夫は大法弟子を親切にして福報を得た
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年8月25日】ちょうど夫が軍隊での仕事が順調に進んでいたころ、私の体は非常に虚弱で、さらに仕事の疲労も重なり、病気に苦しんでいました。そのため、夫は転職を申請して、私と家族の世話をすることができるようにしました。1979年末、夫は私の勤務している近くの政法部門に配属されました。私は身近な実例を使って、夫にこう話しました。「覚えておいてね。財産に執着しなければ、災難も起こらない。私はあなたが出世してお金持ちになることを望んでいるわけではなく、ただ平穏無事に自分の力で生活してくれればそれでいいのです」

 夫は生来、善良で誠実で正義感が強く、是非善悪を明確に区別する人です。仕事では、たとえ所属部門が要求するノルマの金額を達成できなくても、夫は一銭も不正なお金を受け取らず、人を傷つけることもありませんでした。

 私は神経や心臓が衰弱し、乳腺増殖症や慢性の発熱などの病に苦しんでいました。夫はしばしば自転車で私を病院に連れて行き、薬を処方してもらいました。病状が悪化すると入院し、1980年から1983年の間に、私は6回入院して2回手術を受けました。夫はすべての家事をこなし、子供の面倒を見て、学校への送迎もしてくれました。また、病気のために私がイライラして彼に八つ当たりするのをよく我慢してくれました。

 1997年初め、私は幸運にも法輪大法の修煉を始めました。短期間で私のすべての病気は跡形もなく消え、病気がなくなり、体が軽くなりました。夫はそれを見て大変喜び、法輪大法の修煉をとても支持してくれました。そして、会う人たちに「法輪功は本当に素晴らしい!」と言いました。

 1997年秋、夫は2カ月以上咳が治らず、それでも1日に2箱のタバコを吸い続けていました。ある晩、夫が酒を飲んで帰宅したとき、私は『轉法輪』の中で禁煙に関する部分を彼に読んで聞かせました。そして、「聞きましたか、タバコを吸っても何の得もないのですから、もう吸うのはやめて」と言うと、彼は「やめるよ」と答えました。翌日、夫がタバコを吸うととても不味く感じ、それ以来完全に禁煙しました。誰かに「どうやって禁煙したの?」と聞かれると、彼はいつも「法輪功のおかげで禁煙できたんだ」と答えていました。

 1999年7月20日、江沢民率いるグループが法輪大法とその弟子たちに対する残酷な迫害を開始しました。私たちの職場の十数人の大法弟子が強制的に洗脳班に連れて行かれたのですが、夫は毎日、私を迎えに来てくれました。私は「仲間がたくさんいるから迎えはいりません」と言いましたが、夫は「こんな時だからこそ、君を迎えに行くんだよ」と言ってくれました。夫は洗脳班の現場で、政法部門、組織部門、宣伝部門の人たちに対して「法輪功は人々を善良な人間に導くもので、とても良いものだと思います」と言いました。

 1999年9月末、法輪大法の冤罪を晴らすために北京に行ったこの県の大法弟子が、連行されて県の留置場に戻されました。夫は職務を利用してできる限り大法弟子たちの世話をしました。

 ある日、牢頭(同室の受刑者の中の頭)がZ同修を一晩中殴り、500元と数本の高価なタバコを家族から要求するように強制しました。夫はそれを聞き、牢頭の名前を呼び出し、「この人(Z同修)は私の親戚です」と伝えました。その後、夫は自分でタバコを2カートン差し出しました。それ以来、牢頭はZ同修をいじめることはなくなりました。

 2000年10月、北京へ陳情するために行ったある大法弟子が、その県の留置場に連行されました。夫は、その大法弟子が寝具や日用品を一切持っていないのを見て、助けに乗り出しました。その大法弟子の家族の住所や近くにいる親戚を確認し、親戚に電話をかけました。しかし、親戚は関わりを恐れて即座に断りました。夫は昼休みの時間を利用して、オートバイで往復100里の道のりを駆け巡り、その大法弟子の家に行って寝具を持ち、再びバイクで留置場に急いで、その大法弟子に渡しました。

 夫は大法弟子に親切に接し、多くの善行を行ったため、福報を受けました。

 夫は転職前、軍隊にいたときにリウマチ性の腰痛と脚の痛みに苦しみ、腰椎椎間板ヘルニアで半年間入院していました。地方に来てからは、腰と脚の痛みで4カ月間も寝たきりになり、寝返りを打つだけで涙が出るほど痛がっていました。また、夫は胃の冷え、心臓の不整脈、脚のむくみ(押すとへこむ)があり、長期間治らない状態でした。しかし、これらの症状はこの数年の間に知らないうちにすべて消えました。

