分が法輪功学習者であることを告げ、お金をゆすったりしないと言い、「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」という心からの九文字を覚えるように伝えると、運転手は同意しました。最終的に、運転手がタクシーを呼んで私を家に送り届けました。

 翌日、交通警察へ行き(現場で誰かが通報したため)、私は運転手と示談しました。廃車になった自転車を見て、運転手が「もう一台買ってください」と100元をくれました。交通警察は、私が負傷者になりすましているのではと思い、私の身分証の番号を控えました。手続きが終わってから、私は家に帰りました。

 3日目には全身が痛くなり、目の周りには黒いクマが二つ、特に胸は鉄の針がたくさん刺さっているかのように痛みました。私はどんな痛みにも動じることなく、ただひたすら法を学び、煉功を重ね、他の治療方法を取ることはありませんでした。15日後、痛みはすべて消え、身体は完全に治りました。どんな言葉でも師父への感謝を表すことはできません!

 義妹が幼い頃、地元で有名な盲人が義妹の運勢を占いました。子供、結婚、財産、人生についてはすべて当たりましたが、47歳(現在52歳)の「生死をさまよう」ことについては当たりませんでした。

 義妹の運命が変わったのは、義妹が法輪大法がすばらしいことを信じ、常に正義を支持し、大法弟子の保護に全力を尽くしたからでした。今では、義妹はほとんど罵ることもなく、気性も良くなり、健康状態も以前より良くなりました。義妹の元の夫は、義妹と子供のために家を購入しました。義妹は、貴重な書籍である『轉法輪』を読みましたが、まだ縁がなかったのか、根気よく続けることはできませんでした。義妹と子供は法輪大法がすばらしいことを信じ、大法の真相お守りを体につけています。

 私は義父母の面倒をよく見て会話をし「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」と念じ、食事を食べさせ、体を拭き、大小便の世話をしました。義父は85歳で2カ月間寝たきりで、義母は11日間寝たきりになり82歳で、どちらもあまり苦しむことなく穏やかに亡くなりました。義母は亡くなる前「法輪大法はすばらしい」と念じ続けていました。義母の周りには無数の赤く回転する法輪が見えた、ということを義母は私に伝えました。

 甥は、温厚篤実で善良でした。2002年に甥の父親(兄)が亡くなり、母親が他郷で再婚しました。甥は結婚すると、大きな家から出て行きました。また、甥は電柱に登り、高い電線に「法輪大法はすばらしい」という横断幕をかけるのを手伝ってくれたことがありました。

 甥の自宅の屋根が雨漏りして住めなくなった時、私が使っていた大きな家と庭を、甥の小さな家と庭と交換し、甥は、私たちにとても感謝しました。甥はいつもLさんに「叔母さんの法輪功は本当に無駄な修煉ではなく、この家庭の苦しみや酷な扱いを恨んでいません」と言いました。

 休みの時にはいつも、Lさんは甥に好きなものを買ってあげたり、お酒を飲んだり、おしゃべりしていました。義妹が引っ越した後、甥はよく息子を連れて帰ってきました。甥は私たち家族ととても仲が良く、数日会わない時は電話で挨拶するのが日課になっていました。毎年新年になると、みんなで一家団欒しています。

 Lさんは変化が大きく、以前は身内の事も顧みず他の人をかわいそうだと思いませんでしたが、今は家事全般をこなし、皿洗いまですべてしてくれます(これは彼の底力だった)。私が自宅で学法グループを作りたいと言うと、Lさんは賛成してくれました。また、ストーブをつけるのを手伝ったり、薪を割ったり、仕事があれば働き、同修にとても丁寧に接しました。昔はナイフや棒を使ってけんかしていたLさんが、今はまるで別人のように見えるのは、法輪大法の威力を示しているのだと私は思いました。Lさんはけんかを止めただけでなく、ギャンブルも止めました。現在、Lさんは工場の作業場を見回るという、とても静かな仕事をしています。毎日工場内を回るだけでいいし、宿舎もいらないし、家からも近いし、給料も悪くありません。みんな、いい仕事だと言い、楽にお金を稼ぐことができました。

 Lさんは現在、血色が良く顔がつやつやで黒髪でふさふさしていて、体はとても健康です。Lさんは、私を友人に紹介する時、いつも「こちらが私たち家族の『法輪大法』(法輪大法を修煉しているという意味)です」と言いました。私はその勢いで、Lさんの友人に真相を伝え、三退を勧めました。「早く脱退しましょう、共産党は良くないものです」と言って助けることもあれば、友人に卓上用カレンダーを渡すこともありました。

 私の娘は大学を卒業してから働いていますが、真面目で、しっかりとしており、身を清く保ち世俗に染まらず、社会の汚染を受けていません。父(訳注:Lさん)も娘も自分の車に大法の真相アクセサリーをつけています。車はそれほど高価なものではありませんが、法と縁があり、我たちの家にやってきたので最も幸運な生命でした。

 私の家族は「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」を心の中に持っており、困難な状況にある大法弟子を保護することで、福報を受け、生活が落ち着き、自在でした。道が困苦であっても、最後に虹が現れました!

 私は現在、毎日法を学び、煉功し、正念を発し、しっかり自分を修め、同修と協力して真相をはっきりと伝え、衆生を救い済度し、修煉の道をしっかりと歩んでいます。

 20年間の修煉の中で、苦難や困難もありましたが、師父の支えやご加護のおかげで、多くの恩恵を受けることができました! 私の体は健康で、精神的にリラックスし、生活は楽しく、調和のとれた家庭を持っています。私たち大家族は、いつも近所の人たちや友人たちから羨ましがられ、称賛されました。また、一緒にいてくれ、支えてくれた家族にもとても感謝しています。

 師父の慈悲なる済度に心から感謝申し上げます!

 この文章を法輪大法が世界に広く伝わり30周年の記念に捧げます。

 (完)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/5/25/443983.html)
 
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