 2003年秋の終わりごろ、夫が電動自転車で外出中に交通事故に遭いました。電動自転車のフレームが曲がるほどの衝撃で、夫は道路上で意識を失い、血の海の中に倒れていました。最初は通行人が見て見ぬふりをしていましたが、後である人が電話をかけ、県病院の救急車を呼んでくれました(今でも誰が電話をかけたのかはわかりません)。救急車で夫は県の町まで運ばれましたが、救急車が病院の前に着いたとき、夫は自宅に帰りたいと言い、運転手に60元を支払った後、救急車は走り去りました。

 そのとき、夫は全身血まみれで、鼻や頭の傷口から血がまだ流れ出ており、髪や顔はまるで厚くて赤い塗料が塗られたようでした。彼の下着や上着は血が付着し、脱ぐと血が絞り出せるほどでした。親戚が急いで車を出して夫を県病院に運び、夫はそこで大量に吐血しました。同じ病室の人々はそれを見て驚愕しました。CT検査などを行った結果、医師の初見は「右目頭の上下3カ所の骨折、頭蓋骨骨折」というものでした。医師は私の娘や婿に対して、「もし脳内出血があれば、転院が必要です」と言いました。

 私は大法師父の説法が入ったMP3プレーヤーを病院に持って行き、夫に聞かせました。

 翌日、再度CT検査を行うと、夫の脳内には出血がなく、わずかな液体の溜まりがあるだけで、血圧も正常でした。医師は「血圧を測り間違えたのではないか。あれだけ大量に出血していたのに、血圧が測れるだけでも幸運だ。まして血圧は正常なんて不思議です」と言いました。再度測定しましたが、やはり正常でした。医師は「奇跡です! 奇跡だ!」と繰り返しました。夫の右目は3カ所の骨折で垂れ下がり、左右の目の高さが違い、視界が二重に見える状態でした。北京から来た眼科の専門医は、「手術をするなら少なくとも18万元(約360万円)かかる」と言いました。私たちは大法の無限の力を信じ、退院を決めました。

 夫は退院後、引き続き師父の説法を聞きましたが、半月もしないうちにすべてが正常に戻り、その間、何の治療も行いませんでした。夫はまだ修煉していないのに、師父は天目を開いてくださり、夫はよく色とりどりの法輪が回転しているのを見ていました。

 夫はまだ大法修煉に入っていませんが、常に大法の法理に従って行動し、善良な人であろうとしています。あるとき、彼が子供を迎えに行く途中、スピードを出した車にひどくぶつけられました。彼は倒れ、地面をこすりながら遠くまで滑っていきました。広い範囲で擦り傷を負い、血がにじみ出ました。靴は破れ、爪が剥がれ、運んでいた物も壊れました。運転手が病院に連れて行こうとしましたが、彼は行かず、お金も受け取らず、「大丈夫です、忙しいでしょうから行ってください」とだけ言いました。その場にいた人たちは、「こんなにひどくぶつけられたのに、なぜ立ち上がれたのか? どうしてそんなに馬鹿正直なのか? どうして怪我の治療をさせないんだ?」と言いました。

 これまでの数年間、夫はバイクや三輪車、車に何度もぶつけられたことがありますが、毎回病院には行かず、お金も受け取らず、相手に心配しないように伝えて帰宅し、私にも話しませんでした。時々、私は彼の脚や腕の怪我を見つけ、「どうしたの?」と尋ねると、彼は「バイクにぶつけられた」や「三輪車に引っかけられた」と答えるだけでした。

 師父は、「宇宙は公平で、生命が善行を積むと福報がある」(『なぜ人間が存在するのか』)とおっしゃっています。

 夫は現在75歳で、耳も目もはっきりしており、血圧、中性脂肪、血糖値がすべて正常で、腰や脚の痛みや腫れもありません。心臓は30歳のころよりも良好で、胃の冷えも消え、冷たい水や食事を取っても何も問題ありません。

 この20年間、夫は薬を一粒も飲まず、注射も一度も受けず、コロナが蔓延したときも感染しませんでした。昨年の夏、私たちは電動自転車で遠出しましたが、充電器を持っていくのを忘れてしまい、彼は電池切れの自転車を57kmも歩いて家まで押して帰りましたが、全く疲れを感じませんでした。法輪大法が夫に福報を与え、大法師父が何度も彼を守られました。彼は命の借りを返済し、師父は彼に新たな命を与えてくださいました。

 毎年、夫の職場では定期健康診断が行われますが、夫には何の病気も見つからず、医師は驚いて「このお年寄りは70歳を超えているのに、内臓は20代のものだ。本当に奇跡だ!」と言っています。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/17/480937.html)
 
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